最終話 そこで、ようやく気付いた

「久しぶりに会えたんだし、少しだけ話をしましょう」


「今から?」


「今から」


 望月の申し出を、能登は渋った。


 能登は仕事があり出勤しなければならない旨を望月に伝えたのだが、望月は譲らなかった。望月の気の強い性格は当時のままで、能登の押しに弱い性格も当時のままだ。望月もスーツ姿なのだから、望月だって出勤しければならないだろうに。


 望月に押し切られる形で、能登はマンションの階段を登っていた。見覚えのあるマンションではあるが、登るのは初めてだった。


 階段を登り終え、2階の通路に出ると視界が広がった。


 通路の右側には200番台から始まる部屋番号と共に各部屋の扉が並んでいる。左側には腰の高さほどの手摺が続いていた。手摺の上側には空が広がり、下側には街並みから切り取られたように線路が伸びている。


 2人は通路の中央へと進む。


 望月は「ここが私の家」と言うが、能登は案内されるまでもなく知っていた。扉の横に、先ほど牧本が手にしていた薔薇の花束が鎮座している。牧本の去り際の男らしさを、能登は思い出していた。


 ややあって、望月は玄関の鍵を開けた。


「掃除してくるから待って」


 能登は遠慮しようとしたが、望月は聞く耳を持たなかった。望月が部屋に入ってしまい、能登は通路で1人きりになる。


 能登は手持ち無沙汰となり、何気なく満谷駅を見下ろした。


 屋根と壁に囲まれているため内部は見えないが、改札のある満谷駅の2階上部が見える。そこから階段が伸び、その先にホームが続く。ホームの両脇を沿う形で、線路が地平線まで延びている。


 この景色こそ、望月が毎朝見ていた景色なのだろうか。


 能登はホームの屋根を改めて見下した。いつもは見上げるだけの屋根を見下すのは不思議な感覚だ。ホームの屋根は青色に塗りたくってあり、効率よく雨水を流すためかギザギザと波打っている。


 能登は視線を階段近くのホームに移した。ちょうど、能登の定位置と重なる辺りにスーツ姿の男が立っていた。彼は新聞に目を落としており、こちらを見上げる気配はない。


 そこで、ようやく気付いた。


 望月は誰に対して手を振っていたのか。望月はどうして晴れの日にしか手を振らないのか。黒猫は晴れの日にどうしているのか。3つの疑問が同時に氷解した。


 能登の定位置の真上。


 ギザギザ屋根の上で、黒猫が気持ち良さそうに寝ていた。


「なるほど」


 能登は納得顔で黒猫に手を振ってみる。しかし、黒猫は能登に気付く様子すら見せない。私ではなく望月が手を振ったならば、黒猫は反応するのだろうか。


 能登がホームに目をやると、そこでは小さな変化が起きていた。先ほどの男が、新聞紙から顔を上げていた。能登は手を振る姿を見られたと思い、気恥ずかしくなって顔を逸らす。


 私と彼の仲が進展するなど、有り得るだろうか。


 能登はその可能性について考え始めた。






   おわり


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

黒猫が三毛猫に変わるまで 星浦 翼 @Hosiura

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ