ルプス
「……喫茶、店?」
起き上がった悠の前には、歴史を感じる佇まいの建物があった。少し草臥れたレンガ造りの一戸建てで、個人経営の喫茶店らしい。生まれてからこのかた、この町に住んでいる悠でさえ知らない店だったが見覚えがある。
「確か、今朝のニュースで」
朝食後のお茶をしばきながら見ていたニュース。そこで、フルーツタルトが話題になっている喫茶店として特集されていた店と同じなのを思い出す。
時間は真夜中なので、当然店は閉まっている。だが店の中からは明かりが零れていた。
エリカは悠の横を通り過ぎると、喫茶店の戸を豪快に開け放った。戸に着いたベルが来客の存在を知らせる。彼女の後に続き、悠も喫茶店の中に入る。
「――お早いご到着なことで」
店に足を踏み入れた直後、声のする方を向くエリカと悠。
店内のカウンター席に座り、洋書を開いている中年の男性がいた。エプロンを付けたウェイターの格好をしている。歳は30代後半から40代。薄くスモークのかかった丸眼鏡に無精髭。堀の深い面だが虫一匹殺せなさそうな穏やかな雰囲気をしていた。
「着地、俺が手出さなかったらどうしてたんだ? お前はともかく、彼は死んでたぞ?」
男性は本から顔を上げると、入ってきた悠とエリカへ目を向けながらため息交じりに疑問を投げかける。
「あれくらいじゃ死なないわよ」
「余裕で死ぬ高さだわ!」
八階建てのマンションと同じ高さから飛び降りて生きていられる男子高校生がどこにいるというのか。
悠のツッコミに、男は二度頷くと持っていた本を脇に抱えた。胸ポケットからクシャクシャになった煙草の箱を取り出して一本口に咥えた。
「それよりも
『聖士』と呼ばれた男は煙草に火を付けると、味わうように大きく息を吸い込んでからゆっくりと煙を吐き口を開いた。
「ま、最悪の一歩手前ってとこだな。お前が出てからすぐ『発現力』を使った反応があった。急がないと取り返しがつかなくなるぞ」
そう、とエリカの眉がほんの少し下がった。犬耳でも生えていたら、だらりと垂れ下がっていることだろう。それくらい、目に見えて彼女の表情は曇っていた。
「で? このイケメン君が例の」
火のついた煙草を向けられる悠。状況の変化に取り残され喫茶店の入口に立ったままの彼を男は観察する。
「ほーん、なるほどな……」
男は本をカウンターに置き、煙草を灰皿に立てかけ腰を上げた。値踏みでもするかのように顎鬚を左手で撫でながら悠の元まで歩いてくる。立ち上がった男は悠よりも頭一個半は大きく、図体は一回り以上太い。
「俺はこの喫茶店『ルプス』でマスターをしている
聖士と名乗った男は大きな右手を悠に向けてきた。
「ど、どうも。織笠悠っす」
その手を握り、聖士と握手を交わす。
「挨拶が済んだら急ぐわよ。聖士、侵入してきたのはやっぱり『ラグナロク』だったわ。足止めはしたけどすぐにここにも来る」
彼女の言葉に、聖士は肩を竦めた。
「マジか。『ラグナロク』を使うだなんて、あの日以来だぞ」
聖士は頭を掻きながら悠の方へ眼を細めて一瞥くれた。彼はそのまま思考するように目を閉じ小さく唸っていた。
ところで、と聖士がエリカに向かって尋ねる。
「エリカ、彼をここに連れてきたからにはちゃんとこちらの事情は説明したんだろうな?」
話題の矛先が悠に向けられる。
「簡単になら話したわ」
「簡単にって……織笠、すまんな。この状況をしっかり説明してやりたいが如何せん今は一秒でも時間が惜しい」
聖士は初対面にも関わらず、悠の肩に腕を回してくるほどフレンドリーだった。聖士の雰囲気に、どうも悪友の顔が頭をよぎる。
聖士は悠から離れると、二人が入ってきた店の入り口の方へと歩き始めた。
「えっと、乃瀬の知り合いってことは、日下部さんもその『魔族』ってやつなのか?」
悠の問いに、まあな、とあっさり肯定する聖士。彼はエプロンを外しながら店の戸にCLOSEの看板を掲げた。
「一応これでも俺はそこのお姫さんの後見人で」
店の戸に鍵をかけ、聖士が悠の方へ振り返る。
「『ガーデン』に対抗するために組織された『ルプス』で総長代理をやらせてもらってる」
聖士が指をパチンと弾くと店内の照明が一瞬点滅した。
「さて、行くぜ」
彼は悠の背中を押し店の奥へと歩き始めた。先行するエリカに続き、従業員用の薄暗い通路へと進んでいく。
「え、行くって、どこへ」
「そりゃもちろん、俺たち『ルプス』の前線基地さ」
従業員用通路にある観音開きの戸を押しながら進んだ直後、何かを通り抜けたような感触を全身で感じた。強烈な光に目が眩む。数秒ほど視界がぼやけていたが、次第に目が慣れて視力が戻ってきた。
そして眼前の光景に、
「――まじかよ」
悠は思わず言葉を失った。
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