辻隆弘 実況
しっかりしろ、と。頭を振って自らを叱咤しつつ手の中のスマートフォンを見下ろす。すると、彼のSNSアカウントに宛てて、次々とメッセージが送られていた。彼のアカウントの存在を知っている者はごくわずかだから、その相手も限られる。つまりは、
――隆弘、今どこ?もう時間でしょ?
――ちょっと迷ってて。今、池っぽいとこにいる。
――なんでよ。そよ風の広場って言ったでしょ。彫刻があるとこ。
返信がスマートフォン上に表示されたどうかのうちに、さらに詰問のようなメッセージが被せられる。元々のりこさんはレスポンスが早いけれど、今夜に限っては反応の早さはプレッシャーというよりも相手の焦りを感じさせる。
相手の計画を狂わせてやっている、という優越感が、隆弘の口元に弧を描かせた。もちろん、笑みというには引き攣った表情だろうけど。この優越感――油断は、文字通りの意味で命取りにもなりかねない。のりこさんは彼を殺すつもりだということを、決して忘れてはならないだろう。
――看板あった。せせらぎの小径、だってさ。そっちから来てよ。
ちらりと目を上げてみると、メッセージにあるのと同じ文字がまるっこいフォントで記されている。小さな滝もある水路に、子供が水遊びできるようなスペースもあって、昼間なら高い笑い声が満ちているかもしれない。今はただ、水が静かに流れる音が聞こえるだけだけど。
――嫌!もう来てるんだもん。なんで変なとこ行っちゃうの!?
幸いに、のりこさんは隆弘の言い分を疑っていないようだった。ただ、安心しきることもできない。「もう来てる」のはのりこさんだけではないのだろうから。のりこさんのフォロワー――つまり、隆弘の変死というショーを見せつけるための観客も、この公園に集まりつつある。なのに肝心の隆弘を見つけられていないからこその、のりこさんの不機嫌でもあるのだろう。
隆弘は、自身のアカウントのページから離れて、SNSの検索ウィンドウを立ち上げた。スマートフォンというものに馴染みがなかった彼なのに、ここ最近でフリックやスワイプの操作がすっかり身についてしまった。暗闇の中、青白い光に目を瞬かせながら幾つかのワードで検索すると、この場所がちょっとした話題になっていることが分かってしまう。
――××公園、何でトレンド入りしてるの?
――来るなよ、絶対に来るなよwwww
――OK、来いってことだね(`・ω・´)b
――心霊的なイベント?すごいよくできた画像!
――酔った勢いでちょっと凸ってみますヾ(*´∀`*)ノ
――のりこさんって誰?っていうか何?
そういった投稿をしているアカウントの多くは、同じ動画を拡散、あるいは引用していた。ほんの幾つかの街灯にぼんやりと映し出される夜の広場。黒い空を、濃度の違う黒で切り取る木の影。そして、あの白い
その動画の撮影場所として、この公園の名前が添えられていたのだ。分かり易すぎる
「肝試しとか、ちょー久しぶり。ワクワクしない?」
「子供かよ」
「えー、だってえ」
複数の人の笑い声がすぐ傍で聞こえて、隆弘は慌ててスマートフォンを抱え込んだ。画面が放つ光は、暗闇では意外と目立つ。公園の暗がりに佇む男など、不審者以外の何ものでもない。余計なトラブルは避けたかった。
「ま、皆で行けば怖くない、ってな」
「心霊写真撮れたらどうする? どっか、売れないかな」
男女の混じった、若い声だった。学生かもしれないし、SNSの投稿にもあったように酒が入っているのかもしれない。仲間内でのおしゃべりに忙しくて、木の影を覗き込む発想などないようだった。声は次第に遠ざかっていく。
「行った、か……」
口の中で呟きながら、隆弘はそっと肩の力を抜いた。握りしめたスマートフォンは、ちょうど心臓の辺りに置かれることになる。そこが痛いほどにどきどきと高鳴るのは不安と緊張のためだけではない。後ろめたさのためでもある。
のりこさんは、SNS上で注目を集めるように振る舞っている。のりこさんごっこをしていた女子高生の死によって高まった関心を煽るかのように、新たな材料を投げ込んで。人の死さえ利用するやり方に憤りつつ――でも、隆弘だって知らずに集まってくる野次馬を隠れ蓑にしようとしているのだ。白い
――もういいよ。探すから。どーせその辺にいるんでしょ?
隆弘のアカウントに宛てて、のりこさんからまたメッセージが届いている。フォロワーにも見せつけようというのか、プライベートではなく公開のメッセージだ。のりこさんがわざわざコンタクトを取る存在が珍しいのか、隆弘のアカウントからの返信にも、ちらほらと「いいね」のハートがついている。
「やれるものなら、やってみろ……!」
のりこさんの
探す、と言っても、のりこさんは隆弘の姿を知らないのだ。もちろんフォロワーたちも同様だから、SNSで呼び掛けて彼を狩り出す、なんてこともできない。あの白い
さっきの若者グループの後、隆弘の耳には人の声も足音も届いていない。ただ、水の音が微かに聞こえるだけで。公園の入り口は複数個所にあるけれど、野次馬が向かうのはのりこさんが指定したそよ風の広場の方だろう。
相手がこちらを特定できていない状況を利用して先手を取る。あるいは、隙を突く。それが、隆弘と矢野氏が考えた作戦だった。上手く行くかどうかは、まだ分からないけど――
「来る、か……?」
隆弘は手の中のスマートフォンに目を凝らした。のりこさんの宣言とほぼ当時に、SNSには新たな投稿が
――待って待って待って
――嘘だろ、何だこれ!
――手?
――フリじゃない、来るな
悲鳴のような短い投稿の数々に、スマートフォンを握る隆弘の手が汗で湿る。こういうのは実況、というやつらしい。発信するのは個人個人でも、まさに生の情報がリアルタイムで隆弘のもとに届けられる。……胸の、痛みと共に。
好奇心で集まっただけの野次馬たち。のりこさんのフォロワーも多いだろうとはいえ、実際に自分が怪異に襲われることを覚悟していた人なんていないだろう。白い手に襲われた人は、どれほどの苦痛に見舞われるんだろう。矢野氏の恋人――
もしも今夜犠牲になる人がいるとしたら、隆弘にもその責任の一端がある。のりこさんの――武井法子のアカウントを削除するパスワードを、彼は恐らく知っているのだから。今すぐにでもそれを使ってしまえば話は早いのに。そうしないのは、彼の個人的な感傷のせいだ。知人の行方を知りたい、という。
「ごめん……」
どうか、誰も死なないで欲しい。怖い思いをしたとしても、それだけで済んで欲しい。祈るように思うのは、身勝手な、けれど切実な願いだった。
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