第10話 どうしてこんな所に?
上原部長の奢りで居酒屋から出ると、外はもう真っ暗だった。
「今日は本当にすまなかったね」
上原部長が頭を下げたので、能登はかぶりを振った。
「いえいえ、そんなことはありませんよ。元々、部長のミスではないんですから」
「そうですよ。それに飲み代も奢ってもらって、ありがとうございました」
木下が能登に賛同するが、上原部長はなおも頭を下げた。
「いや、君たちがいなければ、先方にも迷惑がかかるところだった。本当に助かったよ」
上司の上原部長と、同僚の木下。この二人は、能登と同じ営業部の社員だ。
そして、上原部長が先ほどから謝っているのは、今日の仕事についてだった。帰宅直前、先方に納品するはずの製品が予定よりも足りないことが発覚した。所謂伝達の不備であり、製造部のミスでもあるため、営業部には直接関係がない。しかし、製造部の人出が足りないとのことで、上原部長と能登、木下の三人が駆り出された。
その後、無事に仕事を終えた能登と木下を、上原部長が飲みに行かないかと誘った。二人は快く上原部長の誘いに乗り、遠慮することなく酒を煽った。気心の知れる上原部長や木下と飲む酒は格別だった。
「私はこれで失礼するよ」
上原部長の新築は、会社の最寄り駅とは反対方向に位置する。能登と木下は上原部長に別れを告げ、二人で歩き出した。
着かず離れずといった距離で歩いていると、木下が口を開いた。
「上原部長は、もっと堂々とするべきだと思いませんか?」
木下の口は、いつもより軽い。酒が回っているからだ。
「上原部長はとても良い人ですけど、良い人は損することが多いですよ。私は損するよりも楽がしたいんで、理解に苦しみます」
「そうですね」
「そうですね、じゃないですよ。能登さん、私は能登さんに話しかけているんです。能登さんも能登さんですよ。今日だって断ろうと思えば断れたのに」
「私は上原部長のことが好きですし……」
そこまで言うと、木下が訝しんだ目でこちらを見た。
能登はその目に反論するよう言葉を続けた。
「好きと言っても、あくまで上司として、です。いつもお世話になっているので、頼まれたからには応えようと思いまして」
木下は「ふーん」と返事をしたものの、納得してはいないようだ。木下は時折、子供っぽい印象を見せる。
「お前、能登だろ?」
2人が最寄り駅に着いた時、近頃耳にした台詞が聞こえてきた。
その台詞と声色で、相手が誰かは一目瞭然だ。
2人の前に牧本が立っていた。しかも、前に出会った時と同じ白いスーツを着ている。駅前は銀行よりも白いスーツに似合う場所に思えたが、それは出来の悪いコラージュのようで不自然だった。どうしてこんな所にいるのかを聞こうとしたが、その前に木下が「カッコイイ人じゃないですか」と牧本の外見を褒めた。
木下はアイドルが好きで、仕事場でも暇があればその話をする。能登にはそういった趣味がなく、2人で話をするといっても、木下が喋り能登が相槌を打つだけだ。しかし、無口な能登は会話を提供してくれる木下に感謝している。能登は感謝のお返しに〝いくらイケメンが好きでも、牧本は辞めておいた方がいいですよ〟と忠告しようか迷った。
牧本は笑顔で近づいてくると、ようやく木下にも目を向ける。
「おや、こちらは?」
「同僚の木下さん」
能登は簡潔に木下を紹介する。
「どうも、木下唯です。24歳です」
誰も年齢など聞いてないのだが、と野次を入れる間もなく、牧本が名刺を取り出す。
「癒し系ホストの牧本拓哉です。どうぞよろしく」
優雅な礼を見せる牧本は、酒が入っているのか顔が上気していた。
恋の予感に揺れる木下を置いておき、能登は牧本に話しかける。
「どうしてこんな所に?」
「同窓会の帰りだよ。今はもう解散しちまったけど、すぐ前まで集まってたんだ。もう少し早く会えれば、みんなとも話せたのに」
牧本が残念そうに言うが、能登は同窓会の日時すら覚えていなかった。牧本と会ったのが先週だから、確かに今日が同窓会の当日になるだろう。
「この近くで同窓会を?」
能登が訊くと、牧本は「ああ」と頷いた。
そんな牧本を見て、能登は心底驚いていた。
自分の動揺の正体が掴めず、能登は逡巡する。同窓会帰りの牧本に出会ったということは、望月に出会ったかも知れないということだ。隠された本音に行き着き、能登はもう一度驚いた。
――望月に会わなくてよかった。
私は無意識に、そう考えていたらしい。
「大丈夫か?」
牧本が顔を寄せてそう言った。
能登は目蓋を閉じ、気持ちを切り替えようと心がける。
「平気だよ」
能登は手を振り、努めて明るく答えた。実際、体調が悪いわけではない。
「本当に、大丈夫か?」
「平気だって」
牧本の心配が駄目押しに聞こえ、能登は牧本の真意を図りかねた。
牧本は能登の体を気遣ってか、決意するように声を溜める。
「これから飲みに誘おうと思っていたんだが、辞めた方がいいかな?」
牧本の言葉が切羽詰って聞こえたのは、話題が逸れたからなのだろうか。
能登は考える。明日は日曜日だから、疲れを持ち越しても大丈夫だろう。それに、牧本と腰を据えて話をしてみたいと思った。積もる話もある。
「行こう」
能登は簡単にそれを決めた。
「木下さんはどうしますか?」
聞いてみたものの、独身女性が見知らぬ男と酒を飲むのは問題だと思う。
木下もそう考えたようで、かぶりを振った。
「悪いね、可愛い子ちゃん」
牧本が古臭くそう言うが、木下は満更でもないらしい。「いやーん」と言いながら、おどけて見せた。2人とも顔見知りをする性格でないにしろ、この内容で会話が成り立つのは素晴らしい。
「で、どこ行くの?」
能登が聞くと、牧本は笑顔で答えた。
「お洒落な所、案内してやるよ」
能登は木下と別れ、牧本の自称〝お洒落な所〟へ向かった。
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