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  •  身近に自閉症の方やそれに相当する人がいるわけではなく、もしも八幡西県研究室さんが、リサーチと想像だけで本書を書き上げたのであれば、間違いなく、作者様は怪物です。天才のうちの1人でしょう。

     初心者お断りにはなっているきらいは否めないものの、内容は秀逸です。作者様は本作を失敗と考えておられるようですが、大抵の読者にとっては、きょうだい児の日常というだけで価値があるはずなので、変にストーリーを作ってドラマ化するよりも、現在の内容で良かったのではないかと私は感じました。

     初めて『光とともに…』を読んだ際、作中で主人公のマスターベーションに触れたことに対して、私はあまりいい印象を抱きませんでした。しかし、本書でひろみの生理について触れているのを目にするにつき、障害者の性をタブー視せず、きちんと触れたことに大きな意味があるのだと、考えなおした次第です。

     それと同時に、『光とともに…』や本書も「子供の自閉症」をメインに据えていることが、ある意味では娯楽作品として美化できる限界なのでしょうね。御作でもご指摘があったように、子供であれば良くも悪くも「本人のできること」に限界があるので、大人のほうはドキュメンタリーに任せるよりない気がします。
     この観点では、本書のほうが『光とともに…』よりも大人の障害者について踏み込んだ気がしますが、あいにくと私は『光とともに…』を読破していなかったような覚えがあるので、断言は控えます。

     私見では、人間が人間の世話をするのには限界があるので、24時間365日文句を言わずに働いてくれるロボットのほうを、レベルアップさせるしかないと考えます(介護のシーンを含めて)。
     あるいは、脳ミソのすべてを理解できるようになれば、医学的なアプローチについても、選択肢の幅が増えるかもしれませんが……。仮に今後、誕生に際して”間引ける”ような社会になったとしても、いわゆる健常者が、後天的に脳に障害を負うことは十分に考えられるので、そうなったときに受け入れられるだけの社会(制度)は、どのみち整えておく必要があるのでしょう(私も考えが定まっていないので、”間引く”ことに対する評価は避けます)。

     少し話はそれますが、今後文明が発展し、人間が機械に管理されるような社会が訪れたとしたら、その管理に抗えるのは、高度に知性を発達させた一部のエリートだけになることでしょう。知的にハンディキャップを負った人々は、ロボットによる管理に抵抗できず、彼らの意のままに生かされます。
     やや飛躍した想像ですが、この未来においては、犯罪者(管理に抵抗する人々)の中に知的障害者は存在できません。そのような能力がないからです。健常者だけは、いつまでも犯罪者として居続ける――類書を読んでいた際に、ふと、私はそんな妄想をしました。隙自ですみません(汗)

    作者からの返信

     ひとりよがりの駄作に目を通していただけるだけでなく、こんなにも素敵なコメントを送ってもらえるなんて…!ありがとうございます‼︎

     インターネットや図書館でたくさん情報を集めたとはいえ、偏った思考で書いているなと執筆を進めていました。本当に嬉しいコメントです。

     『光とともに…』!図書館にあるので、ちまちま読んでいました!(意思疎通の問題で、主人公がカレーを食べ過ぎたシーンしか覚えていませんが)
     全巻読んでいないので、「自慰シーンあるの⁉︎」とコメントを読んで驚いています。
     お姉様の生理シーンは、わかる人には共感できる蛇足として書いていたので、深みのあるコメントに恐縮しています。

     自閉症を知らないまま大人になって、新しく迎えた家族が障害持ち……というパターンは珍しくないでしょう。実際、地獄に感じる親もいます。
     介助職の人は知識と理解があるうえに適した接し方も知っているので心強いのですが、たしかに限界があると思います。「世話をする」と「管理する」の違いを考えさせられます。


     後半の「発展した文明」を読み、たしかに重度の知的障害者は犯罪をおかさないと思いました。
     ケーキを三等分できない人や、コミュニケーションの問題で自分勝手な考え方で人に危害を加える存在を知り、「見分けのつかない障害者は怖いな」と思っていたので、「健常者だけが犯罪者として居続ける」の部分にハッとしました。
     健常者はサポートなくても生きていける代わりにすべてが自己責任なので、時として犯罪者になるリスクもかかえています。
     現代だって、本当はなんらかの障害を持っているのに診断されなかったから普通の人と同じ扱いを受ける……というパターンの「健常者」もいます。
     必要な人はサポートを受け、「管理されている」と思わないよう、最低限の選択の自由がほしいです。