All or Nothing
七咲リンドウ
Introduction*anticipation
ネオンの
微かに聞こえる歌声はネオンの光の中からは聞こえない。私以外に気にしている人間は見当たらない。誰も彼もが無関心だった。
既視感のある興味のなさが
酷い匂いがした。
それでも歩き続けた。
まるで私の人生のようだと思った。
歌声は小さな廃ビルの屋上から聞こえていた。今さら小さな法律を破ることに
かんかんっかん、と。赤錆で作られたような階段の感触を確かめるように一歩一歩を踏みしめた。季節感を無視して生温い湿気を孕んだ風が頬を撫でたとき、ふと思う。
これは天使の歌声だ。ついに私を迎えに来たのだ。私はもう、楽になってもいいのだ、と。
屋上に辿り着いたとき、一際強い風に吹かれた。風は打って変わって季節感に従って、冷たく渇いていた。思わず閉じた目を開くと、私が立つべき場所に高校生ほどの少女が座っていた。
都会の星空を背景に歌う彼女は、私が目にしていること自体が奇跡に思えるほど美しかった。汚れの目立つ白いワンピースと銀色の長い髪を風に揺らし、祈るように自らの胸の前で手を組んで歌う様は私の想像通り、天使のようだった。
天使のソロステージは私のくしゃみで幕を降ろした。不思議そうに首を傾げる彼女に苦笑しながら拍手を送る。
「いいステージだった。いつもここで歌っているのかい?」
彼女はぼうっと無表情に私を見つめているだけだった。吸い込まれそうなブルーの瞳を見ていると時間を忘れてしまいそうになる。
ぐう、と。彼女の腹の虫が
「お腹が空いてるのかい?」
彼女は恥ずかしげに俯いた。
「……歌は、好きかい?」
彼女は俯いたまま、大きく頷いた。
私の緩んだ涙腺から熱が溢れた。
それが私と彼女〈メル・アイヴィー〉との出会いだった。
彼女は何も知らない孤独な少女だった。自らの名前と両親の形見のリボン以外、古い記憶を辿る術もない。歌とプリンが好きで、いつもお腹を空かせている白銀の少女。
孤児院暮らしだった彼女を私は引き取り――私を救った天使の歌を世間に知らしめたい。などと言えば感動的だろうが――私は彼女の歌声を利用した。私は彼女に敬意こそ抱いていたが、
彼女の才能は本物だった。養成所に入って間もなく頭角を現し、同期の誰より早くメジャーデビューの道を開いた。好きこそものの上手なれとはよく言ったものだ。お祝いにプレゼントした黒いチョーカーは雪白の肌に良く映えた。
その頃には彼女を「メル」と呼ぶのにも、二人暮らしの生活スタイルにも、少しずつ彼女が見せるようになった笑顔にも、彼女の長い髪を編み込むのも、周囲が私のことを認め始めたことにも、慣れていた。
彼女は瞬く間に世間からも注目を集め、二人揃って順風満帆な人生を歩み始めた。
奇跡の歌声。白銀の歌姫。笑わない天使。そういって持て
デビューから一年ほどで数万人規模の大きな会場をソロライブで埋められるようにもなった。彼女の登壇を今か今かと待ち構える人々の緊張で空気が張り詰めている。ステージ裏の薄暗がりで、どこか思いつめたような顔をして祈るように手を組んだ彼女の肩を抱いた。
「緊張してるかい?」
彼女は「……はい」と小さく頷いた。
「大丈夫、あれだけ頑張って練習したじゃないか」
それでもなお、「……でも」と、彼女の表情は暗かった。
「終わったらプリン解禁だ。吐くほど食わせてやる」
息を飲むような笑顔だった。力強く頷いてステージに向かった彼女は案の定、観客を魅了した。
あの日の再来だ。
眩い照明が彼女の影を映し出し、彼女に合わせたペンライトがたくさんの感極まった表情を露わにしている。感動して静かに泣き出している客は数え切れない。正直言って、あの日の星空よりもずっと綺麗な世界が彼女の目の前には広がっている。
当然のことだ。
だって彼女はメル・アイヴィー。誰もを癒す奇跡の歌声を持ち、白銀の歌姫の異名を冠するほど浮世離れした美しさを誇る、絶望の果てにいた私さえも救った天使なのだから。
ステージの半ば、彼女は倒れた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます