第四章 メタリッカーは非難される(2)
白藤銀次は、真っ青な顔をして鈴間屋の屋敷に戻ってきた。
思い出す。倒れている少年、血の色。
「くっそ」
失敗した。あそこに子供がいるなんて気がつかなかった。わかっていたら、羽を落とす場所を変えたのに。
救急隊に預けてきたが、大丈夫だろうか。もしも、あの子が。
「銀次くん」
思考回路はシュナイダーの声で遮られた。
「あ、シュナイダーさん」
「おつかれさまです」
「いえ」
廊下ではあれだから、と使っていない部屋に移動する。
「はい、座ってください」
強引に椅子を勧められ、お茶を差し出される。
「大丈夫ですか?」
「あの子は?」
シュナイダーの質問を遮り、畳み掛ける。
「救急車、呼んでくれたのはシュナイダーさんですよね? そのあとのことも、シュナイダーさんなら把握してますよね?」
いくらなんでも救急車がくるタイミングが早かった。あのXが落下した直後にでも連絡していないと、あのタイミングではこないだろう。そして、怪我人が出たと瞬時に判断して、でも部外者の自分が連絡していいだろうかなどとためらうこともなく、即電話する人間など他に思い浮かばない。
「君のサポートも私の仕事ですからね」
シュナイダーは少しだけ微笑んだあと、
「あの男の子は、命には別状はないようです。ですが、怪我がひどいので入院することになっています」
どこから調べてきたのか、さらりと個人情報を述べた。
「そうですか」
生きていてくれるのならば、ひとまずはいい。でも、もしも、何か後遺症が残ったら。そしたらそれは。
「銀次くんのせいではありませんよ」
「俺のせいです」
朝も早いし誰もいないとたかをくくっていた。ちゃんと確認していなかった。いや、それよりももっとはやくあのXを倒せていたのならば。
「俺がもっと、ちゃんと、メタリッカーである自覚を持っていたら……」
結局のところ、それなのだ。
自分が戦っているのは消極的な理由だ。仕方なくだ。もっと、ちゃんと、それこそテレビの中の正義のヒーローに守る意思があれば、こんなことにはなっていなかったはずなんだ。
「なにもかもを、君が背負う必要はありません」
「でも、俺しかできないのに。俺が、ちゃんとやらなきゃいけないのに」
なにが正義の味方だ。人を、傷つけて。
シュナイダーが、ふぅっとため息のような息を吐いた。
「今日は、少し休んでください。お嬢様には伝えておきます」
「でも」
「そんな顔で、お嬢様の前に出れますか?」
言われて、左手で顔を押さえる。そんなひどい顔をしているだろうか。
「せめて、午前中は休んでいてください。いいですね?」
「はい……」
仕方なく頷いて、自室に戻る。
体の中のXが暴れる痛みも、今日はそこまで気にならない。気にしていられない。
床にずるずると座り込むと、立てた膝に額を押し付けた。
「俺のせいだ」
一人になると思考がぐるぐると回り出す。
今更自分にできることは、なにもない。あの男の子の無事を祈る以外は。
「白藤また具合悪いの? 大丈夫?」
シュナイダーから話を聞いたアリスは、朝食の手を止めて、執事長を見上げた。
「ええ。風邪でも流行っているんですかね」
しれっとシュナイダーが答える。
きっと、嘘だろう。風邪ごときで、あの職務に忠実な白藤銀次が素直に休むとは思えない。休めってアリスがいっても、断るのだから。
「わかった。今日は出かける用事もないし、大丈夫」
アリスの返事を聞いて、シュナイダーが食堂から立ち去る。
さて、どうしたものか。
ちょっと考えてから、
「ねえ、優里」
壁際で控えていた優里に声をかける。
「お願いがあるんだけど、いい?」
「まあ、アリスお嬢様。優里がお嬢様のお願いを聞かなかったことがありますか? なんでもお申し付けください」
大仰な動作で返事がかえってきた。このメイドはたまに、反応が重い。
「あのね、白藤の様子を見てきてほしいの」
そういうと、優里の顔がぴきり、と固まった。アリスの前では笑顔の彼女が、アリスの前でこんな能面な顔をするなんて珍しい。
「ヤダ?」
「いえ、いやというわけでは……なくはないのですが。とはいえ、アリスお嬢様のお願いですし、それを優里が断るというのはあってはならないことで。とはいえ、なぜ銀次さんのというところが」
ぶつぶつと優里は一人で呟いている。
本当ならば自分が様子を見に行きたいが、アリスに何か隠し事をしている以上、銀次にとって迷惑になる可能性の方が高い。まあ、この期に乗じて、隠し事の正体を暴くのでもいいんだけれど。しかし具合が悪い人にそれはフェアじゃない気がするし。
優里ならば、秘密のことも知っていそうだし、適任だろう。
「かしこまりました」
優里は何やら一人で考えこんでいたが、次にアリスの方を向いた時には、綺麗な笑顔をしていた。
「銀次さんに貸し一でお引き受けします」
普通に引き受けて欲しかったのだが。まあ、いいか。
「うん、お願いします」
ゾワリ、なんだか悪寒が走って、銀次は目を覚ました。
また痛みで気を失っていたらしい。倒れ込んでいた床からゆっくりと立ち上がる。痛み自体は引いていた。
っていうか、なんだ今のは。この局面で風邪など引いたらやっていられないが。
時計を確認するが、さほど時間は経ってい
なかったことに安心する。
一人でいると余計なことを考えてしまう。やはり何か仕事をするべきではないか。とはいえ、この状況で車の運転をするのは不安があるが。などと考えていると、
「銀次さん、いらっしゃいますか?」
ノックの音とともに、声をかけられた。
「優里さん? いますが」
「失礼しますね」
優里が入ってくる。しかし、彼女が一体何の用だろうか。いつもと同じ仏頂面というか、無表情の彼女を見て不思議に思っていると、
「優しいアリスお嬢様が、銀次さんの様子を見てきてほしいとおっしゃるので仕方なくまいりました」
「あー」
淡々とした言葉の中に、どこか棘を感じて苦笑する。それは申し訳ないことをした。
「すみません」
「いいえ、そういえば、優里も銀次さんにお話ししたいことがありましたので」
「はあ」
立ち話もなんなので、優里に椅子を勧めると、自分はベッドに腰を下ろす。
「先ほどの戦い、中継で見ました。アリスお嬢様も一緒です」
優里の言葉に、一瞬呼吸が止まる。あれを、アリスに見られていたなんて。
「お嬢様は、なんて?」
「メタリッカーの、あなたのことはなにもおっしゃっていませんでしたので、ご安心を。救護にすぐに来なかった撮影スタッフのことは、少し責めていらっしゃいましたが」
実にアリスらしい考えに、思わず乾いた笑いが漏れる。
「そうですね、お嬢様はそもそもメタリッカーを正義の味方だとは信じていませんもんね」
だとしたら、落胆することもないだろう。それが良いのか悪いのかは、銀次にはわからないが。
「お嬢様にとって、メタリッカーは期待する存在ではなくて、あの状況下で人道的な行動を期待できたのは撮影スタッフという人間だったんでしょうね」
そう、期待されていない。認められていないのだ。彼女に、自分は。
なのに、どうして自分は頑張っているのだろうか。
いや、違う。頑張るより他ないのだ。たとえアリスに期待されなくても、認められなくても、この世界を守れるのは自分だけなのだから。
「優里は、銀次さんに対して怒っています。腹を立てています」
優里の淡々とした言葉に、すっと心が冷える。
そうだろう。それが普通の反応だ。だって自分は正義の味方なのに、あの少年を守れなくって。
「はい。俺は自分でもメタリッカーが許せません」
ぐっと拳を握る。どうして、自分はうまく対応できなかったのか。どうして。
「なにをおっしゃってるの?」
またぐるぐると始まりそうだった内省は、優里の不思議そうな声に遮られた。
「え?」
「優里は銀次さんが許せないんです。メタリッカーの話などはしていません」
優里はまっすぐに銀次を見ると、少し唇の端をあげた。笑みを描くように。
「銀次さん、あなたの仕事はなんですか?」
「え、世界を守るっていう」
「それは、あなたの仕事ではありませんよね? あなたの、職業を聞いているんです」
質問の意図がよくつかめないが、答えは迷うこともない。
「お嬢様の運転手ですが?」
「そう、あなたはアリスお嬢様の運転手です」
言って、優里は穏やかな笑みを浮かべた。
普段自分に向けられることのない笑顔に、逆にぞっとする。
「銀次さんはアリスお嬢様の運転手なのに、その仕事をおろそかにして、メタリッカーになんかうつつをぬかしている。そんな銀次さんのこと、優里は許せません」
微笑んだままの言葉に、ああ、彼女は本当に怒っているのか、と思った。怒っているのはわかったが、なんか大幅にずれている。
「いや、その、確かに最近運転手の仕事ちゃんとできていないことが多いんですけど。ですが、Xを倒せるのは俺だけで、メタリッカーとして平和を守らなければ」
「確かにそれも事実ですね」
弁解の言葉はやんわりと遮られた。
「ですけど、あなたはアリスお嬢様の運転手です。なのに、銀次さんは今、世界を守ろうとしている。ちゃんちゃらおかしくて、臍で茶が沸いてしまいます。いいですか、銀次さんは」
そこで優里は一段と綺麗に微笑んだ。思わず見惚れてしまうような、綺麗な微笑。しかし、相変わらず、笑うタイミングがおかしな人だ。
「アリスお嬢様を守っていればいいんです。世間などではなく」
言われた言葉を理解するまでに時間がかかった。
「……いやいやいやいや」
言葉を飲み込むと、それから顔の前で軽く片手を振った。
「おかしいでしょうそれ。どれだけ公私混同なんですか」
「おかしくなどありません。銀次さんはそうすべきなのです。少なくとも、優里ならばそうします。アリスお嬢様をお守りするために、世界を救います。優里はそういう、心構えの話をしているのです。大体、銀次さんには世界を守ろうなんていう心構えなんてありませんよね? あなたはただ、流れで仕方なく変身しているだけなのです」
最初は腹が立った。なにをわかったようなことを言うのかと。とっさに反論しようと口を開きかけて、だがすぐに言われた通りだと思い直した。自分は、仕方なく変身して、戦っているだけだ。
だから、正義のヒーローにはなれなくて、アリスにも認めてもらえなくて、あの少年を傷つけた。
「なんだか、優里の言葉、ちゃんと伝わっている気がしませんね」
再び膝の上でぐっと拳を握った銀次を見て、優里がため息をつく。
「心構えがないと、危ないですよ。無事に帰って来なければならない、という意思が失われます」
再度、言葉を続けられるが、いまいち何を言っているかがわからない。
「帰ってくるぞ、という意思は人を現世にしばりつけます。引き止めます。今の銀次さんにはそれが足りません。優里はそれが心配です」
そこまで言うと、優里は立ち上がった。
「優里が言いたいのはそれだけです」
それだけって結構いろいろ言われた気がするけど。
「今はわからなくても構いません。ですが銀次さん、優里が言ったこと、覚えていてくださいね。例え何があろうとも、今言ったことは本心です」
まっすぐに見つめられ、そう宣言される。なんか重いが、一体何なのか。
「銀次さん、アリスお嬢様を泣かせたら、優里が許しませんよ」
真顔で淡々とそう付け加えると、銀次の返事も待たずに部屋から出て行った。
「……何なんだ、あの人」
いつも意味がわからないと思っていたが、今日は一段と意味がわからない。
世界ではなく、アリスを守るために戦う? そんな自分勝手が許されるというのだろうか。力を得たものが、それを大多数の平和のために行使するのは当たり前で、それはそんなに非難されるようなことだろうか?
疑問を感じながらも、銀次も立ち上がる。
優里に煙に巻かれたせいで、少し気持ちが晴れた。晴れてしまった。
シュナイダーに頼んで、あの男の子の様子を探ってもらおう。それから、アリスにも心配をかけているようだから謝罪して。
頭の中で予定を立てながら、身だしなみを整える。
手袋がきちんとはまっていることを確認する。
そうしながらも、優里が何を言っているのかはわからなかったが、彼女が自分を心配してくれたのは確かなのだな、と思い直した。それはきちんと、感謝しよう。
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