第44話《コクーン・1》
ここは世田谷豪徳寺・44(さつき編)
《コクーン・1》
みんなを驚かせてしまった。
「結婚する」と言っても、ここまでは驚かなかっただろう。
もっとも、驚くと言っても「ヒエー!」「ギョエー!」「ウワー!」などという声はあがらない。一瞬沈黙になったあと「……いつ決めたの?」お母さんがそう聞いただけだ。
「一カ月前」
そう答えると「ふーん」という声が返ってきて、それっきり。
あたしは慎重に準備を進め、全て決まってから、家族が全員揃うのを待って、フランスへの留学を家族に伝えた。それが、昨日の晩ご飯のあとのリビングだった。「ごちそうさま」と言ってリビングを出ようとしたさくらを引き留めるところから始まった。
「ちょっと待って、みんなに話しておきたいことがあるの」
で、沈黙になり、お母さんの「……いつきめたの?」に繋がるわけ。
精一杯、言葉をつくして説明した。で、なんだか気まずい雰囲気になったので、あたしは自分の部屋に戻った。
実際することはいっぱいあった。パスポートのことから、クレルモンの大学からの書類。この留学先の書類が面倒だった。取得単位の読替などは、大学の学務課がやってくれたが、あたし個人に関わることが煩雑だった。身長、体重、血液型とかの体に関することでも、瞳の色、髪の色、宗教、そして宗教上配慮しなければならないことなど、様々だ。
一番困ったのは、志望動機だ。
あたしは、留学するにあたって、希望の学部を、こともあろうに日本文学にしていた。
日本という国は、日本人が日本に居る限りコクーンのようなものだ。世界的な水準から言っても、治安を筆頭に環境は、まさにコクーン(繭)のように心地いい。
大げさに言うと、このコクーンから一度飛び出してしまわないと、あたしはコクーンの中で、成虫にならないまま一生を終わってしまうんじゃないかと感じていた。
大学の一年間で、巨大な幼虫のまま歳を重ねてきたような大人をたくさん見てきた。大学の中で、バイト先で、そして東京という大きな街の中で。
そして、そういう巨大な幼虫のまま大人になりそうな若者達を。
で、そんなこんなが留学に結びついたことと、日本文学に行き着いたことを、新聞一面分くらいの英文で書かなくっちゃいけないのだ。
I think that……と、打ち始めたところで、ノックもせずにさくらが入ってきた。やっと湧いてきた英文が、あっという間に消えてしまった。
「……ノックぐらいしなさいよ」
そう言ってやると、さくらは改めてドアをノックした。素直なんだかオチャラケているのか、我が妹ながら、判断がつきかねる。
「お姉ちゃん、質問に答えてないよ」
「なにも質問しなかったじゃないよ」
「お母さんの質問……一カ月前だけじゃ、ホテルの予約確認みたいじゃないのさ」
「ああ……」
あたしは、自分が喋るだけで、たった一つの親の質問には答えきっていなかった。でも、お母さんの質問は、わたしの話を促すきっかけのようなものだ。それに、さっきの話の中身でおおよそは分かってもらえただろう。そう思っていた。
「鈍いなあ、お姉ちゃんは!」
じれったそうに、さくらが言った。
表情が魅力的になったなあと、女優の世界に片足を突っこんだ妹を見なおした……。
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