幸せを知らない少年
和麗 華玲
第1話 孤立
「幸せって何ですか?」
俺が小学5年生の時に、授業参観の日の総合の学習の時間でこんなことを問われたことを覚えている。
周りの人は、スポーツをすること、音楽を聴くこと、歌を歌うこと、読書をすること。各々がそれぞれ違う意見を述べていた。そんな中で担任の先生は俺に唐突に答えを求めてきた。
俺がクラスで浮くようになったのはこの時からだったと思う。
「君にとっての幸せを教えて?何をしている時が幸せ?」
この質問が俺に投げかけられた時、俺は周りの皆とは違うのだと実感した。皆はすぐに答えが口から出てきたのに対して、俺はいくら考えても、「幸せとは何か」という質問に対する答えが口からこぼれてくることは無かったのだ。
「分かりません」
俺の口からこぼれた言葉はこれだけだった。
一瞬で周りの空気が変わった。
そんな雰囲気を感じ取ったのか、先生は、
「友達と話すことは?お菓子を食べることは?」
と、いくつかの例えを挙げてきた。例えを挙げてくる先生の目には明らかな動揺が表れていた。それもそのはずで、授業参観の時に指されても意見を出せない子がいたら、保護者からの視線が痛いのだ。何でもいいから1つ出して欲しい。先生はそう願ったのだろう。だが、結局一つも出ることは無かった。
俺は幸せというものを知らなかった。
俺は幸せを問われた質問の日から、クラスの中で浮くようになった。小学生なんて人と違えば分け目を作る。そんな生き物なのを俺は知っていた。
そんな中で俺は孤立した。
孤立した人は普通なら絶望すると思う。他の誰にも頼れず、話せないことが、辛いと思わせるのだろう。だが、俺はそうではなかった。孤立したと実感しても、特に何も感じなかった。俺の感覚は明らかに麻痺していた。俺はその理由を静かに感じて取っていた。それは俺の家にあるのだと。
平日学校から帰るとお袋が本を読んでいる。
「ただいま」
静寂の中に響いた俺の言葉はただ何事も無かったかのように壁の木目に吸い込まれていく。当然、壁から返事が帰ってくることもなければ、お袋から「おかえり」の4文字が声となって返ってくることは無い。
「何読んでるの?」
と、お袋に問いかけると、
「なんでもいいでしょ。一人にして」
という冷たい返事で追い払われるだけ。俺はそんなお袋と一緒にいる環境が嫌で、毎日のように近くに住んでいる祖母の家に行った。行くとは言っても、かなり歳を食った祖母とは時々会話の相手になるだけで、ほとんど一人で本を読んでいた。そんな中、祖母は唐突にこんなことを聞いてきた。
「
俺はその答えに迷った。正直にお袋のことも含めて家に居たくないと話すべきか、それとも現状を偽って祖母と居たいと話すべきか。
「婆ちゃんといる方が落ち着くからだよ」
俺は後者を選んだ。本心を隠し、心にもない言葉を口にした。
これは祖母に対して初めての嘘だった。
俺が夕方、祖母の家から帰ると、お袋が夕食を作っている。俺はその待ち時間に風呂に入るのだが、風呂から出ると、お袋は夕食を食べ終えていて、俺の分だけが机にポツンと、孤立している俺と同じように乗せられている。
いつからだっただろうか、こんな生活を普通にするようになったのは。多分俺は物心付いた時からこんな生活をしているのだろう。俺がお袋と一緒に夕食を食べたのは、いつが最後だっただろうか。いや、お袋と一緒に夕食を食べたことなんてないのかもしれない。俺の記憶の中にお袋と夕食を食べたことは、一度も刻まれていなかった。
俺には、生活する場所も食べる物もあるのに、友人も家族と呼べる存在もなかった。
他の人と比べた時のこの小さな欠陥が、俺の心を蝕んでいった。
孤立したままの生活で、小学生という肩書きを捨て、新たに中学生という肩書きを手に入れた。だが、結果的には俺は変わることができなかった。
俺はサッカー部に入部した。今まで孤立して出来ていなかったが、体を動かすこと自体は好きだった。部活に入れば、必然的に相手も現れて、場所も整備された所でできる。
孤立していた俺にとって、スポーツをする上で、これ以上都合のいい環境は無かった。だからこそ、練習も試合も休まずに出席し、小学生の時に出来なかった分の周りの人との差を、アドバンテージを埋めようと努力した。だが、当然急激に実力が伸びることも無く、追いつくことは出来ていなかった。
俺がサッカー部に入部してから1ヶ月近く経ったある日、練習が終わった後のミーティングで、顧問の先生はこう言った。
「明日から一年生も朝練に来てもいいぞ」
俺は朝は起きるのが苦手だったため、行かないことにした。放課後の練習だけ参加し、実力向上を図った。
部活に入ったことで、徐々にだが、人と関わることが出来ていた俺が、再び人との距離を、今度は自ら置くようになったのは、週に一回行われるミーティングの日だった。ミーティングの最後、部長は俺にこう言った。
「お前今日からずっと走りだからな」
俺は全く状況が理解出来なかった。
「何故ですか?」
そんな理不尽なことあってはならない。俺は部長に理由を求めた。
「お前、毎日朝練来てないだろ。サッカー部は朝練強制だから今まで来なかった分 ×20周な」
俺は絶望した。顧問は最初に「来ても良い」と言ったじゃないか。あれは来ても来なくても良い、任意である言い方じゃないのか。何より、何故今になって言うんだ。朝練来ないと分かってすぐに強制であることを伝えるべきじゃないのか。
俺はそんな中で、ある声が聞こえてしまった。同じ部員の声だった。
「ざまあみろ」
「いい気味だな」
そんな言葉と共に聞こえる嘲笑の声。俺は今まで以上に、ナイフが深く突き刺さったような、痛みを感じた。俺の心は何も考えることが出来なくなり、暗闇の底に沈んでいくような感覚だった。
俺は気が付けば涙を流していた。今まで人前で流したことが無かったはずなのに、傷付くことは慣れているはずなのに。そう思っていても涙は休むことなく頬を流れ続けた。
この涙を止める方法を俺は知らない。
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