転生者スレイヤー

くま猫

序章:転生者スレイヤー

 月光が、まるで舞台照明のように、テルスの街の薄暗い裏路地を、冷たく、そして不気味に照らし出している。


 僕の目の前には、今夜の「仕事」の標的――異世界からの転生者。


 その男が、まるで壊れた獣のように、何かを絶叫していた。


「おい――姿を現せ、この卑怯者が! てめーが、この俺の命を狙っているっていうクソ野郎は、今ここにいるぞ!」


 血反吐を吐きながら、男は誰何する。


 そうだ。僕が今夜、この手で確実に抹殺するべき対象は、この消耗しきった哀れな男だ。


 組織からの情報によれば、彼は「転生者」――この世界の理を歪め、時として大きな災厄をもたらす可能性を秘めた、危険な存在。


 僕は、夜の闇よりも深い、自らの気配を完全に闇に溶けこませる。


 音もなく、風のように男との距離を詰める。


「■■■■は……カッ■■は、どこだ……。正直に答えるなら、お前のその薄汚い命だけは……見逃してやっても……いい……」


 男が、途切れ途切れに、誰かの名前を呼びながら、何かを問いかけてくる。


 誰の名前を、一体誰に問いかけているというのだろう?


 この僕にか?


 男の声が、まるで水中にいるかのように、うまく聴き取れない……。


 頭が……まるで内側から万力で締め付けられるかのように、ズキズキと割れるように痛む……。


 


 そうだ。


 僕は今夜、この二ヶ月という長いようで短い期間、その一挙手一投足を執拗に付け狙っていたこの男を、確実に、そして一片の情けも挟むことなく殺すために、この血と硝煙の匂いが充満する場所にいるのだ。


 ――――落ち着け、深呼吸だ。


 感情を殺せ。


 思考を止めろ。


 ただ、任務を遂行するだけの、冷たい機械になれ。


 僕は、ターゲットである転生者に向け、腰のポーチから取り出した球状の炸裂弾を、まるでボーリングの球でも投げるかのように、無造作に、しかし正確なコントロールで中空へと放り投げた。


 それは、この世界のどんな魔術師も知らないであろう、僕の故郷「地球」の知識と技術を応用して作られた――一目で分かるトラップ特製の不可避の殺傷兵器


 ほんの一瞬だけでも男の注意を引きつけ、そしてその油断した隙に、一撃で確実に爆殺できるだけの十分な致死量を持つ、冷たい死の塊。


 黒い球体の炸裂弾は、まるで意思を持っているかのように、男の足元へと正確に、そして不気味なほど静かに転がってゆく――。


 ゴロロ…ゴロン――。


「があぁああぁあぁああああああああああ!!!!!!!!!」


 ――目の前の男が、その球状の炸裂弾を見て、人間とは思えない、まるで魂そのものが張り裂けるかのような、獣の咆哮ほうこうを上げた。


 男は、なぜかそれを回避しようともせず、ただ、その血走った目で、転がり落ちる炸裂弾の動きを、まるで金縛りにでもあったかのように、ただじっと見つめている。


 そして、その炸裂弾が、彼のつま先に、コツン、と無機質な音を立ててぶつかるまで、彼は一切動かなかった。


 ――ズドンッッ!!


 一瞬、世界から全ての音が消え失せるほどの激しい閃光――遅れて、鼓膜を突き破るかのような轟音――そして、全てを焼き尽くさんとする灼熱の爆炎。


 炸裂弾の内部に詰め込まれていた、無数の鋭利な鉄片が、まるで飢えた獣の牙のように男の全身に深々と突き刺さり、まるで無数の針を突き立てられた――針刺ピンクッションのような、あまりにも無残で、そしてあまりにも凄惨な有様だった。


 目の前の男の右脚部と右上腕は、爆発の衝撃で無惨にも吹き飛び、欠損している――。


 炸裂弾の鋭利な鉄片により、おそらくは片方の眼球も無残に抉り取られているのだろう――。


 僕自身は、爆発の瞬間、ある程度の安全な距離はとっていたが、それでもなお、いくつかの熱い鉄片が僕の頬を掠め、焼けるような痛みを残した――。


 あれは、僕が持ちうる技術の粋を集めて作り上げた、確実に致死量に至る威力を秘めた炸裂弾だったはずだ。


 本来であれば、ターゲットの四肢はバラバラに千切れ飛び、その肉片は周囲に飛び散り、原型を留めていないはずだった……。


 だが――。


 信じられないことに、この男はまだ――その二本の足で、かろうじて立っている。



連続詠唱キャスト・クラック――開始レディ束縛バインド継続治癒リジェネレイト浮揚フライ……痛覚遮断ペインキルは――もはや、必要無いッ!」



 その満身創痍の体で、今から一体何をしようというのか?


 その瞳には、もはや正気の色はない。


 あるのは、ただ純粋な、そして底なしの怒りと、絶望的なまでの悲しみだけだ。


 僕は――本来であれば、既に死んでいる”はず”の、この哀れな男に対し、明確な、そして慈悲深き「死」を与えるため……。


 ――夜の闇よりも深い、漆黒に染め上げられた不可視のダガーを、残りの四本、同時に、そして一切の躊躇なく投擲する。


 男は、常人離れした反射神経で、辛うじて上体を捻ることにより、僕の投擲した三本のダガーを回避する――だが、そのうちの一本が、彼の守りの薄い脇腹を、肉を裂き骨を砕きながら深く抉る。


 おそらくは内臓が破れたのだろう――おびただしい量の、熱く生々しい鮮血が、まるで壊れた水道管のように勢いよく溢れ出す。




「ははは。********[DATA LOST]****************[NULL]*****で確実に君を殺せるだけの慈悲はかけてやったつもりな*****んだけど。まだ息があるとは、本当に意外だね! ***********[DELETED]*********――って、言うと思ったか、この外道が? 所詮は**********[BEEP]********だもんなぁ――この、出来損ないの****!」



 ケタケタと、まるで壊れた人形のように甲高い声で嘲り笑う、ひどく醜悪な顔をした男がいた。



 ――いや、それは、僕自身のことだ。



 相手を極限まで激昂させ、その精神的なバランスを崩壊させることのみを目的とした、一切の感情も意味も持たない、ただただ不快な単語の羅列――暗殺者としての、僕の得意とする「最適解」の一つ。



 思わず、胸の奥から酸っぱいものが込み上げてくるのを感じる――。


 駄目だ。あと少しだけだ――。


 意識を、この任務が終わる最後の瞬間まで、保たないと。



「動揺を誘うことのみを目的にした、感情も意味も持たない、ただの音の羅列――。それは、もはや言葉ではなく、ただの騒音でしかない。そんなものに、今の俺が語り合うべき言葉など――何一つとして、ありはしない」



 見抜かれていた――。


 僕の、暗殺者としての、あまりにも稚拙な詐術も……まだまだ、経験が足りないということか。


 突如、目の前の男の全身から放たれる気配オーラが、まるで別人のもののように一変する――。


 これが、転生者固有の、世界すら歪めるという「異能」の力だというのだろうか。


 男の声と、そしてどこからか聞こえてくる、凛とした、しかしどこまでも悲しげな美しい女性の声が、まるで一つの魂の叫びのように重なって聴こえた。


 その声は、まるで魂を直接揺さぶるような、悲痛な響きを伴っていた。


 あるいは、これもまた、僕の疲弊しきった脳が見せている幻聴なのかもしれない――。


 くそ――。よりによって、こんな、最も重要な戦闘の、最後の最後に。


生命活動維持サステナビリティのプロトコルを、今この瞬間をもって破棄カットする――****、いや、■■■■。俺の最後の命令だ。奴の死のみを目的に、俺の魂が燃え尽きるその最後の瞬間まで、その全ての力を、俺に与え続けろ!」




了解ロジャ、マイ・マスター。|全システム及び倫理的制限、フェイルセーフ・プロトコルを、今この瞬間をもって完全に解除リミッター・オミットいたします。バベルの叡智の図書館アカシックライブラリ、その最深部に永劫に封印されし禁断の魔導書ネクロノミコンへのダイレクト・チャネリング・アクセスを、これより強制的に開始クラッキング――アクセス・コード、マスターとの魂の同期を確認……完了コンプリートしました。禁術詠唱術式キャスト・コマンド――全工程読了ダウンロード、完了。|詠唱術式展開シーケンスを、マスターの脳神経回路及び魂の根幹にダイレクト投影ソフィアフルコネクト――。マスターと私、二つの魂による禁断の連弾詠唱フォー・ハンズ……その、あまりにも悲しい最終楽章を、今、この瞬間に開始イニシエイションいたします!》




 その女性の声は、悲痛でありながらも、どこまでも献身的だった。


 ******************


 生あるものに、永遠の災いを!


《――そして、死にゆくものに、底なしの絶望を!》


 善行を成すもの、無惨に罰せられるべし!


《――悪行を成すもの、永遠に呪われるべし!》


 輪廻の輪を打ち砕き、終焉を迎えよジ・エンド深淵の奈落アビスへ墜ちよ!


 ******************


 その絶望的なまでの禁術の詠唱が完了した直後、男の、かろうじて胴体にぶら下がっていた左腕から、闇夜の闇の中にあっても、なお異質極まりない『漆黒の球体』――闇よりもさらに深く、そして濃密なNULLそのものが、僕という存在を完全に殺し、抹消するためだけに、彼の魂の最後の輝きと共に――解き放たれる――。


 その黒い球体は、まるで死という概念そのものが凝縮され、意思を持って顕現したかのようだった――。


 あらゆる光を喰らい尽くし、その黒色死の色の球体の中心で、ぐちゃぐちゃと、名状しがたいナニモノかが、まるで深淵の底で蠢く古の邪神のように、不気味に蠢いているうごめいているのが、僕の目にもはっきりと見えた――。


 あの忌まわしい球体は、おそらく通常の魔法の類ではない。


 あれはきっと、僕のような、許されざる外道を、この世界から完全に裁き、抹消するための、絶対的な「罰」そのものなのだ。


 周囲の希薄な光すらも、まるで飢えた獣のように喰らい尽くしながら――その漆黒の球体は、僕の眼前に、そして僕の魂そのものに、抗いがたい絶望と共に迫っていた――。


 ああ……■■。


 僕の、あまりにも稚拙な作戦は、どうやら完全に失敗に終わったようだ――。


 僕のような、血塗られた悪人にこそ相応しい、どこまでも醜悪で、そしてどこまでも滑稽な末路――。


 ■■……お前を残して、先に僕だけがこんな場所で楽になるなんていう罪を……どうか……。


 どうか、僕を許さないまま――この世界で、お前だけは、幸せに生きてくれ――。


 男の命の灯火が消えゆくのを感じる。


 同時に、何か得体の知れない感覚が、僕の内に流れ込んでくる。


 これは……?

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