第6話 まぼろしの鑑定結果

 法科学鑑定研究センターからの回答はそれから約3週間後にもたらされた。最長で1ヶ月以上かかるかもしれない、との説明を受けていただけに結構な早さに皆、驚かされた。ちなみにその間、士郎に対する指導という名のいじめは停止状態であった。


 そして士郎の望み通り、再び、全校集会と称して全校生徒が体育館に集められ、士郎たち図書部の部員は刑事被告人よろしく壇上の右端に並ばされた。浅野は壇上の左端、教師連の中に混じってパイプ椅子に腰を下ろしていた。そして壇上の中央に設えられた演壇で学園長の保科が厳かに鑑定結果の入った封筒を開封する様子を士郎たちが固唾を呑んで見守る一方、浅野はタバコのDNAと士郎たち図書部の部員のDNAとが一致するに決まっていると言わんばかりに傲然とした様子で腕組みしながら保科が鑑定結果を読み上げるのを今か今かと待ち受けた。


 保科は封筒の中から鑑定結果を取り出してそれにざっと目を通すと、マイクを手に取った。少し表情が変化したように士郎には見受けられた。士郎はポケットにてをやった。


「10本のタバコの吸い口に付着していた唾液から採取されたDNA型はそれぞれに別人のDNA型の特徴を示しており、即ち、異なる10人のDNA型であるとの結論に達した…」


 保科の読み上げた鑑定結果の報告に体育館内はざわめきに包まれた。壇上に座る浅野たち教師連も互いの顔を見合わせ、首をかしげた。なぜなら図書部の部員は士郎を含めて5人しかいないからだ。


 ところが10本のタバコの吸い口に付着していた唾液から採取されたDNAは10人の異なる型を持っており、つまり1人1本ずつのタバコを吸った、ということを意味していた。そしてタバコの吸殻は10本、つまり10人が必要であり、一方で士郎たち図書部の部員は5人に過ぎず、例え士郎たち図書部の部員が5人で1本ずつタバコを吸ったと仮定しても士郎たち図書部の部員以外にもタバコを吸った人間があと5人いなければならない。そうでないと勘定が合わないからだ。


 静粛に、と注意し、体育館内に静寂さが戻るのを待ってから保科は鑑定結果の報告の続きを読み上げ始めた。


「それらの10本のタバコの吸い口に付着していた唾液から採取されたDNAと5名の被験者…、つまり吉良君たち図書部の部員のことだが、その被験者の口内から採取したDNAとを比較照合した結果、タバコの吸い口に付着していた唾液から採取したDNAと一致するDNA型を持つ被験者は誰一人としていない…、との結論を得るに至った…」


 保科が鑑定結果を読み上げると全校生徒は勿論のこと、壇上にいた教師連までからもどよめきの声が一斉に漏れた。そして浅野は今にも「そんな馬鹿な」と言いたげな様子で口を半開きにしていた。


「つまり図書室のゴミ箱に捨てられていたタバコの吸殻ですが、あれは俺たち図書部の部員が吸ったものではない、ということが証明されたわけですね?」


 士郎は壇上に並ばされた列から一歩、前に進み出ると図書部の部員一同を代表する形で尋ねた。


「そういうことになる」


 と保科は答えた。


「ですが現に図書室のゴミ箱にはタバコの吸殻が捨てられていた、これは一体、どういうことになるのでしょうかねぇ…」


 士郎の素朴な疑問に保科は「さあ…」と言って首をかしげた。


「司書や司書補がいなくなる午後4時以降にタバコを吸った人間がいたとして、その人間が俺たち図書部の部員ではい、そして図書室は俺が施錠し、図書室の鍵を顧問の喜連川先生に返却した後で喜連川先生から鍵を借りに来た人間は一人もいない、つまり図書室には入れなかった、にもかかわらず俺たち図書部の部員が帰り、施錠された図書室で誰かがタバコを吸った、となればこれはもう幽霊が吸ったとしか考えられませんな…」


 士郎の軽口に全校生徒も保科も、他の教師も、そして勿論、浅野もニコリともしなかった。


「勿論、幽霊がタバコを吸った、というのはあまりにも非現実的…、ですがもう一つの、現実的な可能性があります」


「もう一つの現実的な可能性?」


 保科は興味を惹かれたらしく士郎のその言葉を反芻した。全校生徒も、そして教師連も同じように興味津々、といった様子で耳を澄まして聞いていた。その中には浅野もいた。但し、若干、青ざめた様子ではあったが。


「ええ」


「どんな可能性がある、と言うんだね?」


「図書部の部活を終えた俺が図書室を施錠してからその後で誰かが、正確には10人が図書室に忍び込んでタバコを10本も吸って、そして図書室のゴミ箱に捨てた、という可能性ですよ」


「確かに幽霊云々よりは現実的な可能性だが、一つだけ見落としていることがあるぞ?」


「何でしょうか?」


「君がついさっき言ったばかりじゃないか。あの図書室は密室だった、ということだ。その10人の誰かたちは君たち図書部の部員が図書室から引き上げたのを見計らって図書室に侵入した、ということになる」


「ええ」


「だが今、君自身が言ったように君は図書室を施錠し、その鍵を喜連川先生に返した。その施錠された図書室に入ってタバコを吸い、そしてゴミ箱に捨てるなんて芸当を演じるには図書室の鍵を開けて中に入らなければならない。それには図書室の鍵の保管者である喜連川先生から鍵を借りて、その鍵でもって図書室の鍵を開けて中に入らなければならないが、喜連川先生から鍵を借りに来た人間はおらず、つまりそのタバコを吸ってその吸殻をゴミ箱に捨てたかもしれないい10人の誰か、なんて存在しないということにはならないか?鍵が抉じ開けられた形跡もない以上…」


「分かっています。ですから図書室の鍵を持っている人間、その人物こそがその誰か…、10人のうちの一人、ということですよ」


「まさか喜連川先生が?」


 喜連川は俺じゃないと言わんばかりに頭を振った。その様子が士郎にはあまりにも滑稽であったので、士郎は思わず苦笑しつつ、「いいえ」と否定してやった。


「そんなリスクを冒す理由は喜連川先生にはありません」


「だが鍵の保管者ともなると…」


「ええ、ですがもう一人、鍵の保管者がいるじゃありませんか」


「えっ?」


「生活指導主任の浅野先生は建物内の全ての部屋のスペアキーの保管者ですよね?勿論、図書室についても言えることですが…」


「君ぃ…」


 士郎が何を言いたいのか、保科は漸く理解出来た様子であった。それは浅野も同様で、それまで教師連の中で大人しく控えていたのが、士郎の今の言葉を聞くなり、士郎の下へと近付くと掴み掛かろうとして、他の体育教師から羽交い絞めにされた。


「てめぇ…、俺が何をしたって言うんだっ!」


 体育教師に羽交い絞めにされながら浅野は喚いた。


「それは浅野先生ご自身が一番、良く御存知の筈では?」


「何だと…」


「俺を嵌めるために、俺たち図書部の部員が部活動を終え、俺が図書室を施錠し、そして喜連川先生に鍵を返却したのを見計らって、浅野先生はご自身で保管しておられる図書室のスペアキーを使って解錠して図書室に忍び込み、そしてそこでタバコを吸って、その吸殻をゴミ箱に捨てた…、如何にも俺たち図書部の部員が図書室でタバコを吸ったかのように見せかけるために…」


「馬鹿な…、一体、どこにそんな証拠があるって言うんだっ!」


「証拠…、ですか…」


「そうだ」


「それでしたらDNA鑑定を受けて下さい」


「なに?」


「ですから浅野先生のDNAと例のタバコの吸い口に付着していた唾液から採取されたDNAとを比較照合すれば、俺の推理が正しいのか、それとも違うのかが分かる筈です」


「教師の俺に対してDNA鑑定を受けろと言うつもりかっ!?」


「ええ。勿論、強制はしませんが、それでも嫌だと仰るならば否が応でも浅野先生に対する疑惑は深まるものと思われますが?」


 浅野は羽交い絞めにされたまま辺りを見回した。今や保科や他の教師連からも…、無論、浅野を羽交い絞めにしている教師からも、そして全校生徒からも自分に対して疑惑の目が向けられているのを浅野はひしひしと感じていた。


「…分かったよ。分かったから放してくれ…」


 浅野が落ち着いた様子なので羽交い絞めにしていた教諭も浅野を解放した。


「それで…、もしDNA鑑定の結果、俺のDNAじゃなかった、ってことになったらどう責任を取るつもりだ?」


「責任…、ですか?」


「そうだ」


 士郎は思わず失笑した。


「何が可笑しいんだっ!」


 士郎の失笑が浅野のカンに障ったらしく、浅野は怒鳴った。


「いえ…、そのお気に障ったのなら謝ります。ただ良くもまあそんなことを平然と口に出来るものだと、呆れるやら感心するやらで…、つい笑いたくなってしまったものですから…」


「何だと…」


「どう責任を取るつもりだ…、浅野先生は今、俺にそう仰いましたね?」


「そうだ。それが何だと言うんだ?」


「責任…。浅野先生には最も似つかわしくない言葉だ」


「なにっ!?」


「俺や、部員がDNA鑑定を受けるに当たって、もし万が一、DNA鑑定の結果、俺や図書部の部員のDNAとタバコの吸い口に付着していた唾液から採取されたDNAとが一致した場合、俺たち図書部の部員、それからDNA鑑定を提案した梶川までもが責任を取る…、つまり剣道部に強制入部、という条件でDNA鑑定を行うことになりましたが、その際に、もしDNA鑑定の結果、一致しなかった場合、つまり正に今の状況ですが、その時には浅野先生はどんな責任を取られるのか尋ねましたところ、責任を取るつもりはない、と仰いました。ところが今、浅野先生が俺たち図書部の部員と同じ立場に立たれた時、つまりDNA鑑定を受けるに当たって、もし一致しなかった場合、俺に対して責任を取らせるというのは些か、どころか、相当に恥知らずな振る舞いというものではありませんか?」


 浅野は怒りのためか、もしくは屈辱のためか、あるいはその両方からか、顔が普段の倍以上に膨張し、そして真っ赤であった。


「まあ良いでしょう。浅野先生には道理というものが通用しないようですから。お望み通り、責任を取りましょう」


「なに?」


 浅野だけでなく傍で成り行きを見守っていた保科も声を上げた。


「もしDNA鑑定の結果、タバコの吸い口に付着しているDNAと浅野先生のDNAとが一致しなかった場合、俺は責任を取ってこの大塚学院を去ることをお約束します」


「吉良君…」


 保科は士郎を止めようとした。


「そんな軽々しく…」


 そう諌める保科に対して士郎は、


「そうでもお約束しないことには浅野先生はDNA鑑定を受けては頂けないでしょうから」


 と済ました顔で答えた。


「浅野先生…、この際、無条件でDNA鑑定を受けて身の潔白を証明されてはどうですか?」


 保科はまるで聞き分けのない子供を諭すような口振りで浅野を説得した。


「そんな…」


 案の定、浅野は無条件でDNA鑑定を受けることを渋った。


「保科校長、構いませんから」


 士郎は保科の背中に向けて声をかけた。保科は振り向くと、「しかし…」と顔を顰めた。


「それにDNA鑑定ですが浅野先生だけではなく、剣道部の部員全員にも受けて頂きたいんですよ」


 士郎がそう言うと保科は何かに気付いたらしく、「あっ…」と声を上げた。


「どうやら気付かれたようですね…」


 士郎は保科に対して微笑んだ。


「君、まさか…」


 そう言いかけた保科に対して士郎は、「校長のご想像の通りですよ」と答えた。


「あの10本のタバコの吸い殻…、まさか浅野先生と…」


「ご明察。さきほど校長からDNA鑑定の結果が読み上げられましたが、それによりますと例の10本のタバコの吸殻ですが、異なる10人の人間が吸ったものであるらしい…」


「そして剣道部の部員は9人、顧問の浅野先生を含めれば丁度、10人…」


 保科は士郎の言葉を引き取った。


「そういうことです」


「君ぃ、まさか…、浅野先生が自分が顧問を務める剣道部の部員を煽動して、剣道部の部員にもタバコを吸わせた、そう考えているのかね?」


「ええ。俺たち図書部員、いや、もっと言えば俺を罠に嵌めるべく、図書室でタバコを吸って、その吸殻を図書室のゴミ箱に捨てて俺たち図書部の部員に喫煙の濡れ衣を着せる、というそんな前代未聞とも言うべき浅野先生の暴挙に協力するような人間は自ずから限られますよ」


「それが剣道部の部員、というわけか?」


「そういうことです。動機の面からも、それから人数の面からも…、何しろ9人の部員に顧問の浅野先生の計10人という人数の面からも辻褄が合うんですよ」


「確かにそうだが…」


「ですから顧問の浅野先生と共に剣道部の部員全員にもDNA鑑定を受けて欲しいんですよ」


「なるほど…」


「勿論、無条件で、とは言いませんよ」


「それが君の退学、というわけかね?」


「仰る通りです。俺の退学と引きかえに浅野先生と剣道部の部員全員にDNA鑑定を受けて欲しいんですよ。悪い取引じゃないでしょう?潔白なら…」


 士郎は浅野の方へと体を向けて言った。そして保科はどうするといった顔で浅野を見た。浅野は保科の視線に気付くと、「良いだろう」と応じた。


 その日、浅野は剣道部の部員を全員、引き連れて霞が関にある法科学鑑定研究センターを再訪した。もっとも前回とは違い、今回は9人もの部員を連れて行かなければならないので浅野の愛車であるワゴン車ではとても乗せきれないのでマイクロバスに乗せてセンターに向かった。ちなみに運転するのは浅野ではなく別の体育教師であった。今回の浅野の立場は言わば被疑者ということもあってか浅野に運転させるわけにはいかない、という保科の判断が働いたからだ。この保科の判断には理事長の内藤も異議を差し挟まなかった。いや、正確には差し挟めなかった、と言うべきか。


 法科学鑑定研究センターに到着すると浅野は剣道部員と共に被験者になる当たっての型通りの説明、それに被験者になることの合意書面にサインをすると口内をめん棒を使ってDNAを研究員によって採取された。


 DNA鑑定を終えた浅野と剣道部員達は再びマイクロバスに乗せられ、そして部員たちをまず各々の自宅に帰してから、浅野一人を乗せたマイクロバスは学校へと逆戻りした。DNA鑑定が終わり次第、理事長室に来いと、センターに向かう前に浅野は携帯電話でもって内藤からそう命じられていたからだ。


「失礼致します…」


 浅野は恐る恐る理事長室へと入るなり、「この大馬鹿野郎がっ!」という内藤からの罵声を浴びせられた。


「良くも…、良くもこの俺に恥をかかせてくれたなぁ…、あっ!?」


 浅野は俯いた。


「吉良たち図書部の部員がタバコを吸ったのは間違いない…、つい先日そう大見得をきってみせたのはどこの誰だっ!」


 浅野は俯いたまま何も答えられなかった。


「貴様…、俺に言ったことを覚えているだろうな?あっ?」


「…はい」


「よし、それじゃあ言ってみろ。俺に何と言ったか、言ってみろっ!」


「…図書室でタバコを吸っていたのは吉良士郎を始めとする図書部の部員に違いなく、もしそれがDNA鑑定の結果、証明されれば図書部の顧問の喜連川についてはその管理責任を不問にすることと引きかえに、理事長サイドへとつかせることが出来ると…」


「そうだ。そうなれば学園長の保科をこの学院から追い出すことも可能だ、貴様はそう大見得を切ったな?」


「…はい」


「ところが結果はどうだ?あっ?」


 浅野は唇を噛み締めるだけで何も答えなかった。


「何も答えられない、か?そうだよなぁ、答えられるわけないよなぁ。あれだけ大見得を切っておきながら結果は惨憺たるものだったんだからな。タバコの吸い口に付着していたDNAから採取されたDNAは吉良は勿論のこと、図書部の部員の誰一人として一致するものはおらず、それどころか今度はそのタバコを吸ったのは貴様と貴様が顧問を務める剣道部のゴク潰し共ではないか、との疑惑が降りかかってる…」


「違いますっ!」


 浅野は縋るような調子で反論した。


「何が違うと言うんだっ!」


「タバコを吸ったのは俺でもなければましてや剣道部の部員でもありませんっ!」


「当たり前だっ!」


 怒鳴る浅野に対して内藤も怒鳴り返した。


「そんなことがあってたまるかっ!だが万が一、DNA鑑定の結果、貴様やゴク潰しの部員共のDNAとタバコの吸い口に付着していた唾液から採取されたDNAとが一致したら…、その時は分かっているだろうな?」


 内藤は浅野を見据えた。


「…はい」


「分かっているなら良い。家に帰ってせいぜい、DNAが一致しないことを祈るなり、あるいは…、辞表の文言でも考えておくんだな」


 剣道部顧問の浅野又郎と子分の部員達のDNAと例のタバコの吸い口に付着していた唾液から検出されたDNAとの比較照合は5日後に判明した。既に最も困難と思われるタバコの吸い口に付着していた唾液からのDNAの検出作業が終わっていたので、研究所内で採取した浅野と子分の部員共のDNAとの比較照合の作業自体はそれほど難しいものではなかったからだ。


 やはり鑑定結果は学園長の保科に届けられ、その鑑定結果についてもやはり、体育館にて全校生徒が集まる中で読み上げられることになった。


 壇上では中央演壇には保科、そして壇上の左端には教師連、とここまではいつも通りの席次であったが、いつもと違う点が二点あった。それは壇上右端、先日まで喫煙疑惑が降りかかっていた士郎たち図書部員が刑事被告人よろしく並ばされていたその場所に、今は剣道部員と共に浅野までが並ばされていた、ということであった。今の浅野にはパイプ椅子さえ与えられてはいなかった。


 一方で士郎は最早、刑事被告人の立場ではなく本来ならばギャラリー席から、生徒が並んでいる列に並ぶべきであったが…、事実、士郎以外の図書部の部員は列に並んでいたが、しかし、士郎は今は左端の教師連に混じっていた。士郎も浅野と同様にパイプ椅子こそ与えられてはいなかったものの、それでもこの立ち位置の違いが何よりも士郎と、浅野、それに子分の剣道部員との攻守逆転を如実に物語っていた。


 壇上の中央の演壇に立った保科は鑑定結果の報告書に目を通すなり、大きく目を見開き、そして体全体を小刻みに震わせた。その様子からして既に鑑定結果の報告書に何が書かれているのか想像出来る、というものであった。それは浅野も同様らしく、浅野は顔面蒼白であった。そして士郎は再びポケットに手をやった。


「鑑定の結果…、10本のタバコの吸い口に付着していた唾液から採取されたDNA型と浅野又郎氏と9人の部員の口内から採取したDNA型とを比較照合したところ完全に一致した…」


 保科がそう読み上げた瞬間、


「違うっ!俺じゃねぇっ!」


「俺は吸ってねぇよっ!」


「でっち上げだっ!」


「冤罪だっ!」


 壇上の右端に並ばされていた9人の部員は口々にそんなことを喚き散らしたかと思うと、壇上中央で鑑定結果の報告の続きを読み上げた保科に詰め寄ろうとし、左端に座っていた体育教師はすかさず飛び出すと剣道部員…、いや不良を押さえ込んだ。その間、浅野は何をしていたのかと言うと、部員の無法に対して見て見ぬ振りを決め込んでいた。いや、衝撃が強すぎて無法を押さえるどころではなかったのかもしれない。


 それにしても、と士郎は思った。これが普通の生徒…、特進クラスの優秀な生徒とは言わない、せめて普通に学則を守る、それも完全に守る必要性までは要求されない、多少は校則にはみ出るところがある普通の生徒の言い分ならばなるほど、冤罪、あるいはでっち上げ、というそれらの言葉に説得力があるかもしれなかったが、生憎、今、でっち上げだの冤罪だのと喚き散らしている連中は学則はおろか、国内法…、とりわけ刑法や軽犯罪法を平気で踏みにじる連中である。現に今もこうして校長に掴み掛かろうとした連中である。とても冤罪だの、でっち上げだのと、そんな単語を並べたところでまったく説得力がなかった。


「見苦しいぞっ!」


 保科は剣道部員によって掴み掛かられた時に乱れた背広を直すとそう一喝した。


「学園長っ!こいつらの言う通りですよっ!」


 浅野は漸く声が出せたかと思うと、部員の肩を持った。


「俺や部員が図書室でタバコを吸ったなんて、そんな馬鹿なことある筈ないじゃないですかっ!」


 学園長である保科に対して浅野は私という一人称代名詞から俺という一人称代名詞へと変化させた。いや、変化というよりはメッキが剥がれたと言うべきだろうか。


「お黙りなさいっ!」


 保科は遂に浅野に対しても一喝した。これまでは理事長の遠縁にあたるということもあってどこか遠慮があったのだが、それも今日限り、ということらしい。浅野とその子分の部員共が事もあろうに図書部の部員を陥れるために図書室でタバコを吸い、その吸殻をゴミ箱に捨てた…、ということがDNA鑑定の結果が一致した、つまり科学的に立証されたという強みから、浅野に対して最早、遠慮は不要、とばかり強く出られたのであろう。


「浅野先生っ!最早、これ以上の言い逃れは見苦しいの一言に尽きますぞっ!」


「でも本当に…」


「それならタバコの吸い口に付着していた唾液から検出されたDNAですがそのDNA型と浅野先生、それに9人の剣道部員のDNA型とが一致したという事実はどう説明されるおつもりですかっ!」


「それは…」


「それは、何だと言うんですかっ!」


 浅野は遂に答えられず黙り込んでしまった。


「無実だと仰るのなら黙ってないで納得出来る説明をなさいっ」


 保科は追い討ちをかけた。それに対して浅野が口を開くことはなかった。


「沈黙が何よりも雄弁に物語っているでしょう。浅野先生、あなたが部員たちを煽動して図書部の部員を陥れようとしたことを…」


「だからそんなことはしてねぇよっ!」


 浅野は興奮のためか、今、自分が話している相手が学園長であるという事実をすっかり忘れている様子であった。まるでヤンキー時代に戻ったかのような口振りであった。


「だったらどうしてあなたと部員のDNAとタバコの吸い口に付着していた唾液から検出されたDNAとが一致したのか、納得出来るように説明なさいっ!」 


 堂々巡りだな…、士郎はそう思い、「もう止めにしませんか?」と口を挟んだ。浅野と保科の際限のない言い争いは止み、二人共、士郎の方へと視線を向けた。


「もう止めにしましょう」


 士郎は繰り返した。


「何を止めにしようって言うんだっ!あっ!?」


 どうやら浅野に対して向けられた言葉である…、ということを誰よりも浅野自身が自覚している様子であり、そう怒鳴った。虚勢そのものであった。

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