当たり前を楽しめない。
自閉症の児童向け、なないろキャンプには自閉症のきょうだいだって参加する。
そのきょうだい児の担当するボランティアが赤いドレスを纏った男だったとは。
「目印のためにわざわざドレスを買ったのてすか?」
「この服は、大学で一目惚れした人に2度目の告白の際に着たざます」
「うおお。情報量いと多し」
1回目の告白で「赤いドレスが似合うひとじゃないと恋人にしたくない」と言われたので(これ、交際を断るための口実なのでは?)、独学でメイクをしてリベンジ告白にトライしたそうだ。
言われてみるとお化粧もしている。似合っている。そのために努力をしたのだろう。
「でも『男としか見られない』とフラれた。とても申し訳なさそうだったわ」
「申し訳がないというより、困っていたんじゃない? 1回目ですでに──」
「シン子、何も言うな」
オレはシン子を制した。
本人は気づいていないし、わざわざ教えるほどではない。ここは神妙な顔で頷いておけばいいのだ。
「でもおかげでメイクの良さに気づいて、たまにやってる」
「学校に行く日もやってるの?」とシン子。
「たまにね。はじめのうちは、みんなびっくりしていた」
「女の人そっくりになるからねぇ」
オレはメイクだけしていると想像したので、シン子の発言を理解するまでに数秒かかった。
そうか。メイクをするからには、ガッツリ
女装までしているのか。目立つなあ。
化粧というのは女性がするものだと刷り込まれているせいで驚いてしまうな。
「でもメイクに詳しい女子とは盛り上がらず、コスプレイヤーが興味本位で聞かれるくらい。非現実的なものとして扱われる」
「メイクはお母さんがやるイメージだからね」
珍しがられるのは当然だよと、シン子は堂々とした態度で言った。同情的ではない。
べつに、林堂さんは同情を求めていなさそうだ。でも、このトークで適切な反応って何だろうかと迷ってしまう。
「その通り! メイクする男なんてレアキャラよ。だからこそ、オレが女子だったらメイクを当たり前に楽しめたんだろうと思う」
当たり前に楽しめない。
ふと、ある女の子を思い出した。
姉ひろみが小学生の頃、同じクラスの女子が憐んでいた。お菓子作りができない。少女マンガのハラハラドキドキがわからない。アクセサリーの魅力を語れない。
その子は「もったいない」と言いたかったのだろう。けれどべつに楽しさを知らないからといって不幸になるわけではない。
楽しみや幸せは人それぞれだ。
しかし当たり前を楽しめない林堂さんの場合は「人は人、自分は自分」の考え方が通用しないような気がする。共感されなくて寂しがっているように見えたから。
「落ち込んでいるの? でも林堂さんはメイクを楽しんでいるんじゃないの? だからメイクの良さに気づいたわけだし、まだやっているわけだし」
シン子は本気でわかっていない。この鈍感さは世の中を生きていく上で大事な感性だ。そのままの君でいてくれ。
「当たり前の楽しみか……」
オレは別の理由で心がザワついていた。
本人は興味があるのに「自閉症だから無理だろう」制限していたのではないか。
しかしひろみに尋ねても答えてくれないだろう。
「いやあ! 落ちるう!」
窓の向こうから悲鳴が聞こえた。たぶん上あたりから聞こえてきた。屋上か?
「ね! この場合、声が聞こえた上と、何かが落ちた下のうち、どっち行けばいいの?」
シン子はどちらかにいく前提で話している。我々は子供だからあえて近づかず、大人たちに任せていいと思うのだが。
「少なくとも下にいってほしくないな。もし落下したのが人ならショックを受けるだろうな」
林堂さんは真面目に考えている。人が落ちた前提で、一刻も早く降りたがっている。
「じゃあ上だ。悲鳴をあげた人を保護するぞ」
シン子が走り出したので後を追う。通り過ぎた階段まで戻ると、運がいいことに屋上へつながっていた。
「大丈夫ですか!」
まだ大丈夫というべきだろうか。男の子が柵を越えてふちに腰を下ろしている。
先ほど悲鳴をあげたのはボランティアのほうで、早く柵の内側に来て欲しいのに距離を詰められずにいる。
「さっきまでは柵にもたれかかっていたんだけど、不機嫌になって外側に逃げていって……」
ボランティアさんの声は小さくなり、目を逸らす。
それはオレが「柵にもたれかかる前に止めたり、そもそも屋上へ行かせなければこんなことにはならなかったのに」と言いたげだったからだろう。何か理由があるかもしれないと思ってあえて言葉に出さなかったけど、表情は隠せなかったよ。
「夢中になっている時に声をかけられるとウザがられますよね」
精一杯の同情を向ける。
男の子は熱心に眼下の景色を見下ろしている。単純に高い場所から見る風景が好きなのだろう。
「それにしても、どうしてここに案内したのですか?」
オレが呆れると、彼は慌てて首を横に振った。自分に非はないといわんばかりに。
「さっきまで絵を描いていたんだけど、突然こういちくんがクレヨンをひっくり返して」
「機嫌が悪かったのですか?」
「そんな雰囲気がなかったから驚いたよ。クレヨンを拾っている隙にこういちくんは部屋を飛び出して、ようやく見つけたと思ったら屋上にいたんだよ」
なるほど。そのためにクレヨンを落としたのか。なかなかの策士であるぞ。
「こういちは、屋上にたどり着く才能があるんだよね」
シン子は想定内のアクシデントとして受け入れている。
なるほど、この子は弟か。家族なら、この手の対処は把握済みだろう。
「ボランティアさんも困っていることだし、アドバイスを教えてほしい」
「対処? こういう時は飽きるまで見せればいいんだよ」
「放っておくのか?」
無理だ。こちらの気がもたない。
「だって飛び降りるつもりはないから心配しなくていいんだよ」
「万が一落ちたら? 楽しいキャンプが台無しだろう」
「そんなの自業自得じゃん」
男の子が自閉症のせいで、自業自得だとは思えない。そう思うと、どちらに責任があるのか迷うな。
「あ! あんな所に人がいる!」
「あきらめないで! 生きる希望を取り戻して!」
これから飛び降りると勘違いした人々が、地上から必死に励ましている。
そりゃそうだよな。いくら高い所が好きだからといっても、普通の人なら柵の向こうへまで行こうとしない。普通の人がへりに立つ時は飛び降りようとする時だ。
「ど、どうしよう。怒られる!」
ボランティアさんは事態の悪化に頭を痛めている。自分のことよりまずはあの子の心配をしてあげて!
ご家族のシン子は気にしなくていいと言う。たとえ身内の経験則に基づいた意見でも、こちらは不安になる!
ボランティアさんが優しく声をかけているが、こういちくんはガン無視。こてでも動いてやるものか。そんなオーラを感じる。
「こういちくんの好きなことって他にある?」
悲鳴を聞きつけてやってきたのだろう。男の人がシン子に尋ねた。
このお兄さん、見覚えがあると思ったら、別のトラブルを迅速に対処していたベテランさんだ。
「好きなことねえ……トランポリンとふうせんバレーかな」
「いいじゃん。じゃあそっちで」
彼は迷いなく柵を越えると、こういちくんの隣にしゃがみこんだ。
「20数えたら、大きなトランポリンで遊ぼう」
「……」
「トランポリン。楽しいよ。いーち、にーい……」
ゆっくりと数える。「10」でこういちくんは立ち上がり、自分の意思で戻ってきた。
やや早歩きから察するに、興味はトランポリンへ移っている。
誰もが胸を撫で下ろした。……かと思いきや。
「キイ! どうしてこういちをちゃんと見なかったの!」
こういちママが登場。めっちゃ怒ってるよ。一件落着したし、怪我人いないし、「いやー、ひやっとしたね」で済ませようではないか。ダメ?
「お姉ちゃんなんだから、気をつけていないと」
こういちママは、娘のシン子を叱っている。
「ごめんなさい。ボクがしっかりしていれば、こんなことには……」
こういちくんのボランティアが必死に謝っているが、ママは娘に怒りを向けている。
「あの人は今日が初対面で何も知らないのだから、キイが弟を見ておくべきだったのよ」
この母親、はなからボランティアには期待も信頼もしていない。その代わり、まだ小学生の我が娘に重荷を背負わせている。それも勝手に。
「あたしはきょうだいチームで別行動を取っていたんだから、止めようがないよ」
「それでも少しは気にかけたらどうなのよ。何かあったらどうするの?」
「だったら先に言ってよ! ちゃんと指示を出してくれないとわかんない!」
親子喧嘩が勃発。ここでファイティングするの? やめてよ。空気が良くないんだけど。オレ審判しないからね。
「とりあえず気分が変わるうちに移動しましょう」と、ベテランさんが「早くトランポリンで遊びたがっています」
本当だ。ニコニコ顔で体を大きく左右に揺らしている。この子はあまり喋らないけど目や素振りで感情が察せる。
「あたし知ってるよ。体育館にトランポリンがあるんだよ」
シン子は弟の手をとり、逃げるように階段を降りていった。その後を、ベテランさんがゆったりと追う。
「あの、親御さんから注意事項とか聞かれましたか?」
まさかと思ってオレが尋ねた。
案の定何も聞かされていないという。
「こういちくんは自閉症で自己主張ができないから、周りの人々が気をつけるべきだとはわかっているんだけど」
しかし一人の目では限界がある。だからこそ情報共有は重要だ。とくに「高い所へ行きたがる」は命を落とすレベルで危険だ。
前もって伝えるべきことを伝えずに、一大事になってから怒るのは理不尽である。
「ごめんなさい。これからはもっと警戒して面倒をみます。他に注意するべきことがあれば教えてください」
ボランティアさんは気を引き締めている。もう二度も危険に晒さないと、決意が伝わってくる。
その真意がどのように伝わったのか、お母さんはたじろぐように視線を逸らした。
「いきなりそんなこと言われても……」
答えられない。咄嗟に思いつかないのなら事前にトリセツを用意するべきだ。
「し、仕方がないでしょう。あの子は障がい者なんだし、危険がわかっていない」
だから周囲の健常者がいち早く危険を察知して未然に防ぐ。
その通りだ。そうなのだが、何かが足りていないような気がする。
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