3-5
瞑想は苦手だ。
集中しているとだんだんと深いところをのぞいているような気分になる。そこは黒くて、何もない。底のない穴のような、淀んんだ水のような。そんなものの目の前に立たされているような錯覚に陥ることが多かった。その感覚を乗り越えると、その内に薄く霧がかかったような感覚に変わる。
エマにそのことを話せば「きっと自分の魔力をのぞいているのね。」と言っていたが、あの途方もなくて暗いものが俺の中にあるのかと思うと薄ら寒くなる。
彼女も瞑想の時にあのぽっかりと開いた黒いものを見ているのだろうか。
思考に霧がかかり始めたころ、並んで瞑想していたはずのエマの方からごそごそ、と何かを漁る音が聞こえる。
気になって薄っすらと目を開けてみれば、あまり荷物の入っていないカバンの中身をエマが一生懸命に整理していた。
気が付かれないようにと眺めていたが、気配に聡い彼女はすぐにニコの視線に気が付いて振り返る。薄緑色の瞳が悪戯気に細められた。
「また、瞑想が怖くなった?」
「こ、怖いなんて言ってない……!」
「魔力が黒くて怖いんでしょ? 私も黒いから大丈夫よ。きっとみんな黒いんだわ」
「え、エマも同じものを見てるの?」
あの、黒く深くて薄ら寒い、力の源のような物を。
「お、同じものかどうかは分からないけど……」
思いもよらない質問だったのか、エマが僅かに身を引く。少しの間考えるような仕草をしてから、ゆっくりと答えだした。
「瞑想中に見ているのは黒くて深い、穴みたいなものよ。水が溜まってるみたいにその黒いものが揺蕩うの。ニコがこの間言ってたみたいに、霧がかかったりすることはないけれど……、時々寒くなることはあるかな?」
「寒く?」
「うん。そうね……ちょうど、氷の魔法を使った時、みたいな」
エマが自分を納得させるようにうなずいて、言葉を切る。
彼女が氷の魔法を使うのは何度か見たことがある。自分でも氷の魔法は得意だと言っていた。
氷の魔法を使うと、辺りの温度がぐっと下がる。エマの周りに霜が降りるのも見たことがあるので、氷の魔法で寒くなる感覚を俺も知っていた。だが、瞑想中に実際に温度が下がったように感じる、というのも不思議な話しだ。
「ともかく、魔力はあなたの中にあるものだから、正しくコントロールできるようになれば何も恐ろしいものじゃないわ。大丈夫よ」
エマがそう言って、俺の肩をゆっくりと撫でる。そこでようやく肩に力が入っていたことに気が付いた。
「私もちゃんと制御の仕方を教えるから。怖がっていたって始まらないわ」
目を細めて穏やかに笑う彼女に見惚れながら、流されるように頷いていた。
薄緑色の視線が一瞬首輪へと向いたような気がしたが、それに気が付いた時にはエマがまたゆっくりとほほ笑んでいた。
「集中力切れちゃったかな? ニコ、少し出かけましょうか」
「え?」
「さ、準備して」
エマが気を取り直すようにそう言って、俺の背中を軽くポンと叩いた。
出かけるために首輪を隠す赤いマフラーを撒いている間に、エマはもうすっかり荷物も持って部屋の扉の前に立っていた。出かけるために荷物の整理をしていたらしい。
マフラーが解けないようにと結んで、エマの背中を追いかけた。
祭りの前日で浮足立った賑やかな通りから逃げるようにして、湿った路地裏に入り込む。数度角を曲がったところでエマがぴたりと足を止めた。古びた二階建ての建物の外階段の手すりに「営業中」と書かれた小さなプレートが引っかかっている。あたりに全く人気はないが、何か商売をしているらしかった。
エマは足をかけるたびにぎいぎいと鳴く頼りない階段をためらいなく上っていく。 一拍おくれてその背を追った。
経年のせいで僅かに色の薄くなった扉をくぐると、そこは思いがけず小綺麗なな店内だった。本や小物が整然と棚に並んでいる。棚や柱はよく磨かれて木目が濃く浮かび上がっていた。埃一つないカウンターの真ん中には、白い線で歪みのない魔方陣が一つ描かれている。均一なその線がこの店の店主の几帳面な性格を伺わせた。
人気のない店内にエマが踏み込んで、カウンターの上の魔方陣におもむろに手をかざす。途端、白い線が薄紫色に光り始め光が目の形に似たマークが浮かび上がった。
その時、人気のない店内から老人のしゃがれた声が聞こえた。
「おや、珍しい。随分若い観察員だこと」
驚いた。とついでのように付け加えるその口調が白々しい。いつの間にそこにいたのか、カウンターの奥にあった棚の間から白い髭の老人がひょこりと顔を見せた。
エマが手をかざす魔方陣に目を向け、今度は品定めでもするように俺へと無遠慮に視線を向投げてくる。
あの類の視線は苦手だ。値踏みをする目だ。奴隷だった時になんどあんな視線を向けられただろう。「体が丈夫そうだから」「髪の色が珍しいから」「よく働きそうだから」そんな理由で色んな所へ買われた。
憐れむ目、蔑む目、あざ笑う目。どの目も俺を評価する目だった。
「あんた、魔族かい?」
一瞬、問われた言葉の意味がわからず困惑する。煙った思考から何とか帰ってきて、一瞬おくれて自分のことを言われているのだと気が付いた。
慌てて首肯すれば、店主は目を眇めるだけで今度はエマの方へと視線を移した。
「弟子付きにしては若いね。」
「いいえ、彼は……弟子じゃないのよ」
「ふーん、そうかい」
戸惑ったようなエマの答えに、店主はそこまで関心がなさそうだった。
そんな店主の態度よりもエマの受け答えの方が引っかかる。
いつも俺を人に紹介するときはエマの弟子ということにしていた。その方が変に関係性を詮索されないし、話しが早いと言っていたくせに、店主にはそういう風に紹介はしないらしい。
この店主も魔法使いのようだし、そのことが関係しているのだろうか。
「それで? 今日は何用かい?」
「これを……」
僅かに躊躇って、エマがカバンから取り出したのは、青い石が真ん中についた首輪だった。二つあるそれは、大きさからして明らかに人間につけるものではないことが分かる。
店主がそれを手に取ると、眼鏡をかけてじっと見つめて品定めを始めた。
「どこも壊れちゃいないようだが?」
一通り見聞し終わると丁寧に元の位置へと戻し、探るようにエマの方を見た。
「売りに来たの」
「あんた、魔物使いなんだろ? いいのかい?」
「ええ、もういいのよ」
エマがあきらめたようそう言ってゆったり笑っている。
「こりゃ、キュイスさんの誂えじゃないか」
店主がまた首輪を手に取ってぐるりと全体を見直した。首輪の内側に目をやると驚きの声を上げる。
「あんた、何者だい?」
「ただの魔法使いよ」
肩をすくめて笑うエマの顔を、ずり下がった眼鏡を上げて店主がもう一度見やった。
誤魔化すようなその笑みをどうとったのか、店主の方がはぁ、と一度ため息をつく。
「詮索はしないけどねぇ」
そうは言いつつも、視線はエマの表情を追っている。ちらりと俺の方にも視線を投げてくるので、探られているのだと気が付いた。怪しんでいるというよりは、好奇心の方が強いように思う。
詮索はしないとの言葉は表面上の物にも思えたが、エマは困ったような笑みのまま本題を話し出す。
「魔法石の付け替えはできる?」
「ああ、できるが……」
「ニコあの短剣を出して」
彼女に言われるがままエマにもらった短剣を懐から出して店主に渡した。彼それを受け取ってまた一通り見聞して呆れたとでも言いたそう口を開く。
「これもキュイスさんの拵えだね。まー、いいもの持ってるね、あんた」
店主が眼鏡をはずして、首輪と短剣を丁寧に持ち直し「ちょっと待ってなよ」と一声置いてカウンター奥の扉の中へ消えていった。
しばらくしないうちに扉の奥からコンコン、と何かを叩く音が聞こえ始める。
エマは扉をじっと見つめていた。
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