第七章 鈴間屋アリスは痛みに耐える(5)
銀次の元に、シュナイダーがやってきたのは、一連の騒動の三日後だった。
その間新たなXの出現はなく、運転手としての仕事もなく、ホテルの一室で銀次はやきもきした気持ちを持て余すしかすることがなかった。筋トレがやたらと捗った。
久しぶりに顔を見る執事長は、珍しくどこか疲れた顔をしていた。そんな彼のことは心配だったが、真っ先に問いたいことがある。
「お嬢様は大丈夫ですか? どうされてますか?」
「気丈にされていますよ」
シュナイダーはそう答えてから、
「小さかった頃はともかく、今では私の前で気丈な顔しか見せてくれませんので、どれぐらい辛いのか、わかりかねますが」
ため息まじりにそう呟いた。
人には無理をするな、休めというくせに、彼女自身が無理をしすぎる。
「メンタル面のことはわかりません。ただ、身体的な苦痛が今は和らいでいるのは確かだと思います」
「やっぱり、俺の中のXがトリガーになっているんですね」
心配で、本当はいますぐでもそばに行きたい。でも、それは叶わない。
「お嬢様のXを根治するために、投薬治療をはじめます」
「薬、できたんですか?」
驚きで声が大きくなる。Xを完全に消す薬の開発には、苦戦していたはずだが。
「もともと最後の一ピースが足りない状態だったので。皮肉にも、優里さんからのデータが役に立ちまして。ただ……」
「俺には効かないんですよね、大丈夫です」
言い淀んだシュナイダーの代わりに、言葉を紡ぐ。それは覚悟していたことだ。
「発症してからの期間が違いすぎる。それはわかっているので、気にしないでください」
病気の進行が進めば進むほど、単なる投薬では治らなくなる。それぐらいは、銀次にだってわかっている。
「すみません。銀次くんのXを治す方法も、必ず」
「ありがとうございます」
本当に悔しそうな顔をシュナイダーがする。自分のことをこんなにも真剣に考えてくれる人がいるだけで、ありがたい。
「ですが、その薬、本当に大丈夫なんですか?」
できたばかりの薬を、アリスに使うことは多少心配だ。鈴間屋の技術は信頼しているが。
「検証のしようがなくて……」
それもそうだ。動物実験をするにもXの調達が必要だ。そして、仮にXを調達できたところで、Xをいれた動物は巨大化し、暴れることになる。実験のしようがない。
「それに、あれだけの異物を排除するんです。体への負担が大きい、痛みを伴うものになってしまいます。ですが、お嬢様はそれでいいと」
自分の不甲斐なさを恥じるように、シュナイダーが膝の上で握りこぶしを作る。強く。
「このまま自分がXになってしまうことが、一番あってはならないことだから。そして、もしかしたらこの先、一般に向けてこの薬が必要になるかもしれないのだから、責任を持って私が実験台になると」
それを聞いて、銀次は深く、深く息を吐いた。
「まったく、お嬢様は……」
本来なら高校に通っているような子供なのに、何から何まで背負おうとする。
感じているのは苛立ちと、不甲斐なさ。彼女への心配。鈴間屋アリスならそういうだろうと、容易に想像できてしまった自分にも腹がたつ。
「治療自体は、明日から一週間かけて行う予定です。その前に、お嬢様に連絡してくださいますか?」
ビデオ通話の準備をしたので、とシュナイダーは続ける。
「お嬢様は私には、弱いところを見せてくださいません。こういうとき、今までなら優里さんが、お嬢様のメンタル面をサポートしていたのですが」
「そうですね……」
今までなら、自分がそばにいなくても安心できた。優里がアリスのことを全て見てくれていたから。だけど、今はもう優里はいない。
それどころか、アリスを精神的にも、肉体的にも傷つけている要因になっているのだから。
「銀次くんぐらいだと思うんです。お嬢様が素直に本音を言える相手は、もう」
シュナイダーはどこか寂しそうに笑った。それはどことなく、子供の手が離れてしまったことを、喜びつつも悲しむ顔に見えた。
「メンタル面のケアを、お願いします」
「わかりました」
しっかりと頷いた。今の自分にできる、最大限をしよう。
シュナイダーが帰り、一人になったところで、通話を起動する。しばらくすると、モニターにアリスの顔が映った。
「白藤」
ベッドに横になったままで、アリスが小さく微笑む。弱々しく。
「お嬢様、お久しぶりです」
「そうだね」
顔色は、最後に見たときよりは良い。でも、また少し痩せてしまった気がする。
平気ですか? とは聞けなかった。父親と側近を失って、平気なわけがない。そして、あの痛みがどれだけ苦しいかは、自分がよく知っている。
「なにか、ご要望があれば聞こうと思ってご連絡したのですが」
代わりにでたのは、そんな言葉だった。
「たとえば、愚痴を聞いてほしいとか」
おどけて続ける。それにアリスは一度笑い、
「うん、あのね、白藤にお願いがあるの」
すぐに真顔に戻って、続けた。
「なんでしょうか?」
「お願いだから、私に背負わせて」
「え……?」
返ってきたのは予想もしていない言葉だった。
「パパの犯した罪の重さを、少しは私に背負わせて」
鈴間屋拓郎の呼び名が変わっていることに、彼女が彼の死を飲み込もうとしていることがわかった。
「ずっと、白藤は関係ないって。パパのしたことと私は関係ないって言ってたけど、やっぱりそんなわけないと思うの。ましてや、もうパパはいないんだから。だから、お願い、一人で背負わないで、私に罪を背負わせて。罰を、与えて」
アリスの瞳が、どんどん潤んでくる。
何を言えばいいのかわからず、銀次はただモニター越しに彼女の顔を見つめるしかできなかった。
「ごめんね、白藤。ごめんなさい、今まで、あなたの痛みを知らなくて」
ごめんなさい、ともう一度つぶやくと、彼女は顔を覆って泣きだした。
どうして、彼女は引き受けようとするのだろうか。自分よりも、はるかに小さな体で。まだ子供なのに。
「お嬢様」
なんとか言葉を絞り出す。
「泣かないでください。私は……知られたくなかったんです、お嬢様に」
ましてや、同じ痛みをじかに味あわせるなんて、あってはならないことだと思っていたのに。
「でも、私のせいでっ」
「違います、お嬢様のせいじゃありません」
「だってもう、パパはいないのにっ」
自分のことを切り捨てた父親の罪を、どうしてそこまでして引き受けようとするのだろうか。逆に、引き受けることで父親に認めてほしいと思っているのだろうか。それじゃあ、彼女は一生、鈴間屋拓郎に縛られることになってしまうじゃないか。あんな、娘を人間扱いしない男に。
「アリスのせいじゃない」
考えたら怒りがこみ上げてきて、強い言葉でそういった。
アリスが、少し驚いた顔をでこちらを見てくる。
「アリスが悪いんじゃない。アリスが気にすることはない」
もう一度、はっきりと言い切る。
言葉を取り繕うのではなく、思ったままの言葉を届けたかった。
いつものように名前で呼ぶな、と怒ることもなく、アリスはくしゃりと顔を歪める。そのまま、しゃっくりをあげて泣きだした。
「アリスが傷ついて、俺が喜ぶと思いましたか? あなたに重荷を背負わして、俺が満足すると思いますか?」
そんなこと、アリスだって本当はわかっているはずなのに。
「だって……、私、何もできなくて」
「アリスは俺に居場所をくれて、元気をくれています。アリスがいるから、俺は戦えているんですよ」
ぐしゃぐしゃに泣いている彼女の涙を拭いてやりたい。でもそれは、今はできないから。モニターにそっと触れる。
「アリスを守るという目的があるから、俺は戦えている。それだけは、忘れないで」
小さくアリスが頷く。
「もしも、どうしても何かをしたいのならば」
「うん」
「元気になって、またドライブに付き合ってください。今度は、ちゃんと夜景の綺麗なドライブコースを調べておきますから」
微笑んでそういうと、アリスはさらに泣きだした。
あれ、失敗した? 間違えた?
慌てていると、
「ありがと」
小さな声がした。
両手で顔を覆ったまま、アリスがつぶやく。
「ありがとう」
「いいえ」
ちゃんと言葉が届いているのなら、よかった。
「白藤」
「はい」
「……会いたい」
それにぐっと胸が詰まる。
「会いたい会いたい会いたい」
それは、自分だって同じだ。
「お嬢様」
「だから」
銀次が言葉を返す前に、アリスは言った。ぐいっと袖口で涙を拭くと、なんとかこわばった笑みを浮かべて、
「ちゃんと、Xを消すために頑張るね」
「はい」
「ちゃんと、調べといてよ。お洒落なドライブコース」
「もちろん」
頷くと、アリスがふふっと笑った。
彼女はきっと、大丈夫だ。
通話を終えると、ベッドに倒れこむ。
守るべき対象の彼女があんなに強いのだから、自分ももっと頑張らないと。優里は自分と遊びたいと言っていた。そのうち何かを仕掛けてくるはず。
自分は戦えるだろうか? かつての同僚と。
いや、戦わなければ、いけないのだ。アリスを守るために。
そこまで考えて、思い出す。
自分が戦う意味をきちんとアリスに見出した時のことを。なんとなくで変身していた自分が、きちんとメタリッカーになることを向き合ったのは、優里の言葉がきっかけだった。
「何があってもこれは本心、だったっけな」
その時の会話を思い出す。
優里にとって銀次の意思は、実験の妨げになるようなもののはずだ。銀次が意思を失い、Xに乗っ取られた方が、優里の実験にとっては良い結果になったはずなのだ。
なのに彼女は、銀次に戦う理由を思い出させた。それを本心だとも言った。
あの時の口ぶりから察するに、彼女はいずれこうなることがわかっていたのだろう。自分の正体がバレることを。その上で、アリスを守れと自分に言った。
あれは一体、どういう気持ちだったのだろうか。
「本当、何考えてるかわからないな、優里さんは」
自分がつぶやいた言葉に、寂しく笑う。
何を考えているのかは全くわからなかったけれども、同僚として、アリスを思う人間として、信頼していたのに。
どうにも優里を恨み、敵対視しきれない自分がいる。むしゃくしゃする。もやもやする。
「ああ、くっそ」
どうせすることもないのだ。体を動かして解消しよう。
そう決めると、筋トレに精を出し始めた。
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