閑話 いつか、どこか、誰か②

 ファンタジーの映画だったか何かのストーリーを、最近ふと思い出すことがある。敵の悪いヤツが、自分の魂みたいなものを分割して世界中のあちこちに隠している、という設定の話があったはずだ。もちろん、主人公側はその魔王の魂的なアイテムを探し出して破壊するのを目的にしている。海外の作品だったけど、マンガで昔からありそうな話だなあ、と思った記憶がある。


 そんな、多分もうかなり前の映画のことを考えてしまうのは、魂を分ける、という発想にどうも親近感を感じてしまうからだ。魔法だの魔術だのと非現実的な妄想に耽るような年では、もうないんだけど。誰にも言わない――色々な意味で、言えないことではあるんだけど。

 例えば、鞄にしまい込んだスマートフォンは、自分の一部、魂の一部みたいなものではないか、なんてことを、最近は考えてしまうからだ。例え触れて、弄っているのではない瞬間でも、鞄の中のスマートフォンに意識を向ける時、新しい通知が来てるかな、とか思う時。ひんやりと冷たいはずの金属の塊は、どういう訳か自ら熱を放って脈打っているものとしてイメージしてしまうのだ。そんなはずはないと自分に言い聞かせても、理性ではなく感情の問題だからどうしようもない。

 スマートフォンに魂を吸い取られている気がする、なんて。妄想にしても馬鹿馬鹿しい類のものだとは思うんだけど。




 最近、スマートフォンが変だ、と思う。スマートフォンというか、SNSが、と言うべきだろうか。スマートフォンといえばSNSでの交流がメインの使用方法だから、どちらでも良いのだろうか。とにかく、休み時間や家で寛いでいる時、いそいそとSNSを覗いてみても、あれ、と思うことが多くなってしまっているのだ。

 自分では覚えのない発言が、勝手に――としか思えない――投稿されてしまっている。自身の投稿でなくても、やはり記憶にない記事や動画や他の人の投稿を、拡散してしまっている。

 アカウントのっとり、というやつは知っているし怖いものとは認識しているから、もちろん変なウイルスやアプリに触れてしまっていないかどうかは何度も念入りに確かめた。でも、とりあえず確認できた範囲ではそんな形跡は見当たらなかった。そもそも、怖いと思っているからこそ、長年かけてフォロワーを増やしてきたアカウントが惜しいからこそ、日頃から訪問するサイトには気を付けていたし、怪しいリンクは踏まないように気を付けていたのだし。見落としがあるのか、巧妙な擬装に騙されているのか――可能性を考えればきりがないけど。でも、例えば不正なアクセスがあれば登録したメールアドレスに通知が来るはずでもあるし、やっぱりアカウントのっとりということではないのだと思う。……少なくとも、普通の意味では。


 だって、覚えのない投稿と言っても、何かしらの詐欺めいたサイトに案内するものだとか、猥褻な内容とかいうことではないのだ。ごく普通の日常のこと、世間で話題になってることへのコメントだとか、今日あった出来事だとかばかりで。それこそ自分だって呟きそうなことばかり――そう、だからこそスマートフォンに魂が、なんて思ってしまうのだ。SNSにのめり込んでいる自覚はあるけれど、いつもいつも「あちら」の世界を気にしているからと言って、SNS上の人格が生れてしまった、なんて。そんなこと、フィクションならともかく現実ではあり得ないだろうに。なぜか、その馬鹿馬鹿しい考えが頭から離れてくれないのだ。




「珍しいね、お昼一緒にしてくれるなんて」

「まあ、ね……」


 にこやかに問いかけてくる相手の顔が、妙に苛立たしくてならなかった。やっぱり寂しかったでしょう、とでも言いたげで。いつも誘って来るから、今日に限って頷いてやったら、ひどく驚いた表情をしていた。どうせ形ばかりのお誘いで、本当に乗って来ることがあるとは考えてもいなかったんだろう。食堂についてそれぞれ注文を済ませても、何を話したらよいんだろう、という戸惑いがはっきりと伝わってくる。

 こちらとしても、それは同じことなんだけど。現実リアルの人間関係なんて面倒くさくてやってられない、と思う。SNSだったら、フォロワーの誰がどの話題に興味があるか、すぐに知ることができるのに。いちいち会話の中で探らなきゃならないなんて。目の前で顔を合わせていては、通知に気付かない振りを決め込むようなこともできないし。


「いつもひとりで何してるの?」

「別に。スマホで色々……ニュース見たりとか」


 歩きスマホをしているところは、色んな人に度々見られている。こいつにも、危ないよ、なんて言われたこともあるくらいだ。だから、そこを否定するのは嘘くさいだろう。スマートフォンで閲覧しているのは、映画でもドラマでもマンガでも良かったけど、重ねてどんなのが好きなの、とかほじくられたら鬱陶しい。SNS上で話題になることがある作品の、タイトルくらいはチェックしてるけど、中身まではいちいち把握していない。ちらりと他人の投稿を眺めただけでコメントして、本物のファンだかマニアだかから叩かれた記憶が苦々しく蘇る。


(こいつにどう思われても良いけど……)


 現実で起きたことは、ネット上のフォロワーの数には影響しないから。でも、話がややこしくなるのはとにかく面倒だった。万が一、相手も挙げた作品を好きだったりしたら、これからも絡まれてしまうかもしれない。


「ふうん。なんだっけ、SNS……とかは、やってないんだ」

「……やってないけど」

「よくスマホ見てるから、そういうのやってるのかと思っちゃってた」


 まさに頭の中を占めていることに言及されて、心臓が小さく跳ねる。でも、滑らかに首を振ることができたはずだ。リアルの知人に、SNSのアカウントを見られるなんて絶対に嫌だ。だって、明らかに嘘ばかりなんだもの。ありえない「今日あったこと」「感動したこと」。「昔の友達のエピソード」だって、少しでも現実の自分を知っている相手だったら違和感を持つに違いない。


「私もちょっとやってるから、繋がってもらおうかな、とか思ったんだけど」

「……そういうのは、趣味が同じ人と繋がった方が良いんじゃない?」


 ほら、思った通りだ。せっかく長年かけてSNS上であちらでの立場や立ち位置を築いたんだから。余計なことをして邪魔をしないで欲しい。ただでさえ、最近の覚えのない投稿で不安とストレスを感じているんだから。

 鞄の中にしまってあって、この状況では触れることのできないスマートフォンの存在が、ひどく大きく熱く感じられた。不気味な生き物が、身近で脈打っているかのような。ありえない妄想だと思っても、自分自身の鼓動も早まってしまうのが分かる。


 本当は、今だってスマートフォンを触っていたい。SNSで何が起きているか、話題に乗り遅れないようにしたい。フォロワーに忘れられないようにしたい。でも、一方で自分のアカウントに何が起きてるのかを確かめるのも怖かった。今のところは、自分でも言いそうなことが勝手に投稿されているだけだから、気のせいだとか、無意識にやってることだとか、自分を騙すことも不可能ではない。否――おかしいとは、気付いてしまってはいる訳だけど。それでも、大したことではないと、目を背けることはできる。

 でも、これからも同じだとは限らない。自分では絶対に言わないようなこと、もっと問題になる――炎上してしまうような投稿が勝手にされてしまっていたとしたら、どうだろう。今だって、脈絡のない――と、自分には思える――コメントや「いいね」にはよくドキッとさせられてしまうのに。そうしてどの投稿にあてられたものかを確認して、それでまた知らない投稿を「自分が」行っていたことに気付かされてしまうのだ。


 そうだ。一番の問題は、SNS上では全て「自分」の発言に見えてしまうことだ。自分に限らず、他のユーザーにしたってそうだ。アニメのキャラクターや犬猫、風景写真や芸能人の顔写真。それぞれのアイコンの向こうには生きた人間がいるはずだけど、その存在を意識することは滅多にない。そのアイコンとユーザーネームで発信されたことは、その人の発言なのだろうと当然のように理解してしまう。スマートフォンに魂が、なんて妄想に想い至ってしまうのは、SNS上の人格が勝手に、そしてひとりでに歩き出したように見えるからだ。ルーティンを破ってランチの誘いなんかに乗ったのも、昼休みをひとりで過ごすのが少し怖くなってしまっているからだ。


「そういえばさ、SNSで結構流行ってる? らしいんだけど――」


 黙々と、カレーのルーをライスと混ぜて口に運ぶ間、ろくに相槌も打っていないはずだった。でも、相手は反応の鈍さに気を悪くした様子はなかった。むしろ、気を遣ったつもりなのかもしれない。やっていないと言ったはずの、SNSの話題を振ってくる。フォークでナポリタンを絡めながら、にこやかに。


「のりこさんって、知ってる?」

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