第39話 再会

 足を引き摺りながら歩くチヅルの耳に、微かな声が聞こえてきた。最初は聞き取れなかったが、一歩歩を進めるごとに言葉ははっきりとしていく。


「……い…んな…さいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」


 間違いなくそれはスーヤの声だった。チヅルは満身創痍の体に鞭を打ち、声のする方へ向かう。

 チヅルはすぐに開けた場所へ出た。丸いドーム上の部屋。その中心は高く盛り上がり、天井から何かが釣り下がっている。その先を見て、チヅルは目を見開いた。


「スー……」


 それは紛れも無くスーヤだった。あの日、チヅルの前から消え去ったあの日の姿そのままで、スーヤはそこにいた。


「……チヅ?」


 スーヤもチヅルに気付いた。一瞬だけ顔が喜びで綻ぶが、すぐにそれは消えて悲しみに満ちた表情に変わる。


「来ないで! スーヤは、私はもうチヅの敵なの! 私のせいで、この世界がめちゃくちゃになっちゃった。だから私の事は放っておいて!」


 スーヤの悲壮な叫びが部屋中に響く。

 しかし、チヅルは聞こえなかったとでもいうように、スーヤの下へ近付いていく。


「いや、来ないで! お願いだから!」


 天井から触手のようなものが何本も伸びてチヅルに迫る。だがチヅルは歩みを止めない。触手はチヅルの傍をスレスレで通過し、どれも当たる事は無かった。

 ついに、チヅルはスーヤの前に辿り着いた。俯き加減なせいで、スーヤからチヅルの顔は見えない。


「チヅ……」

「この、馬鹿娘!」


 何を思ったか、チヅルが拳骨で思いっきりスーヤの頭を殴りつけた。突然の出来事と拳骨の痛みで、スーヤの頭がくるくると回る。

 これまで、チヅルはどれだけ怒っても、スーヤには絶対に手を上げなかった。それが今、初めて手を上げた瞬間だった。


「グーで、グーで殴った! チヅひどい!」

「殴るわよ! 本当にこの子は親にどれだけ心配かけたと思ってんの! こんなんじゃ全然足りない。もっともっとあんたには……」


 チヅルが顔を上げた。涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにして。拭う事もせず、そのままスーヤの頭を両腕で抱え込み、大声を上げて泣いた。


「叱って、褒めて、一緒に喜んで! 教えたい事だって山ほどあるんだから! ああああああああぁぁ! スー、良かった。本当に……無事で……」

「……ふぇ、うわああああああん! チヅ、チヅチヅチヅ! 私も会いたかったよ! 怖くて辛くて悲しくて、それでもずっと待ってたんだから!」


 それからしばらく、2人はひたすらに咽び泣いた。溜め込んでいたものを全て吐き出し、思いの丈をぶつけ合う。互いの温もりはゆっくりと2人の溝を埋めて心を癒し、満たしていった。


「帰ろう。スー。私達の家へ」

「……私も帰りたい。でも、できないの」


 スーヤが視線を落とした。チヅルも視線の先に目をやると、スーヤの胸が金色に光っていた。


「これは?」

「私を作った人が作った多機能モジュール。この岩の塊の制御と、私達の世界と向こうの世界を繋ぐ機能を持ってるの。私が他人を感じ取れるのも、世界を繋ぐ機能の副作用だったみたい。これを壊さないと、いつまでも世界は繋がったまま。このモジュールは一度動いた以上、もう止まらない。だから、私が死ぬしか……」


 スーヤがまた涙目になる。チヅルは、そんなスーヤの頭を優しく撫でてあげた。


「何馬鹿な事言ってんだか。要は、こいつをスーから取り出して、壊しちゃえばいいんでしょうが」


 チヅルの言葉にスーヤが目を見開き、信じられないといった表情でチヅルを見つめた。


「馬鹿な事を言ってるのはチヅだよ! 動いているモジュールに触れればどうなるか、分かってるでしょ!? チヅが死んじゃうよ!」

「大丈夫。私を信じなさい。必ずあなたを助けてあげるから」


 そう言い放つチヅルは、とても穏やかな顔をしていた。自分の身に降りかかる危険は分かっているのに、少しもそれが怖くなかった。大好きなこの子を助けるためなら、何だって出来る気がしたから。


「さあ、取り出してあげるわ」

「ダメ、チヅ!」


 スーヤの制止も虚しく、チヅルの右手がスーヤの胸の中に入り込んだ。間髪入れずに金色の雷がそこから迸った。チヅルの腕に絡みつき、痛々しい火傷の跡を残していく。


「ぐ……う!」


 チヅルの右手はまだモジュールを掴んでいなかった。激しい抵抗で手がそれ以上中に入っていかず、その間にもチヅルの右手は引き裂かれていく。それでも諦めず、必死で手探りにモジュールを探していく。

 だが、さらに奥へ入れようとした瞬間に一際大きい抵抗を見せ、チヅルは弾き飛ばされてしまった。


「きゃあ!」

「チヅ!」


 チヅルの体が宙を舞い、高台から落ちていく。あわや地面に激突という時に、チヅルの体は何かに受け止められた。


「大丈夫か?」

「ったく、せっかく先に行かせてやったってのに、何ちんたらやってんだ。お前らしくもねえ」


 チヅルを受け止めたのは、ボロボロの姿になったアレックスだった。傍には、同じくひどい格好のジェフェリーもいる。


「あんたら……うっさいわね! あんたらこそ来るのが遅いのよ! すぐに追い付くとか言っといて……うん。でも、無事で良かった」


 チヅルの胸に熱いものがこみ上げる。2人に再会して初めて分かった。スーヤの事で頭が一杯で気付けなかっただけで、自分は心のどこかで、2人を心配していたのだと。2人の無事を確認して、嬉しさが体の奥底から溢れ出して来るのが感じられた。

 アレックスがチヅルを降ろすと、高台の上を見つめた。


「スーは上にいるのか」

「ええ。2人とも手伝って。あの子からモジュールを引きずり出すの」

「おいおい、まさか動いてるモジュールをか? って、愚問だったな。スーヤを助けるためだったら、何だってやってやるぜ!」


 3人は互いに頷きあうと、スーヤが待つ高台の上へ昇る。こちらの姿がスーヤの目にも届くと、スーヤは目を飛び出さんばかりに見開いて驚いた。


「みんな……来てくれたの?」

「あったり前よ! 不肖このジェフェリー、スーヤのためだったら、例え空の果てや岩の中だって駆けつけるんだぜ?」

「遅くなってすまなかったな」

「スー、あんたのために皆頑張ったのよ。地上にいるイヴやじいさんも、あんたが帰ってくるのを待ってる。だから諦めないで」

「うん……うん、うん! ありがとう、みんな! 私、本当に幸せだよ」


 スーヤは、ぼろぼろと珠のような涙を流す。チヅルがそれをそっと拭ってあげた。


「さあ、最後の大仕事よ」

「任せな! 絶対に引きずり出してやるぜ!」

「ああ。俺達なら必ずできる」


 3人の手が伸び、同時にスーヤの胸の中へ入った。再び猛り狂う金色の雷。これ以上入り込ませまいと、3人の腕を傷つけていく。血が傷口から滴り落ちる。だが、誰もその程度で怯みはしない。


『おおおおおおおお!』


 3人の気合と共に、腕がずぶずぶと入っていく。右手が引き裂かれそうに痛む中、チヅルは自分の手に何かが触れたのを感じた。


「見つけた!」

「こっちもだ」

「俺も掴んだぜ!」


 チヅルはアレックスとジェフェリーを交互に見つめる。そして2人が頷いたのを確認すると、掛け声を上げた。


「今よ!」

『おう!』


 3人が全ての力を込めて、モジュールを引き抜こうとする。最初はがんとして動かなかったが、徐々にチヅル達の腕がスーヤの胸から抜けていく。モジュールがだんだん引き剥がされていっているのだ。


「あと、ちょっと……あう!」


 最後の抵抗とばかりに、チヅルの体に強烈な電流が走った。それは2人も同じようで、痛みに耐えて口元が引き締まっている。

 しかし離しはしない。むしろ絶対に逃がすまいと、より一層力を込めて掴み直した。


「いつまでも、うちの娘に引っ付いてんじゃないわよ! あんたなんかに、スーはやらないんだから! はあああああ!」


 米神に青筋を浮かべ、絶叫を上げながら最後の力を振り絞る。すると、ぷつっという感触と共に、チヅル達の手がスーヤの胸から飛び出した。反動で3人はごろごろと高台から転げ落ちる。


「チヅ! みんな!」


 上からスーヤの声が届く。チヅルはぶつけてしまった頭を撫でながら立ち上がる。


「いっつつ……。大丈夫、あんた達?」

「ああ。問題ない」

「俺も平気だ。右手がひでえ事になってるけどな……おい、チヅル!」


 ジェフェリーがチヅルの右手を指した。そこには、金色をしたモジュールがしっかりと握られていた。


「これが、スーの中に入っていたモジュール……こんなもの!」


 チヅルはそれを地面に叩き付けた。しかしモジュールは壊れずに、僅かばかり跳ねて転がる。

 チヅルがハンマーを取り出し、頭を小さく、柄を長く変形させる。大きく振りかぶると、力任せにモジュールへ叩き付けた。

 ハンマーはモジュールに直撃し、球体だったそれは粉々に砕け散った。それと同時に、天井から伸びていた触手が天井へと消えていく。


「チヅ!」


 はつらつとした声と共に、スーヤが上から降ってきた。チヅルは両手を広げてスーヤをしっかりと受け止め、メリーゴーラウンドのようにぐるぐると回した。


「ただいま、チヅ!」

「お帰りなさい。私の可愛いスーヤ。もう、絶対に離したりしない。いつまでも、どんな時だって一緒だからね」

「これで一件落着ってか?」

「いや、そうもいかないだろう。まだ地上には敵が大量にいる。そいつらをどう……なんだ!?」


 突如、けたたましい警報のような音が部屋中に鳴り響いた。何か、音声のようなものも入り混じって聞こえてくる。


「そんな……」

「スー、分かるの?」

「うん、これは向こう世界の共通言語。モジュールを砕いたせいで、この世界と向こうの世界を繋ぐ入り口が消えかかってる。だから、その前に入り口を通って戻るって! 時間は……約10分!?」

「おいおい、やべえぞ。ここから俺達の入ってきた場所に行くには、どんなに急いでも30分はかかっちまう!」


 このままでは、4人は向こうの世界へ連れさらわれてしまう。そうなったら最後、もう二度とこっちへ戻ってくる事はできないだろう。


「くそ、何とかなんねえのか!」

「俺達の持ち物は脱出用のパラシュートと、それぞれの武器。後は……こいつぐらいか」


 アレックスがサックの中から赤い珠を取り出す。先程、敵から取り出してきたモジュールだ。しかし、この状況で役に立つとは思えない。

 しかし、それを見たスーヤが声を上げた。


「待って。アル、それを私に! それとロブグローブも!」

「何? 一体何をする気だ?」

「私の体は、どんなモジュールでも1つ扱えるように作られているの。さっきまではあのモジュールが動いていたけど今はもう無い。だから別のモジュールを私に入れれば、それを使う事ができるはず!」

「ちょっとスー! あなた……むぐ!」


 チヅルが止めようとするが、スーヤに口を塞がれてしまった。


「チヅ、今度は私の番なんだよ。みんなは私のためにこんなに頑張ってくれた。だから、今度は私が頑張らなきゃ。だからねチヅ、心配しないで。私に任せて」

「スー」

「お前の負けだ。どの道、方法はそれしかない。スー、受け取れ」


 アレックスが、モジュールとロブグローブをスーに手渡す。それを受け取ると、スーヤは柔らかくチヅル達に笑いかけた。


「ありがとう。私、絶対にやってみせるからね」

 スーヤが自分の左手にロブグローブをつけ、モジュールをその手に握る。緊張した面持ちで少しばかり静止していたが、覚悟を決めたように口を引き締めると、自分の胸にモジュールを埋め込んだ。


「く、ああああああ!」

「スー!」


 絞るような声を上げるスーヤを心配してチヅルが駆け寄るが、スーヤはにっと笑って答えた。


「……だいじょぶだよ、ほら」


 スーヤは自分の胸を見せる。そこには巨大な赤い目が埋まっていた。


「みんな、離れてて」


 スーヤが目を閉じ、精神を集中させる。すると胸に埋まったもう一つの瞳が、赤い光を放って輝き始めた。


「……く」

「スー!」


 だがすぐにスーヤの膝が折れ、苦悶の表情を浮かべる。おそらく、あのモジュールを扱うためのエネルギーが足りないのだ。


『どうだ、役に立っただろう? だが駄目だ。これでは全然足りん』


 その時、その場の誰でもない声が聞こえた。チヅル達は辺りを見渡すが、やはり4人以外は誰もいない。


「誰! 隠れてないで出てきなさいよ!」

『隠れてなどいない。お前達の目の前にいるだろう?』


 目の前にいる。言葉の聞こえる先に目を向けた時、チヅルはその意味を知った。その声は、スーヤの口から発せられていた。十中八九、スーヤは誰かに体を乗っ取られている。


「あんた、一体誰なのよ!」

「この声、まさか……俺達を騙したな。外道が!」

「そうか、手前か! スーヤの体を返しやがれ!」


 どうやらアレックス達は心当たりがあるらしく、憤怒の形相でスーヤを操っている主をなじった。だが、チヅルは一体誰なのかさっぱり分からず、仲間外れにされていた。


「ちょ、ちょっと。誰なの、こいつは!」

「お前も会っただろう。ここに入った時、最初に対峙した奴だ。迂闊だった。まさかモジュールに、自分の命を移していたとは」

「そん、な……」


 チヅルは声を失った。ようやくスーヤを取り戻したというのに、こんな形で奪われる事になるとは。自分の浅はかさに、煮えくり返るほど腹が立った。


『今はお前達と問答をしている時ではない。離れて見ているがいい!』


 スーヤの足元から触手が伸び、両足に絡みつく。触手は赤く点滅し、何かをスーヤに送り込んでいるようだった。


「手前、一体何を……!」

『道を開いてやると言っているのだ』

「なん、だと?」


 その間にも触手からはどんどん送り込まれているようで、スーヤの体が徐々に赤い光を帯びていく。それは留まる事を知らず、ついには目も開けていられないほどの光を放つようになった。


『勝者は生きなければならん! それが勝者の権利であり、義務であると知れ!』

「スー!」


 チヅルが手を伸ばした瞬間、スーヤの胸の目から、極太のレーザーが床に向かって照射された。眩い閃光と熱風で、チヅル達はその場から動く事ができずに立ち尽くした。


 ようやくそれらが収まり目を開けると、床には巨大な穴が開いていた。

 触手が地面に戻り、ぐらりとスーヤの体が倒れる。すかさずチヅルが駆け寄り、スーヤを抱き締めた。


「スー! スー、スー! ねえ、起きて!」


 チヅルがスーヤの肩を揺らすと、うっすらスーヤが目を開いた。


「……ん、チヅ? どうだった? 私、うまくやれたかな?」

「ええ、あんたは良くやってくれたわ。だからちょっと休みなさい。目が覚めたらきっと、あんたの部屋のベッドの中よ」

「そっか。良かった……」


 消え入りそうな声で呟くと、安堵の表情を浮かべてスーヤの頭が垂れた。チヅルはすかさずロブグローブをつけた右手をスーヤの胸に入れ、中からモジュールを抜き出した。

 アレックスとジェフェリーが、心配そうにチヅル達に駆け寄った。


「チヅ」

「大丈夫。眠っただけみたいだから」

「なあ、そのモジュールはどうすんだ?」

「……ここに置いていくわ。きっと、もう私達には必要の無いものだから。感謝の言葉1つでも言った方がいいのかしら」

「元々こいつらが引き起こした事だ。そんな事を言う必要は無い」

「そう、ね。ごめんなさい。どうかしてたわ。さあ、帰りましょう。私達の世界に」


 チヅルはその場にモジュールを置くと、パラシュートを背負って穴の前に立った。眼下には、ガスタブルの街の灯が輝いていた。しかし、その光の中には炎と思わしき赤い光も見える。


「2人とも、覚悟はいい?」

「ああ。まだまだ俺達は戦える」

「あいつらを全員街から追い出してやろうぜ。スーヤが目を覚ます前にな」

「ええ。じゃあ先に行くわ」


 スーヤを抱えたまま、チヅルは穴の中に飛び込んだ。外壁が流れるように過ぎ去った後、チヅルはようやく外の世界へ脱出した。

 すぐにチヅルはパラシュートを開く。続いて、アレックスとジェフェリーも隣り合わせに落ちてきて、パラシュートが開いた。


「おい、あれ見てみろよ!」

「え?」


 ジェフェリーが地上を指差している。チヅルがそこへ視線を移すと、黒い竜巻のようなものが、垂直に立ち上っていくのが見えた。


「あれは……もしかしてロストブックの住人達?」


 近付くにつれて、その姿がはっきりと分かるようになった。翼を持つ者が仲間を吊り上げ、一目散に浮遊岩へと目指している。


「そうか、気付いたんだ。自分達が、この世界に取り残されようとしている事に」

「なるほどな。どんなに強くても、望郷の思いには勝てないってわけか。分かる気がするぜ。俺達も帰る場所が無くなっちまったら、きっと生きていけやしない」


 帰っていく住人達を見つめながら、チヅル達はガスタブルへと帰還した。無残に荒れ果てた、それでも懐かしき故郷に。

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