序ー3
「今年は何年でしたっけ」
「平成30年」
素っ頓狂な質問に、死本は不機嫌そうな表情のまま答える。
「西暦でお願いします」
「2018年」
分かっては居たけれど改めて確認。まだ相当混乱しているのだ。
衝撃で取っ散らかった脳ミソを回すには、手近な情報から片付けていくしかない。
2018ひく400は1680。違う。1618。つまりいつぐらいだ。有名人で言うと誰の時代だろう。室町時代だっけか。いや違うもっと後だっけか。思い出せ、一昨日の歴史の小テスト。
「え、と……江戸時代? 江戸時代から生きてるって事ですか?」
「実際はもう何年か何十年くらい前だったかもしれないけどね。大御所様……ああ、家康が生きていた頃だったのは確かだよ。徳川家康は分かるでしょ?」
死本の作品は全て江戸時代初期から後期を題材としたものだ。
彼が世間一般にどういう評価を受けていたか思い出す。
――死本静樹といえば”緻密ナ時代考察”と、目が覚めるような生々しい描写で多くの熱狂的なファンを持つ小説家だ。
単なる時代考証や考察に留まらない、時間の壁すら超えさせる程に凄まじい、彼の文章世界が脳裏で高速再生される。
「じゃあ……あなたの作品で描かれているのは……」
「何も特別な事は書いてない。ただ俺が見てきた通りをそのままに書いただけ」
「……壮絶な人生を送ってるんですね」
「そうかな。俺、歴史を忠実に書き記しているとか、そんな評価が貰えれば充分かなって思って小説家始めたんだけど」
彼は熱狂的なファンが多い一方、読者によってハッキリ賛否が分かれる事でも有名だ。緻密で凄絶なストーリー。生々しく鮮烈な描写。下馬評の通りに鋭利な作品群は、冗談や比喩で無く読者を情緒不安定にさせる程の迫力がある。
それが400年に渡る経験の蓄積だと言われれば、納得しそうな程の迫力が。
靴箱の天板のふちから、血の雫が垂れた。
我に返っても言葉は出てこない。
頭では理解していた。けれど実感が追い付かない。
何をどう言うべきなのか、皆目見当もつかないままでいる。
そんな私を見兼ねたのか、退屈とでも言いたげに穴の開いた天井を見やりながら、死本は呟いた。
「それも今日で廃業かな」
「はい、ぎょう?」
さっきから私は言語の理解が遅れている。
「死んだ筈なのに生きてる、とか、そういう騒ぎになると色々面倒だろ。だから自殺するの見つかる度に、仕事も名前も住む場所も変えてる」
「……自殺は今回が初めてじゃないんですか?」
「ずっと色んな死に方を試してる」
それこそ400年の間ずっと、と彼は言う。
窒息、薬物、毒物、自爆、自傷、焼身、感電、入水、転落、轢死、自殺装置、安楽死、戦死、餓死、等々、古今東西に溢れる、千差万別の自殺を体験し続けてきたと彼は言う。
「今日はまあオーソドックスなんだけど、首吊りで、縄かける角度をちょっと変えてみた。まあ結果はこれだし、そもそもデトックス忘れてたせいでご覧の惨状だけど」
彼は床を指差して、私たちが座り込んでいる現状を示した。突き刺すような悪臭が嗅覚に舞い戻る。私は眉根をひそめると共に小さくえずいていた。
死本もずっとしかめっ面を浮かべている。
「そろそろシャワー行ってきていい? いい加減いろいろとキツい」
ひとまず彼が出た後に、泣く泣く私もシャワーと洗濯機を借りる事になった。
◆
出して貰った新品のタオルを泡立て、普段の何倍も念入りに肌へ擦り付けながら、軽いめまいを覚えるほど思考を巡らせる。
憧れの小説家が不老不死だった。信じられない。
でも現に目の前で2回死んだ。あるいは手品なのか。
そんな手品で私を騙すメリットも無いし、今日私が来たのは本当に偶然だ。
私はアポも取らずに、彼に取材しに来ただけだ。
門前払いも覚悟していたけれど、それどころかシャワーを借りている。
しかし廃業がどうとか言っていた。私が彼の自殺を見てしまったから。
そこまで考えてひとつ閃く。
ほんの一瞬だけ私は「それは人として正しい判断なのか」と逡巡する。
その意味もない善性は、すぐに振り払う事が出来た。
正常な判断力や思考力なんて、ちょうど粉々にぶち壊されたばかりだった。
乾燥機にかけられた私の制服が、乾くまでの代わりに用意してくれたのだろう。
男物のスウェットに着替えた私は、諸々の後片付けをしていた死本に声をかける。
まずシャワーと洗濯機と乾燥機と着替えのお礼を言うと、彼はこちらを向かずに、適当な返事をした。しかしそのまま背後から動かない私を不審に思ったのか、死本はこちらを一瞥する。
「……あなたの正体を言い触らされたら、面倒な事になるんですよね?」
「まあ目立つのは嫌いだし。引っ越しも新しい戸籍を用意すんのも楽じゃねえんだ」
彼の怪訝な表情は、何が言いたいんだと問いかけていた。
私がその時、どうしてそんな決断を下したのか、どうしてそんな取引を持ち掛けたのかは分からない。
「お願いがあります」
全て悪夢だと思い込んでしまいたい筈だった。
けれど、なのに、とにかく私は死本にこんな提案を持ち掛けた。
「私が貴方の正体を黙っている代わりに、これからも貴方の自殺を見たいのですが」
⇒Next. 壱章『
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