動き始めた状況

 翌朝。駅に着いたら、なぜか暁里がそわそわしながら待っていた。

 その様子に思わず笑いそうになったがそれをおくびにも出さず、俺はいつも通りに挨拶を交わすと、なぜかがっかりしたように溜息をつかれた。

 それを無視して移動を促し、電車に乗る。いつも以上にボーッとしている暁里は、突然ハッとしたあとで頭を左右に振るとまたボーッとし……を無限ループのように繰り返している。


 何をやってんだか……と、半ば呆れたように暁里を見る。

 見てる分には飽きないし、時々唇に指先をあてて頬を染めていることから、昨日のキスのことを考えているのが丸わかりだった。

 不安が取れたならそれでいいが、こんな調子で仕事は大丈夫なのか? と逆に心配になってくる。まあ、その辺りの切り替えはきちんとできるようなので、防衛省に放り込むまでは彼女がドジらない程度にフォローしてやるとしよう。


 結局は何事もなく暁里を防衛省に送り届け、「夕方にまたな」と暁里に告げると嬉しそうに笑顔を浮かべた。


 その時、白くて長いウサギの耳をダランと下げ、鼻をピクピクと動かし、短い尻尾が嬉しそうにブンブンと振られている幻を見た気がした。



 ***



「篠原、彼女の上司に連絡しておいたぞ」

「早いですね。と言うか、彼女の上司がよくわかりましたね」

「その辺りは企業秘密だ」


 出勤早々に上司に話しかけられ、その答えに苦笑する。時々、この人の情報ネットワークや人脈がどうなっているのか、知りたくなる。聞いたところで教えてくれるとは思えんが。

 それはさておき。


「で、場所はどこだったんです?」

「まだ特定はしていない。ガセだと困るからミヒャエルとクロエ、二人の上司が探りに行ってるが、十中八九間違いはないだろう」

「そうですか。あの三人なら宝探しが得意ですから、大丈夫そうですね。ただ、その場所の周辺に一般市民がいなければいいんですが……」

「恐らく大丈夫だろう」


 そんな話をしながら、今後の予定を全員で詰めていく。病院や自宅周辺の警備をどうするのか、近隣住民に協力を仰ぐのか。

 病院と自宅周辺に関しては人員的な問題から現状維持、その代わり近隣住民に協力を仰ぐことにした。というか、既に知らせて協力を仰いでいるという。


 だからあの視線の数々なのかよ……と納得する。つうか一言いえよと内心溜息をつきつつも、場所の特定がされたらまた話し合うということで、それぞれの業務に戻った。

 本格的に奴らが動く前に、暁里にもできる簡単な護身術を教えておくかと、あれこれ考える。


 お昼近くに課長に連絡が入ってちょっと出かけたものの課長は戻らず、結局「特定はしたが、念のため潜入捜査をしてくる」と連絡があり、本部からの出向組である三人はその日のうちに戻ることはなかった。


 そしてその日暁里を迎えに行くと、そこには暁里だけではなく仲のいい友人女性二人も一緒にいた。いつもなら俺を見るとニヤリと笑って暁里を突いてから離れるのに、今日に限って眉間に皺をよせて辺りを窺うように目線を動かしていた。


「やあ、お疲れ様。二人も一緒なんて珍しいな。どうした?」

「あ、よかった! 貴方を待ってたのよ」

「俺を? 何かあったのか?」

「ええ。実は……」


 俺が声をかけることでホッとしたらしい二人は、何があったのか簡単に話してくれた。

 今日のお昼頃、いつものように三人でランチに出かけ、何を食べようか話していたところ、車道に停まっていた車からサングラスをかけた黒服の男が二人降りて来て、暁里を拉致しようとしたそうだ。

 咄嗟に二人して声をあげると体格のいいスーツを着た男性が「どうした!」「大丈夫か!」と声をかけながら走って来て、すぐに二人を拘束したうえで警察に連絡してくれたという。

 その間に車は走り去ってしまったらしい。

 車のナンバーを聞いたが、そこまでは見ている余裕はなかったと言った。


「三人とも大丈夫だったのか?」

「はい。そのあと警察で話を聞かれましたけど、大丈夫でした。ただ、警察から帰って来てから暁里の顔色が悪くて、ずっと貴方の名前を呼んでて……」

「そうか……。一緒にいてくれてよかったよ」

「いいえ」


 今度おごってくださいと言った二人に、「安月給にたかるなよ」と答えてから二人を帰らせた。……まあ、言うほど安月給というわけではないが、それは言わないお約束ってやつだ。


「暁里?」

「と……しろう、さ……っ、怖かっ……」

「よしよし……よく頑張った」


 青ざめながらぼんやりしていた暁里に声をかけると、途端に目に涙を浮かべて抱きついて来た。安心させるように背中を叩いてやるが、一向に収まる気配がない。

 さて、どうするか……なんて思いながら建物のほうを見たら、玄関口から見知った顔――重光と杉下が、俺のほうを見てニヤついていた。商店街でのあれこれを知っている身としては、人のことは言えんだろうがと内心悪態をつきつつ、何とか暁里を促してその場をあとにした。


 そして駅に向かいながら、先ほどの話のことを踏まえて、思いを廻らせる。考えられることはいくつかある。


・暁里の周囲に人が絶えずいるし、常に一緒にいることから昨日狙われたのは俺のほうだった

・昨日失敗したことから、暁里を直接拐うことに切り換えた

・助けに入ったのは同僚で、一般人を装って課長と一応警察に連絡した

・課長は今も警察にいて暁里の状況を説明し、犯人の引き渡しを交渉している


 こんなところか、と考えていたら課長からメールが入った。予想通り暁里が狙われたことが書いてあり、犯人の身柄も引き渡してもらったらしい。


 こりゃ、早いほうがいいかもな……と考える。状況が動き始めた以上、早々に教えたほうだよさそうだった。

 どこで教えるかねぇ……と思い至ったのは、【とうてつ】の裏庭だった。夏や花見の時期は裏庭を解放しているが、この時期は解放していないから訓練できる。

 妹夫婦と義弟の両親に許可を得てから暁里に話をするかと、今後の予定を立てる。彼女に教えるのは、逃げやすくするためのものだ。

 ただ、それが通用するかわからないのが痛い。

 それでも教えないよりはマシだと考えて、三つばかり教えることにした。特にパンプスを履いている暁里には、そのうちのひとつは、もってこいのものだ。


 少しでも、誘拐される確率を減らすことと暁里の安全を確保する……。それだけのために教えたものがのちのち活きて来るとは、この時の俺は思いもしなかった。


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