第28話《やっと今年の幕が上がった》
ここは世田谷豪徳寺28(さつき編)
《やっと今年の幕が上がった》
正月明けの休み、島田さんからメールがあった。
――羽田第二旅客ターミナル、12時に待つ――
一方的だなあ……そう思いながら足が向いてしまうから、我ながらよく分からない女だ。
はっきり言おうとは思っていた「お付き合いはできません」と……。
あの、大晦日の再会と、強引な交際の申込み、元カノを目の前で切った合理的過ぎるやり方。
バイトを理由に、その場を離れることで意思表示したつもりだ。あれから一週間以上になる。
そこに、このメールだ。はっきりさせよう。
「おう、飯食おうぜ!」
あたしが見つける前に、ゲート前に手と声の両方があがった。
あたしも、朝はトースト一枚だったので、フテた顔をしながらも九州ラーメンの店を提案した。
予想通り、ズルズル~! ツルツル~!の合唱が店の中に満ちていた。
その合唱に加わると、胸の中にあったものがラーメンといっしょにお腹の中に暖かく収まっていし、そうそう深刻な話にはならないだろう。少なくとも、そういう話はNGという意思表示にはなる。
「腹が減ってると、何でもないことに腹が立ってしまうもんだからな」
「で、どこか旅行でもいくんですか?」
つっけんどんに言うのに苦労した。ロケーションは二軒目のカフェになっている。
「せっかく暖まったんだから、暖かい話をしようぜ」
「沖縄にでもいくんですか?」
そう言わしむるに十分に気楽な格好だったし、キャリーバッグはパンパンだった。
「オレ、大阪に引っ越すんだ。大きな荷物は先に送ったけど、細かいの案外かさばるのな」
「え……?」
「早稲田の演劇は、どうもオレには合わない。で、大阪の畿内大学の演劇科に鞍替え」
「こんなハンパな時期に?」
「ハンパじゃないぜ、いいタイミング。午年の正月なんて、十二年に一度しかないからな」
真面目な物言いに思わず頬が緩んでしまう。
「そう、その力のある笑顔に、オレは惚れたんだ」
直截な言い方に、思わずコーヒーを吹き出してしまうところだった。
「さつきってさ」
「はい?」
「あの時、分かってなかったんじゃね?」
「え、いつ?」
「ほら、中央大会のあとマックで、さつき向きの本紹介したじゃんよ」
「覚えてます。ちゃんとメモとってたから」
「最後に勧めた本覚えてる?」
「えと……」
「ああ、やっぱ通じてなかった!」
横の、多分婚約中と思われるカップルが立ち上がって思い出した。
「ああ、チェーホフの『結婚の申込み』!」
「タイトルだけだろ」
「だって、男が二人も出てくるんだもん。うちの帝都じゃ難しいと思って、あれはメモしてなかったから」
「だからさ、結婚のだいぶ手前で、付き合ってみないかってナゾがかけてあるんだぜ」
「ええ、そんなの分からないって!」
「オレは、あれで脈無しって諦めたんだぜ!」
幼い青春のすれ違いを再認識した。
その後、彼は早稲田の演劇科に。あたしは東都の文学部に。で、それっきり。
「本屋で見つけたときは運命だと思った。大阪行きも決まってたし。腐れ縁の彼女と縁切るのにも困ってたとこだし」
「あ……彼女は?」
一番気に掛かっていることを聞いた。
「あいつは、オレが一番惨めなカタチで縁が切れるようにシナリオ練ってたんだ。あの日は初詣で偶然を装って、オレを一気に元カレの地位にけ落とすつもりだったんだよ」
「どうして、知ってんの?」
「だって、相手の男から聞いてたから」
どうも彼は、あたしなんかより、ずっと不思議で大人の世界にいるらしい。
二時、彼を乗せた大阪行きが飛んでいった。小さくなって視界没になるまで見ていた。
「……あたし、敬語使わなくなってたな。で、なんで見えなくなるまで見てんだろ」
身震い一つしてモノレールに乗った。やっと今年の幕が上がったような気がした。
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