幕間 とあるお客の聞いたこと

 夕方から夜になる時刻に、その人達は息を切らしながら駆け込んできた。やけに乱暴に出入り口のドアが開けられたので、何事かと数人の客がそちらを見た。私もその内の一人で、ノートに落としていた視線を上げた。

 若い男性と女性だ。どちらも20代前半くらいだろうか。女性は青みがかった髪を肘あたりまで伸ばしている。華奢な指で、顔の前に降りていた髪を耳の後ろへかき上げる。男性は黄色い丸みのある髪型に赤縁の眼鏡と、ずいぶん派手な印象を受けた。すこし不機嫌そうな顔をしている。窓の外を見つめて、2人とも何かを話している。走り疲れたのか、女性は立ったまま、膝に手をついて俯く。店員が2人に話しかけている。

 ふと先程まで考えていた事を思い出し、私は再びノートに文字を書き始める。青黒いインクで思考を形にしていく作業。気に入りのペンで描く線は、綺麗だと言えないけれど、私にとっては楽しい時間だ。

 その間に例の2人は、私の座る席の斜め向かい、ソファー席へとついた。


「あの、あなた」

「何ですか」

「どうしていきなり走り出したのか、理由を教えてくれない?」

 男性は、テーブルの上に備え付けられたスタンドからメニューを引っ張り出しながら答える。

「聞かれると面倒臭いから」

「え、誰に?」

「誰にでも」

 男性はぱらぱらとメニューをめくる。あまり会話を続ける気はないのだろうか。すこし気になって、私は思考の端で2人のやり取りを拾う。


 店員が水を入れたグラスを持ってくる。ありがとうございます、と女性は丁寧に会釈する。店員が去った後、2人とも喉が渇いていたらしく、水を半分くらいまで一気に飲む。

 グラスを置くと、女性は真剣な面持ちになる。男性は変わらずにメニューを眺めている。

「誰かに、聞かれたことがあるの?」

「……」

 男性は答えない。

 妙な間が置かれる。

「とりあえず、何か頼みません?」

 男性が提案する。女性は少しの間を置いて頷き、手を上げて店員を呼ぶ。男性はクリームソーダ、女性はホットコーヒー。男性が頼んでいた時、女性が「それにするんだ…」と呟いていた気がする。


 しばらくして、女性がぽつりと言う。

「……私、最近変な夢を見るようになって。弟が事故に遭うとか、バイト先の子が消えそうになるとか、身近な人達に悪い事が起こるの」

 男性はグラスに入った水を飲む。

「あなたに、確かめたい事があるの。普通は聞かないようなこと、聞いてもいい?」

「どうぞ」

「この間、あなたも、店に起こることをーー"夢で"見た?」

 女性はひとつひとつの言葉を、丁寧に置くように言った。


 先ほどから会話が見えない。2人の間では通じているようだが、小説や映画で描かれるような、突飛な話だと思った。

 私は時折窓の外の景色を眺めながら、ちらちらと2人の様子を伺う。

 男性は顔を上げる。何かを測るような、様子を伺うような眼差しだった。数秒の沈黙の後、男性は、ええ、と短く返した。

 女性は何か安心したように、微かなため息をついた。

「そうなんだ。……どんな風に?」

「それ、説明するんですか」

「え、だって自分以外の人はどうなのか、知りたいじゃない?」

「じゃあ、あんたから説明してくださいよ」

「うっ……わ、わかったわよ」

 女性は渋々頷く。

「予想でしかないけれど、悪い事が起きる夢では、水が関係するの。地面一面が水浸しだったり、ふと見た先に水たまりがあったり。何かが起こる人達の近くに来ると、やけに水の音が耳につくの」

 男性は、グラスについた水滴をなぞりながら聞いている。

「……結構、違うんですね」

「あなたは、どんな風に見るの」

「自分の夢では、部屋全体が白い」

「全部? 窓の外とかは?」

「家具も、景色も、全て。色がない」

「出てくる人達も?」

「基本そう。街も空も白い、けれど物の境目はどうにか分かる」

「……そうなんだ」


 店員がクリームソーダとコーヒーを持ってくる。女性はカップを受け取ると、小さなポットのミルクを入れてかき混ぜる。スプーンとカップの触れ合う音が聞こえる。

「ねえ、そういえば」

「何ですか」

「あなたは、夢の中で変わった人に会ってない?」

「変わった人? どんな風に」

「えーと……名前が聞き取れなかったのよね……。」

 女性は悩み始め、首を横に振る。長い髪がさらさらと揺れる。

「黒髪で、後ろで一つ結びにしてて、白シャツに黒ベスト、胸に赤いリボンを結んで付けていて、ハイヒールの靴を履いている人で」

「はあ」

「中性的な容姿の人」

「……知りませんね」

「あなたの事を知ってるって言ってたけど」

「……いや、分かりません」

 会話は、そこで途切れてしまう。


「そっか。まあ、いいわ。ところで相談があるんだけど」

 女性は突然、テーブル越しに身を乗り出して、男性に近づく。何事かと男性は若干驚く。

「これから、夢で見た人を協力して助けるようにするのはどう?」

「は?」

 男性はぽかんと口を開けている。

「だって、一人だと限界があるけど、協力してやるならできる事が広がるじゃない? 家族や友達が事故に遭ったりするのは嫌だし」

「人助けをしろって事ですか」

「まあ、そうなるわね」

「嫌です」

 男性は即答した。

「えっ、何でよ⁉︎」

「さっきの騒動だって、あんたも見たでしょう。あれを何回もくぐり抜けなきゃいけないんですよ。警察や野次馬に捕まって事情を聞かれて、素直に答えた所で信じて貰えると思いますか? 自分は嫌です」

「夢で見たのが、自分にとって大切な人でも?」

「それはその時々で考えます。ただ、自分から率先して他人を助ける気はない」

「なっ、目の前で見てても⁉︎」

「そんなの、たかが "夢" でしょう」

 女性は男性を睨んでいる。

 男性は女性をじっと見ている。どちらも、一歩も譲らない様子だ。


「知らないみたいだから言っておきますが、夢で見た事がそのまま起こるとも限りませんよ。似ているけど起こる事が違っていたり、そもそも対象が別のものだったりする。いつ何処で起きることかもはっきりしない時もある。今回、あんたの店に起こる事が "見られた" のは珍しい方です。自分の経験談でしかありませんが、正直、不確かな要素が多すぎる。振り回される可能性が高い」

 女性は、黙り込んでしまう。何かに耐えるように、手を固く握りしめている。

 男性は構わずに席を立つ。

「勝手にやってください。自分は協力しませんから、どうぞお好きに」

 男性は店の出口に向かう。

 女性は振り向いて、男性の背中に向かって鋭く言い放った。

「それでも、私は諦めないから!」

 男性は振り返らずに店を出る。


 男性の姿が店から遠ざかっていくのを見届けると、女性は身体の向きを戻し、はあ、と脱力した様子でため息をつく。そして、ゆっくりと頭をテーブルに打ち付ける。ごつん、と鈍い音が聞こえる。

 しばらくテーブルに突っ伏していたが、やがて何かを決心したように立ち上がり、レシートを掴んで足早に店を出て行った。

 私は、はっと気がつく。もう夜も遅い。考え事をまとめるはずだったページは、先程の2人のやりとりのメモにすり替わっていた。また今度にしよう、とノートを閉じ、店員に会釈をしてから、私も店を後にした。


 外は心地よい風と夜色が辺りを包んでいる。私は軽く伸びをして、家への道を急いで歩きだした。

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