第39話
西浜の海岸線はとうに日が落ちて、暗闇から波の音だけが繰り返して押し寄せて来る。足元も見えにくい浜で、彰夫はようやくテルミに追いつくことができた。
「テルミ、俺が悪かった。テルミの言う通りだ」
彰夫は、テルミの片腕を取ると、彼の方を向かせた。テルミの黒い瞳に反射する光が、揺れているように感じた。テルミも涙ぐむことがあるのだろうか。
「テルミをちゃんと家族に紹介するべきだった。家に戻ろう。これから姉貴夫婦に紹介するから…」
「いまさら遅いわよ」
テルミはそう言いながら彰夫の腕をはらうと、見えもしないのに波の音が聞こえる闇を見つめていた。
「彰夫は、あたしを頭の悪い女だと、馬鹿にしてるでしょう」
「馬鹿になんかしていない」
「彰夫の考えている事が、わからないとでも思ってるの」
「何のことだ?」
しばらく闇を睨んでいたテルミだが、やがてゆっくりと言葉が口からこぼれ始めた。
「あたしとあの女を切り離して、あたしを消すつもりでしょう。それで、あの女とおとぎ話の結末みたいに、いつまでも幸せに暮らすつもりね」
「そっ、そんなことは、考えていない…」
そう言いながらも、答える表情と少しカミ気味の返事は、その言葉の真偽を証明するには、はなはだ不適当なものになっていた。彰夫は慌てて言葉を足した。
「テルミの誤解だよ」
「だいたい、わたしとあの女とどっちが好きなの?」
「どちらも…好きだよ」
「嘘つかないで!この前あたしを抱こうとしなかったじゃない。なのに、あの女の真似をしたら抱いたわよね」
「いや、それは…」
テルミは話を打ち切るかの様に彰夫の返事も待たずに歩き始めた。彰夫はすぐ追いかけて、彼女の前に立ちはだかる。
「テルミは、テルミ自身と好美さんとの関係がわかってものを言っているのか?」
「好美って誰よ。それがあの女だとしたら、わたしとは何の関係もないわ」
ここから彰夫は慎重になった。
切り離された人格に、基本人格との同一性の自覚を、どのように芽生えさせたらいいのだろうか。他人があからさまに暴露して、同一化を強要してはならないことはわかる。あくまでも自らが自然に気付くように導かなければならない。彰夫は慎重に言葉を選んで言った。
「いいか、俺が好美さんを好きなのに、テルミが嫌いになれるわけないだろう」
「意味わかんない」
「いいか、よく考えてみろ。好美さんを大好きだと言うことは、テルミの事が大好きだと言っているのと同じことなんだぞ」
「それって、いわゆる二股でしょ」
「だから…」
「あの女と並べて言われるのは気に入らないけど、わたしのこと大好きだったらそれを証明してよ」
テルミがまた悪戯っぽく笑いながら言った。彰夫は彼女から受けた様々な仕打ちを考えると、身を固くして警戒せざるをえなかった。
「どうやって…」
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