会えば挨拶と世間話をする人
僕が通っている高校は、徒歩で二十分ほどの所にあるから、自転車じゃなくて歩いて通っている。
自転車の方が速いし、楽だとは分かっているけど、出来ればあまり乗りたくはないからだ。
そんなわけで、毎日イヤホンをして音楽を聴きながら、学校へと通っているわけなのだが。
僕には、登校している時に楽しみが一つあった。
「あら、おはよう。今日も早くから、偉いね。幸樹君」
「あっ。お、おはようございます。みみみ美雪さんも、いつも早いですね」
「私は仕事だから」
「お仕事、頑張ってください」
「うふふ、ありがとう」
それは歩いている途中で会う、美人なお姉さんとの会話だ。
彼女の名前は、美雪さん。
二十代ぐらいの、OLをしている女性。
とても美人なのに、道ですれ違う度に挨拶と世間話をしてくれる。
きっかけはもう覚えていないけど、こんな美人な人と話を出来ると言うだけで朝から幸せな気持ちになる。
クラスメイトにも言った事の無い、僕だけの秘密。
誰にも言うわけがない。
美雪さんとの時間は、邪魔をされたくない。
僕は一、二分という短い時間をとても大事にしていた。
「それじゃあ、あなたも学校頑張ってね。バイバイ」
「は、はい! また今度!」
楽しく話をしていると、あっという間に別れの時間が来る。
名残惜しく手を振り、正反対の方向へと歩き出す。
美雪さんには内緒だけど、僕はいつも少し歩いたら振り返っている。
しかし、見えるのは後ろ姿ばかりで。
見なきゃいいのに、その事にすこしがっかりしてしまうのだ。
「おはよう!」
「おはよう。今日もテンション高いなー」
とにかく美雪さんと話をを出来た嬉しさから、僕は教室の扉を勢いよく開けて、元気に挨拶をした。
その声の大きさにすでに中にいた友達の浩輔が、からかうぐらいだった。
それでも僕は気にせずに、スキップをしながら中に入る。
「そうだろう。今の僕は、やる気で満ち溢れているんだよ。今日も元気に頑張ろう!」
「うわ。うっぜー。最近、朝のテンションおかしすぎるだろう。何かあった?」
「い、いいや。何も無いけど」
「何か怪しいよな」
「ああああ怪しくなんかないよ!」
そんな事をしていたら、図星をつかれてしまった。
僕は慌てて誤魔化すけど、疑うような目は向けられたままだ。
その視線に耐えられなくて、冷汗がだらがらと流れてくる。
しかし、美雪さんの事を話すわけにはいかない。
話したら最後、絶対に浩輔は見に行きたいと言い出すに決まっている。
それだけは、絶対に避けなくては。
友達だけど、彼女に会わせたくはない。
その原因の一つに、浩輔の顔の良さというのもある。
もしも美雪さんが、僕より浩輔の方が良いってなったら耐えきれない。
そういうわけで未だにこっちを睨んできているけど、そっちを見ないようにして席に着いた。
ごちゃごちゃという声も耳に入った。でも無視をした。
これで、しばらくは浩輔の機嫌が悪くなるけど、美雪さんの為を思えば仕方がない。
僕はそう決意して、先生が来るまで浩輔の方を見ようとはしなかった。
「あー、疲れた」
僕は肩を落としながら、帰り道を歩いていた。
あれから浩輔の機嫌を直すのに、体力とお金を消費した。
購買の人気のパンを買わせるなんて、どんだけ鬼畜なんだ。
そのおかげで、機嫌は直ったから良かったけど。
思わぬ出費に、僕は頭を抱える。
残っているお金で、今月を乗り切るなんて無理な話なんじゃないだろうか。
前借りをしようにも、何に無駄遣いしたんだと怒られて終わるだけだ。
それじゃあ、これから出る予定の漫画は、しばらくお預けという事になる。
早く読みたいのに我慢しなきゃいけないし、クラスメイトの話にもついていけない。
しかし美雪さんと比べたら、それはくだらない話だ。
僕は秘密を守りきれたことに、喜ぶべきだとポジティブに考えるようにした。
「でも、やっぱり購買のパンは痛い出費だったなあ」
「あ、朝ぶり。どうしたの?」
「みみみ美雪さん⁉」
それでも自然と出て来た、ため息。
まさか聞いている人がいるとは思わなかった。
しかもそれが、美雪さんだとは。
彼女と会うのは、いつも朝だ。
だから完全に気を抜いていたせいで、いつもより変な声を出してしまった。
僕の反応に、くすくすと笑う美雪さん。
恥ずかしくなって、顔が赤くなるのを感じる。
それでもすぐに、美雪さんと会えた事の嬉しさの方が大きくなった。
「あ、朝ぶりです。仕事帰りですか?」
僕はへらりと笑いながら、何てことないように挨拶をする。
最初の変な声を出したことは、まるで無かったかのようにした。
「そうなの。今日は仕事が早く終わってね。それより、ため息ついていたけど大丈夫?」
「あっ、はい」
美雪さんは少し前から僕の事を見ていたらしく、ため息をついている所もばっちり聞いていたみたいだ。
僕は頭をかきながら照れる。
「いや、あのですね。今日、友達に購買のパンを買ったらお金無くなっちゃって」
「あら、そうなの」
それでため息の理由を話せば、美雪さんは驚いた顔をした。
「友達にパンを買ってあげるなんて、優しいのね。そんな優しい幸樹君には、いいものあげる」
そして持っていたカバンをごそごそとあさると、僕に何かを差し出しくる。
「はい、どうぞ」
「え? え? あ、ありがとうございます」
僕も慌てて手を出せば、手のひらにものを落とされた。
よくよく見てみると、それは透明な包み紙に入った水色の飴だった。
「それ、私の好きな飴なの。美味しいから、少しでも元気が出ると良いな」
「すっごく嬉しいです。大事に食べますね! 本当にありがとうございます」
「そんなに喜んでくれたら、私も嬉しい。大事に、食べてね」
僕は太陽に飴を透かして見ながら、美雪さんにたくさんお礼を言う。
そうすれば彼女はとても嬉しそうに笑って、手を振った。
「それじゃあ、私はそろそろ帰るね。幸樹君も気を付けて。またね」
「は、はい。また明日!」
僕も、大事に飴を握りしめながら手を振る。
朝ほどの寂しい気持ちは無かった。
帰りにも会える可能性があるのが分かったのと、飴をもらえたことが嬉しかったからだ。
いつもより、帰り道の足取りが軽やかになった。
自然とスキップが出てしまいそうになるけど、近所の人の目があるから止めた。
家に帰って来た僕は、真っ先に部屋に駆け込む。
そして持っていた荷物を床に投げ捨てるように置いて、ベッドに向かってジャンプをした。
寝転がると、ポケットから飴を取り出した。
今度は部屋の電気越しに、飴を透き通して遊ぶ。
水色の飴は何味か分からないけど、とても美味しそうだ。
食べるのがもったいない。
でも、もしも明日会った時に味の感想を聞かれたら困る。
それに大事に取っておいて、駄目になった方がもったいない。
僕はそう考えて包み紙をといた。
そして取り出した飴を、ゆっくりと口に運ぶ。
口に入れた瞬間、今までに食べた事のない味が広がった。
美味しい。
物凄く美味しい。
こんなにも美味しい飴が、この世にあったなんて。
僕は口の中で溶けて消えるまでの間、夢中になってなめた。
そして食べ終わってしまうと、物足りない気持ちになる。
明日彼女に会ったら、どこで売っているのか聞こう。
僕は飴の味に心を奪われつつも、そう頭の中で計画を立てていた。
しかし、それは叶わなかった。
いつも美雪さんと会うあたりの場所に彼女の姿は無くて、少し待っていても来なかったからだ。
そういう時もあるかと、僕はガッカリしながら学校へと来た。
「……おはよう」
「おはよう! お前、テンションひっくいなあ!」
静かに中に入れば、浩輔がニヤニヤとして出迎えてくる。
僕はそれにイラっとしながら、席に向かった。
「おいおい。ちょっと俺と話そうぜ。幸樹くーん」
「何?」
しかし、その前を浩輔が立ちふさがる。
僕が睨んでも、全く動じていない。
ニヤニヤした顔は、更に深まるばかりだ。
「俺さあ、昨日見ちゃったんだよね」
「えっ? 何を?」
てきとうに聞いて、流そう。
そう思っていた僕だったのだけど、浩輔の言葉に固まった。
昨日見たというのは、一つしかない。
それは美雪さんと話している姿。
まさか見られているなんて、最悪だ。
僕は頭を抱えそうになりながらも、平常心を装って聞いた。
そんな僕をニヤニヤとして見ながら、浩輔は肩を組んでくる。
「驚いたよ。だって、道にいてニヤニヤと話しているんだから。それで、一人で何を楽しそうに話していたんだ?」
「はっ?」
僕は驚き、固まる。
今、浩輔は何と言った?
一人で、楽しそうに話をしていた?
僕は震えそうになるのを必死に抑えながら、口を開いた。
「あ、あのさ。浩輔が僕を見たのって、どこ?」
僕の質問に、不思議そうな顔をする浩輔。
それでも質問には答えてくれた。
「ん? なんか木がいっぱいある所だけど」
それは昨日、僕が美雪さんと話していた場所だった。
でも浩輔の目には、一人の姿しかなかったと言う。
そこから導き出される答えというのは……。
僕は、胃の中が気持ち悪くなるのを感じた。
昨日の飴は、何だったんだろう。
もしも今度、美雪さんにあったらどうしよう。
僕の前には、問題が山積みだった。
『会えば挨拶と世間話をする人』
・知っているのは名前ぐらい。
・どこに住んでいるのかさえも、あやふや。
・その人は、本当に存在しているのか。
・何の情報も持っていないから、分からない。
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