いつか、どこか、誰か⑤

 のりこさんは消えてしまった。何度SNS内を検索してみても、あの自撮りアイコンを見つけることはもうできない。日課のようにあのアカウントを覗いては増え続けるフォロワーに苛々していたのも、もう過去のことだ。のりこさん、という単語を含んだ投稿自体も日を追うごとに減っていっている。もちろん、「のりこ」という名前の入ったアカウントは他にも沢山あるけど、幽霊の「のりこさん」についてのもの、ということだ。


 のりこさんへの願い事。のりこさんチャレンジと称して話題の場所で写真撮影するゲーム。のりこさんごっこで心霊写真ごっこの出来を競うタグ。それに――夜の空を飛ぶ白いの画像や証言。あの夜にあったことを考察する投稿も、せいぜい一週間くらいでめっきり少なくなってしまった。あんなに、ぶら下がるようにしてのりこさんに絡みに行っていたアカウントも、今では別の話題に群がっている。

 自分ばかりがのりこさんに関するワードを検索し続けているのは、おかしなことに思える。あんなに気に入らないと思って、見る度に腹に落ち着かない苛々を感じていたのに。今だって、その暗い感情は奥の方で渦巻いているけれど、それ以上に考えずにはいられない。


 あれは、一体何だったんだろう。あの、心霊写真としか思えない画像の数々は。


 あの夜、スマートフォンを覗き込んでのりこさんの投稿を追っていた。一体何をする気なのだろう、膨れ上がった期待にどう応えるつもりなのだろう、と好奇心と反発心に駆られて。炎上して痛い目を見れば良い、とも思っていた。でも――まさか、本当に事件になるなんて。


 最初に白いの投稿を見た時は、仕込みだろうと冷静ぶって考える余裕もあった。のりこさんが、信奉者に事前に画像を渡していた、とか。それで、怪奇現象が起きたように演出したんじゃないか、と。

 けれど、次々に増える投稿は、作り物ではないと思わせるだけの勢いがあった。投稿者の数自体が多かったのはもちろん、それぞれのアカウントは昨日今日作ったようなものじゃなくて、長年に渡って投稿や交友関係を積み重ねてきたような――中身のあるアカウントだった。少なくとも、追いかけて確認できた範囲では。

 画像の方に注目しても、撮影した場所も角度もそれぞれに違って、当然のように映っているらの動きもひとつとして同じものはなかった。だから、あれを全て作ったのだとしたらとてつもない手間暇がかかっていることになる。それなら、のりこさんはだったということなのだろうか。のりこさんにまつわる噂も、全部? 本物の幽霊がSNSに投稿して、その投稿に対して生きた人間が反応して、持てはやしていたというんだろうか。そんなことが、本当にあり得るんだろうか?


「なのに、消えちゃうんだもんなあ……」


 スマートフォンの画面をそっと撫でて、呟く。


 それまでの苛立ちはどこへやら、あの夜は不覚にも興奮してしまったのだ。これからどうなるのか、何が起きるのか。カメラが来てる、という投稿を見てテレビをつけてみると、まさにスマートフォンの画面と同じ映像が映っていたりして。事件に立ち合っている、という感覚は、確かに楽しかった。逃げようとする人たちと、その悲鳴に惹かれて押し寄せる野次馬のせめぎ合いが、SNS上の投稿で見て取れる気がしたものだ。


 なのに、のりこさんはアカウントごと消えてしまった。追及が及ぶ前に自らアカウントを削除して逃げた、という説もあったし、当局――一体どこのことなんだか――によって消された、という説もあった。もしも世間の混乱を見て楽しもうという愉快犯だったとしたら、まんまと手中に嵌ってしまったということになるだろうか。


 真実が何にしても、のりこさんと一緒にあんなにいたフォロワーも消えてしまった。いや、のりこさんをフォローしていたアカウントは残っていても、あれだけの注目を集めた、その中心がもういない。あんなに羨ましく妬ましく、指を咥えて眺めていた存在が、こんなにあっさりと消えてしまうなんて。ネット上での人気や評価なんて、しょせんは虚しいものだったんだ。

 自分のアカウントの画面を覗いてみる。フォロワーの数字のところをなぞってみる。のりこさんに比べれば、吹けば飛ぶような小さい数字だ。こんなちっぽけなものに、どうしてあんなに夢中になっていたんだろう。あの夜の高揚が醒めるにつれて、SNSへの執着も薄れていっているのが、はっきりと分かる。


「……消しちゃおう、か……?」


 アカウント削除画面を開いてみる。「退会する」というボタンに触れて、でも、削除する勇気はまだ出せない。声に出して、自分に問いかけてみても、後押しにはまだ足りない。多分、そうした方が良いと分かっているのに。SNSに費やした時間や労力や心の余裕を、もったいないと思ってしまう。偽ったことも多いし、人間関係も惜しむようなものではないと分かっているのに。でも――思い切って、やらなくては。


「――っ!?」


 思い切って、目を閉じて「退会」ボタンをタップしようとした時――手首が、冷たいものに掴まれた。


「何、これ……!?」


 目を見開いて、そしてなお、視界に映るものが信じられなくて、呻く。

 手首に白い指が食い込んでいる。痛いほどに締め付けて、動きを妨げるその指は、スマートフォンから生えていた。画面からにゅっと突き出す白い手、白い手首。白くて――冷たい。死体のような感触だ、と思った。


「――のりこさん!?」


 ありえない白いの出現は、あの夜に出回った画像を思い出させる。だから、のりこさんがついに自分のところに現れたのか、と咄嗟に考えたけど――


 ――違うよ。一緒にしないで。


 スマートフォンの画面は、いつのまにかSNSのメッセージ欄になっていた。ど真ん中からが生えてはいるけれど、余白の部分は十分にある。自分自身のアカウントから届いたメッセージを読みとるだけの、スペースが。まるで、SNSのアカウントが意志を持ったかのように、持ち主のはずの存在に話しかけてくる。


 ――いらないなら、消したりしないでよ。ちょうだい。みんな、私に。


 メッセージが表示されると同時に、手首を掴む指に力が籠った。引きずられる。指先が、スマートフォンの画面に触れて――その中に、吸い込まれる。液晶画面が、水面のように揺らいでいる。指先の、第一関節では止まらない。掌も、手首も。腕も肘も、その上も。

 呑み込まれていく。みんな、と言われた通り。自分の全てが。そう気付いて心底ぞっとした。スマートフォンの画面に人が入るはずはない、なんて常識的な考えは通じない。ごりごり、ばきばきという音が身体に響いている。骨が砕け関節が外され、肉と神経ごと引き伸ばされる音だ。スマートフォンの画面を通り抜けられるくらい、細く細く、仕上げられていっている。


「な――」


 悲鳴を上げることはおろか、まともに驚くこともできないまま、肩、そして首までが呑み込まれていった。次は顔。口。もう声を出すことはできない。むしろどうして意識があるのか分からない。ひしゃげた頭がスマートフォンの画面を通る瞬間、横目に新しいメッセージを見た。


 ――私ならもっと上手くやるから。ずっと見てたから。


 もっと――誰より? 見ていたというのは、自分のことか、のりこさんか。これは、のりこさんみたいな存在なのか。のりこさんもだったのか。

 頭が吸い込まれて、後は身体だ。残った方の腕がばき、と音を立てて折られた。白い腕がやったのだろうか。痛くはない――でも、怖い。なんだ、これは。一体何が起きている。背骨、肋骨、骨盤。なんでこんなに細かく砕けてしまうんだ。今、どんな姿になってしまっている? この頭は――頭の形をしているなら――何を見て感じて、認識している? 何も見えない。分からない。なのにどうしてまだ考えることができるんだろう。


 腿までが呑み込まれたので、せめてもの抵抗に脚をばたつかせる。でも、無駄だ。現実リアル側に残っているのは膝から下だけ、それもあと数秒も掛からない。


 これ、後はどうなるんだろう?


 ふと思いついた疑問は、何よりも、この状況自体よりも恐ろしいものだった。肉体が全てのみ込まれてしまったら、後に残るのはスマートフォンだけ? 自分は、失踪したように見えるのだろうか。ことになっていると気付いてくれる者は――いない。自分で距離を置いたから。友人らしい友人ももういない。家族にも呆れられている。家出したとか、ふらっと旅行に出たとでも思われたら。誰にも、探してもらえない。誰にも、見つけてもらえない。死んだことさえ気づかれない。


 そんなのは、いやだ。


 叫ぼうとしてもそんなことができる口はもうなかった。そして、考えている間にくるぶしまで呑み込まれた。足の爪先をどこかに引っ掛けようともがいたけど、あの指に――多分――そっと抑えられて画面に押し込まれた。

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