八 記憶


 男は、隔離した後に捨てる場所の手配を行っていた。

 浮き島に置いておく。仕方がない。こんなことに浮き島を使うことになるとは。

 湖を一つ潰し、穴も掘る。地図を、眺めていた。


「署長」


 イヤホンの向こうからだった。男ははっとして顔を上げた。

 スクリーン。

 何か光った。落ちてくる。いや、進んでいる。遠くの砂浜に落ちた。


「何だ。おい」

「わかりません」

「穴の方から、飛んでこなかったか」


 確かにそう見えた。超安定物質の流れの中から、飛び出してきたように見えた。

「何人か連れて、見にいけ。カメラはそのままで、映像は途切れさせるな」


 スクリーンの向こうで画面が揺れる。駆けているのだ。息を切らしている。大分、遠くに落ちたようだ。男はまた、地図に目を移した。


 しばらく、スクリーンは穴の様子を映していた。

 大きくなっていた。約五メートル伸びた。かわりに出てくる超安定物質の勢いが、少し弱まった。空間が流れの勢いで押されたか。


 まるで、決壊したダムだ。少し日が高くなってから、スクリーンに部下が映った。

「あれは、何だったんだ」

「署長、おちついて、聞いてください」

 部下は、緊迫した表情をしていた。


「どうした」


 言葉を、選んでいる。


「早く言え」

「向こうの者が話をしたい、と言っております」

「誰だ」


「向こうの者というのは、その、別の世界の人間です。砂浜に落ちたものはロケットでした。そしてロケットを飛ばしたのは、穴の向こう側にある世界の人間でした」

 超安定物質がこの世界に現れてから、予想はされていた。同じように、世界や宇宙がいくつか存在する。だが、信じがたい。


「つなげるか」

 男は、無理に落ち着こうとしていた。

「はい」

 部下が、歩き始めた。自分が無理に落ち着こうとしていることを、男は理解している。


「どこにも漏らすな」

「わかっています。向こうも同じことを言っています」

 粗末な、小屋。机に、ノートパソコンのようなものが置かれていた。カメラをつなぐ。

 自分が映った。


「映っているのか」

 スクリーンに映った自分が言った。


「署長。向こうの人間も、署長です。私が聞いた限りでは、不完全ではありますが、お互いにそっくりな世界です。つまり、向こうにいる人間というのは、あなたです」

「Eと、呼ばせてもらおう。私はDだ」


 唐突に自分が言った。表情はない。男は戸惑いながらも、何か言おうと口を動かした。まだ、信じられない。


「E。まず、こちらの話を聞いてくれ。我々が、宇宙とか、世界などと呼んでいるものは、あと三つある。少なくともな。全部で五つだ」


 画面に映るDと名乗った自分は、手を動かしながら、淡々と話した。

 男は、水を飲んだ。それから大きく息を吐く。


「D。我々は、まだ状況を把握できていない。同じような世界がそちらにもある、ということはわかる。その、宇宙の外側にはさらに空間があり、目に見えない物質、こちらでは超安定物質と呼んでいるもので、満たされている。そうだな」


「超安定物質。ああ、そうだと、我々も思っている」

「穴の話を、聞かせてくれ」

「やはり、私だな。話がわかる」


 Dが、笑った。


 カメラを引く。後ろには、同じように部下たちがいた。同じ顔である。引きつった顔で、こちらを見ている。

「E。穴は、いくつある」


「三つ。我々が認識できているものは三つだ。つい先日、大きいのがあいた。直径が、三十五メートル。そして、三十五年前にひとつと、その次の年に、一つだ」


「大きいのが、昨日か」


 Dは、渋い表情で、一瞬下を向いた。

「すまないが、穴をあけたのは、我々だ」

「なんだと」


「同じ大きさだ。こちらも三十メートルほどの穴だ。ちなみに今、二つの世界の距離は零だ。通信に遅れはないだろう」


 空間の距離が、零?


「どうやって。いや、そんなことができるのか」

「我々がやったわけではない。周期的なものだ」

「何か、原因があるのか。他の世界もあると言ったな。話を、させてもらえないか」

「今は、できない。原因はわからない。それより、Fはあるのか」


 男は混乱した。しかし、めまぐるしく、いま自分がしなければいけないことを推測した。


「ない。というより、わからない」

「こちらは、Cが穴をあけてきた。通信用の機器も飛んできた」

「だから、Dか。それで、あの穴はどうしてくれるんだ。そっちにも穴はあいているんだろう」


「ああ、だから、あの物質を世界の外に出そうとしてきた。三五年もかかった」


 三五年。


 自分たちとは異なる世界。


「それで、とうとう、可能にしたというわけか」

 それが本当なら、差がありすぎる。技術。力。文明。三五年で、そんなことが可能なのか。いや、CやBの世界の技術なのか。


 どこまで、異なっている?


「その方法を、教えてくれ」

「そっちは、今まで何をしてきた」

「同じように、穴を開けようとしていた」

 男はとっさに嘘をついた。部下たちは目だけ、自分の方に向けてきた。

「穴をあける技術は、こちらの方が上か」


 Dの表情は動かない。

 向こうも探っている。

 男はそう確信した。

 どちらが、上なのか。


「E。本当にFはないのか」

「ない」

「その、超安定物質はどうしている」

「D、そっちは」

「穴をあけることに力を注いできたが、隔離はできている。陸に、置いてある」


 同じだ。


「そっちにあいている穴は、幾つだ。全て、BやCやAにやられたのか」

 少なくともこちらが穴に向けて撃ったロケットは、行方知らずだ。

「いや、単純に、空間が破けただけのものもある」


「何を隠しているのかはわからないが、D。お前と私はきっと、同じ人間だ。それとも同じなのは、見た目だけか」

 向こうの部下の表情が、僅かに曇った。男はそれを見逃さなかった。


「どちらの世界が上か。そうだろう、D」

 何か、隠しているな。やはり他人ではない。これは自分との、騙しあいだ。CやBは、もっと進んでいるのか。こちらに知る術はない。少なくとも、Dはこちらと協力できるかどうかを探っている。


「いわゆる、並行世界なのか」

「こちらは、そう思っている。全く、同じではないがな」


「他の、C、B、Aは、もっと進んだ文明なのか。超安定物質を、どう扱っているんだ。燃料にして、車でも走らせているのか」

 おそらく、Dにこちらの世界を知る術はない。この通信機だけだ。

「さあな」

「我々は、協力関係にはないのではないかな、D。もしかすると、他の世界の者から連絡があるかもしれない」


「待て、E。あの物質をどうにかする方法があるのか」

 やはり向こうは、穴をあける以外には隔離するしか方法はないのだ。しかしこちらは、穴をあける方法すらない。

「しばらく、時間をくれないか。混乱しているんだ」


 Dは、考える表情をした。


「いいだろう。明日、もう一度、電源を入れてくれ。電源が入れば、通信はできる。一週間は、持つはずだ」

「電源を落としてくれ」

 男は部下に言った。まだ、表情は緩めない。


「同じボタンを長く押せ」

 Dが言う。画面は暗くなった。男はイヤホンマイクを外した。

「署長」

「少し、考えさせてくれ」

「署長一人の問題では」

「わかっている。そんなことは」

 乱暴に、机を叩いた。


「作業を続けろ。少しでも、海の汚染を防げ。今はそれだけに集中しろ。このことは、まだ誰にも言うな。私はどうにかして、奴から穴を開ける方法を聞き出す。間違いなく、録画できるようにしておけ」


 向こうにいるのも自分。他人ではない。そうとしか思えない。自分のことは、自分が一番わかっている。向こうは、自分たちの世界に穴をあけられることを恐れている。追い詰められているように思える。


 自分ならどうする。

 私に何ができた。記憶をさかのぼる。考えろ。自分ならどうした。


 まだ、若かった。権限などほとんどない。だが、この組織にはいた。どうやったら、穴を開ける技術を開発できた。きっかけはなんだ。自分が関わっているのだから、必ず繋がりがあるはずだ。


 男は、それだけを考え始めた。

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