超人は夢を見ない:ZARATHUSTRA HAVEN'T EGO

ふじ~きさい

千夜太陰

月下落卵

 未明の中東――。ただ、沙漠を見下ろす青白い月光以外には本来、大気を震わせる音は存在しない景色。しかし、薄く鼓膜を揺らす音は確かに存在していた。もっとも音の正体を見極めようと空を仰ぎ見たところで、気づく者がいるのかどうか……。


 幽玄の時の流れを砂に閉じ込めた世界は夜になれば、時を凍らせる。厳粛な沙漠の環境に対応した民ならば弁えて然るべき雅趣である。ならば、その雅をかき乱す者は異邦人に違いない。


 雲の絶えた夜空を闇夜の鴉よろしく、黎い影が横切る。静粛性を高めた人工の怪鳥は、戦の種火をその肚に蓄えている。隠匿ステルス戦闘機と呼ばれる飛空兵器の技術を応用した、秘密作戦用の人材及び資材運搬用に建造された輸送機は、無論、この広大な沙漠地帯を国土の一部とする国の有するものではない。軍用の輸送機は未だこの国の人間は誰一人として知らぬ、大国の技術の結晶の一つだった。


 怪鳥の肚には、生れ出づる時を待ちわびる卵に似た、ある貨物が存在していた。砂色の布地に包まれたそれは、何処か巨人の胎児が蹲っているようにも見える。砂色の胎盤か卵の傍らには、電子タバコを銜えた男がベンチに座っていた。


 伸びるままに任せた暗い金髪を後頭部で括った男もまた、沙漠対応の迷彩服に身を包み、これから眼下の砂の大海へと降りていくことを否が応でも理解させられる。


『降下まで残り一分』


 骨振動型通信機から響く合成音声には、人間的な抑揚は感じられぬ。ただ、必要最低限の純然とした事実を伝えるのみに特化した、人間味という曖昧さが削ぎ落とされた無謬の声だ。前世紀末から発達の兆しを見せた情報通信技術は、今世紀になってますますの発展を見せた。敵の戦力、彼我の座標、地形、天候――それら、情報という武器が織りなす効率性は、今や戦争の歴史を改革したと断言していい。


 核兵器という前時代の兵器は舞台袖に退き、情報通信技術が新たな戦争の金字塔を打ち立てようとしている。敵は一人でも多く殺傷し、味方は一人でも多く無傷のままに――。まさに理想的な戦争、理想的な勝利。この実現のために、遠隔自動操作スマート兵器をはじめとし、戦争情報統制システムの構築、兵士の生存率を高めるアシスト外骨格など、SFじみた技術が次々と生まれている。


 そう、この輸送機も同じだ。男を除けば無人の輸送機は、アルゴリズムによって自動化された操縦システムで、この典雅な千夜一夜の空を飛んでいる。


 合成音声により憂鬱な時間が程なく到来する事実を知らされた男は、電子タバコを胸ポケットに入れると不承不承とした様子で、砂色の布の殻に包まれた卵へと向かう。布は隙間なく包まれていると思わせて、一部隙間が生じていた。人が一人滑り込める程度に開いた幕に男が潜り込むと、軽い噴気音とともに幕が閉じた。


 男の眼に反射する青白い光は、外の沙漠を照らす月のそれとは断じて異なる人工の光だ。


『降下まで残り十秒。九、八、七……』


 決して快適とは言えぬ狭苦しさに身体が強張るが、少なくともカウントダウンが終了し、降下が完了するまでの我慢だ。眼前には、合成音声の秒読みに合わせて、数字が減少していく様子がモニター表示されていた。


『一、〇』


 途端、身体が引っ張られる感覚が襲いかかってくる。慣性の法則Gに導かれて引き剥がされる勢い。怪鳥の肚から放逐されたのだ。


 生まれた途端、大空へと産み落とされた砂色の卵だったが、落下の風圧に殻が解かれていく。落下傘となった布は風圧を受け止めて、致命的な落下速度を減衰し、卵の中身を墜落死の運命から救い出す。


 しかし、長閑に夜の空中散歩を楽しむ贅沢は、男には許されていない。いわば、領空侵犯に加えて、不法入国を侵している〝招かれざる客〟なのだ。


 必然、何処に眼があるかもしれぬ状況では、落下速度の減衰も必要最低限として、速やかに降下を完了させる必要がある。正しくそれを理解している男は、限界を見極めた上で落下傘を広げていた。高度計は適切とされる落下傘展開高度を明らかに下回っており、着地の衝撃が男を襲うのは既に当然の理である。地表に近い際で開かれた落下傘は確かに致命の墜落から男を守ったが、勢いを完全に殺すこともなく、地表へと卵の中身が着地した。直前で、切り離された卵の殻がふわりと沙漠に受け止められる。


 落下の勢いを物語るように、中身は點々と砂地を転がり――しかし、両手と両脚をしかと踏みしめると、砂にしばし轍を刻みはしたものの、運動エネルギーは完全に消化された。


 結局のところ、夜の雅を乱す降下劇は月のみぞ知るところだったが、月光かのじょが照らしたのは、人の姿ではない。沙漠の兵士が如くに砂色の外套を被ってはいるが、それは人には在るまじき存在の規模があった。


 青白い月の光を受ける巨人が静かに沙漠に立つ。三~四メートルの巨躯。まさしく、砂色の卵は巨人の胎児が眠っていたと思わせる威容である。まさしく、SFの世界の住民がまた、現世に現れたとしか見えぬ。


 巨大人型ロボット……。そう形容するしかできぬ代物が、確かに中東の沙漠に立っているのだ。人の形をしていながらも無機物で構成された非生物は、月が鎮座し星屑の雨が降る空を見上げる。悠久の時を刻んで、なお変わらず、これからも――或いは、那由多変わらぬではないかと思わせる、永久不変の光景を。


 巨人の卵を産み落とした闇夜の大鴉レイブンはそのまま我関せずといった様子で、夜空を飛び去っていった。月とその眷属である星々だけが、彼らの存在を見つめる夜は深く、そして残酷な世界を象徴するかのように美しい。

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