第5章

魔界団地の幼妻

魔界・東団地C棟の四階。

40世帯ほどが住むこの団地の4ー7号室で、幼い赤ん坊がスヤスヤと寝息を立てて眠っていた。


魔族が暮らす『魔界』の午後の一時過ぎ。

丁度このお昼下がりの時間帯は、昼食を終えた奥様方がワイドショーを見ながら、一服したりするまったりした時間帯だ。ほど良い静かさで、開け放った窓から初秋の心地よい風も入ってきていた。



(ねんねこやぁ〜 母の胸で眠りなよ〜)


魔界に古くから伝わる子守唄をささやき声で歌いながら、恵理子は赤子の胸を優しくトントンと叩いてやる。

おっぱいをいっぱい飲んで、お腹いっぱいで気持ちよさそうに眠る赤ん坊。


母親似なのか、小さいながらもその頭部には、立派な鬼のようなツノがもう既に生えていた。

魔族にとって頭のツノは、秘めたる魔力の強さを象徴する『力』のシンボルだ。

その形は魔族により様々で、秘めている魔力の系統で形が決まる。


(良い子や〜 誘う眠りは〜 魅惑の甘い劇薬ぅ〜)


お昼寝用の布団に赤ん坊を寝かせ、自分もその隣で添い寝するいつものスタイル。

子供用の小さなお布団だったが、140cmの低身長の恵理子には、その小ささは別に苦にならなかった。


「……ポイズンッ(毒)!!!」


突然の曲の変調に、ビクッと赤ん坊がオギャる気配を見せたが、恵理子は更に激しいビートで赤ん坊の胸をトントンしてやる。

すると安心するのか、赤ん坊は無防備な寝顔のまま、再びすぅすぅと寝息をたてて眠り続けた。


(もぅ、どうして魔界の子守唄は、途中でこんな激しい曲調になるのかしら!ぷんぷん!)


自分で「ぷんぷん!」と言葉にしながら怒る恵理子。

中学生と間違えてしまいそうなほどの童顔の彼女がその言動をしていると、とても彼女が三十代の人妻で子持ちだとは思えなかった。

わかりやすく表現すれば、子持ちロリ幼妻(三十路)だ。

だが…声だけは何故かセクシーボイスという、声優さんのミスキャスト感がハンパない。


彼女は現在、優しい旦那さんとの間に念願の子宝に恵まれ、現在授乳期の育児奮闘中。

昨夜も夜中に数時間おきに起きて赤ちゃんにおっぱいをやったりと、ハードな日々で結構お疲れだった。


「うとうと……」

心地よい風に眠りに誘われ、いつの間にか自分もウトウトと眠りかけ、こくりと頭を揺らす恵理子。

それでも母の本能なのか、赤ちゃんへのトントンは止まることなく続いていた。



『ピンポーーーン!』



まさに、青天の霹靂。

静かなお昼下がりに、突然玄関のインターフォンのチャイムが鳴り、静けさを切り裂いた…。


だが実際は、音が空気を震わせ伝わるよりも早く、恵理子が動いていた。


恵理子の初動は凄まじく速かった。


『ピ』で立ち上がり、『ン』で廊下に出てすでに玄関に移動していた。

『ポ』でインターホンを解除し、1個目の『ー』でドアを開ける。


そしてすぐさま、玄関先に立っていた男のミゾオチに肘鉄を減り込ませ 、相手が呼吸を奪われ言葉を発せないことを確認すると、口のまわりのヨダレの跡を拭い乱れた身だしなみを整えた。急いで乱れ髪を指で耳にたくし上げ、はだけてしまったシャツの胸元をそそくさと手で隠す。


そこまでで0.2秒……2個目の『ー』の『ピンポーー…』までの早業だった。

もしこれが近所のガキのピンポンダッシュのイタズラだったら、間違いなく押した瞬間に瞬殺だったろう。


だが幸い、玄関先に立っていたのは見た感じ如何にも怪しい黒ずくめの大男だった。


『あら? ご、ごめんなさい!? でも今、赤ちゃんが寝てるの! だから、お静かにお願いねっ♡』

口元に人差し指を当て、シィィっのジェスチャーをしながら恵理子が小声で言った。


にこやかな微笑みを浮かべ、怪しい黒ずくめの男を上目遣いに見上げる団地妻の恵理子。


見知らぬ玄関先の大男はコクコクと頷くと、そのまま口から泡を吹いてその場に崩れ落ちてしまった。

あまりの素早い恵理子の一撃に、自分が攻撃されたことすら気付かぬうちに気を失ってしまったようだ。


「いやぁ、さすがは『閃光の恵理子』さん。その魔界イチのスピードは、私ですら目で追うのがやっとですな…」


「だ、誰!? …っていうか、その呼び名で呼ばないで下さい!? は、恥ずかしぃぃぃ(////)」

(三十路でそれは恥ずぃっ!)と、玄関ドアに顔を半分隠し、恥ずかしそうに廊下の男をうかがう恵理子。


『閃光の恵理子』とは、『魔界結婚相談所』の職員である彼女が、その素早い仕事ぶりから呼ばれるようになった二つ名だ。


団体婚活パーティに立ち会った時に、14人を恵理子1人で『ほぼ同時』にカップリングした伝説を持つことから着いた異名。

1秒間に7組のカップル。カバディでいえば2チーム分の数だ。


恵理子の一撃で崩れ落ちた男の後ろから現れたのは、妙にひょろ長く背の高い男だった。

腕には、これ見よがしにはめた『魔王軍司令部』の腕章が、異様な存在感を放っていた。


「これは失礼、私は魔王軍から派遣されて来たものです」

そう言って男は、手帳型の魔王軍司令部の紋章の入った身分証明書を恵理子に提示した。


「はぁ………」


「もうじき、今の魔王の任期が終わり、新しい魔王が誕生する時期がやってくるのはご存知ですね?」


「そ…それは、知っておりますけど…」

魔王の任期は千年で、それが過ぎると次の新しい魔王に代替わりする。

それが魔界の古くからの仕来りだった。


代々『魔王』は世襲制で、魔界を統べる王族の中から王位継承権を持つ者が次の魔王に選ばれる。

現在の『壁尻の魔王』が魔王に就任してから、もうすぐ一千年が経とうとしていた。


「本来なら、現在の魔王様のご子息の中から次の魔王が選ばれるはずでした。

 しかし、ご存知の通り…現在の魔王様は300年もの間、魔界と人間界との境界の穴にハマり、ご子息はおろか……ご結婚すらしていない状況でして……」


「それは…さぞお困りでしょうね」


「そこで、恵理子様に白羽の矢が立ちまして……」


「わ、私が『魔王』ですか!? ただの一般人主婦の私が!?」


夕方には買い物かごをぶら下げて、スーパーの激安タイムセールに奮闘する自分が、突然次の『魔王』に選ばれるとは恵理子は夢にも思っていなかった。

一般的な庶民家庭で育ち、ごく普通の恋愛の末に慎ましやかな結婚。まさに恵理子の人生は、ごく普通の主婦を絵に描いたような人生だった。


それがまさか…魔界を統べる『魔王』に選ばれるなんて、とんでもないと恵理子は恐れおののいた。


(た、確かに…オムツ代もミルク代もお金がかかるし、副収入は欲しいけど……)


しかし、育児休業中の自分が…そんな『魔王』みたいに目立つ副職をしてバレでもたら、会社をクビになるかもしれない……と、恵理子はゾゾゾと体を震わせた。

旦那の稼ぎだって決して良い方ではないが、なんとか節約でヤリクリして暮らせないほどではなかった。

ここでヘタなアルバイトを入れて、職場復帰できなくなる方が困りものだ。


(……って、ちょっと待って……!?)

魔界イチの素早さを持つ恵理子だったが、それと頭の回転の速さは別物らしい。

そこで恵理子は、ようやくある事に気が付いた。


「ええっっっ!? 私ってもしかして、王族の血筋なんですか!!??」


「そうですっ!大正解っ!! 20ポイントげっとぉっっ!!!」


ピンポンピンポン!!と叫びながら、クイズの正解のベルを鳴らすように、男がドアのインターホンを連打する。

その瞬間、瞬殺で恵理子に股間を蹴り上げられ、廊下でのたうち回りもがき苦しんだのは、男の自業自得だった。

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