第19話《大橋むつおとの邂逅》

ここは世田谷豪徳寺・19(さつき編)

《大橋むつおとの邂逅》




 諦めない好奇心。恋とは一筋縄ではいかないもの。


 帰りの電車と、寝る前の一時間チョットで『まどか 乃木坂学院高校演劇部物語』は読み終えてしまった。

 ラノベらしく「アハハ」と笑っているうちに、主人公のまどかは乃木坂学院高校の演劇部を立て直し、友だちである大久保忠友クンが、タダトモから恋人になっていく大団円になる。読後感が爽やか。そして……。


 諦めない好奇心。恋とは一筋縄ではいかないもの。


 この二つを胸に刻ませてくれる。人生捨てたもんじゃないよね。アッと驚く奇跡がおこる♪ ちょっと古いAKBの歌の中にあるような文句を、読み終わったら自然に思わせてくれる。


 世間は御用納めも済んだ二十八日。今日もバイトは早番だ。

「人生捨てたもんじゃないかもね」

「アッと驚く奇跡がおこるかも」

 遅番で交代の、秋元クンと聡子には別々に言っておいた。ささやかな種まき。


 しかし、アッと驚く奇跡が、その直後あたしに起こるとは思ってもいなかった。



 三時に仕事を終えて、書店の前のスクランブル交差点に出ようとすると、東急のガード下から自転車の群れが走ってきて、横断中のオジサンに接触した。

「あ、あぶねえ!」

 の声だけ残して、自転車は道玄坂方向へ走り去っていった。オジサンは、転倒した拍子に腕を痛めたようで、腕を庇いながら起きあがれないでいた。みんな一瞥はくれるのだが、手を貸してやろうという人は誰も居ない。

「あたしの肩に掴まって」

 オジサンを信号の変わり目ギリギリで渡してあげることができた。


「当て逃げです」


 オジサンを連れて、そのまま駅前交番に向かった。

「いや、もう大丈夫ですよ。お嬢さん、どうもありがとう」

 オジサンは、関西なまりのアクセントでお礼を言った。

「防犯カメラで、確認しますね」

 一人のお巡りさんが録画をチェック。もう一人の女性警官が事情を聞いてくれた。

「オジサン、お名前聞かせてもらえます」

「え、あ、はい大橋むつおて言います」

「え……!?」


 と、あたしは驚いて、二十分後喫茶SBYの四人がけにオジサン。いや、大橋さんと座っていた。


「昨日『乃木坂』読んだとこなんですよ」

 そう言うと大橋さんはびっくりした。

「え、あの本読んでくれはったのは、日本中に数百人しかいてないんですよ!」

 あたしは正直に書店でバイトしていることやら『乃木坂』が返本寸前になったのを、社員販売で安く買ったこと。きっかけは、自分自身高校演劇の出身で、作中に出てくる修学院高校に片思いの人がいたこと。そいで「諦めない好奇心。恋とは一筋縄ではいかないもの」のコンセプトに励まされたことを正直に言った。


「ありがとう。あれは、まどかいう主人公に託して、ボクなりのエールを書き込んだもんです。自分自身にね。どうもボクっちゅう人間は……」

 大橋さんはかいつまんで自分自身と、作品について照れながら話してくれた。

 びっくりしたことが幾つかあった。


 いささか波瀾万丈な半生を送ってこられたこと。見かけは四十代後半だけど、もう還暦を過ぎていること。そして、東京を舞台にした作品が多いけど現場には行ったことがないこと。で、この年末に、作品の舞台と作品にズレがないことを確かめ(乃木坂学院と修学院高校が実在すると言うと驚いていた)あわよくば次の作品のアイデアを拾って帰りたいこと。版元と渡りを付けておきたいことなどを言った。

「どうも大阪の人間は欲どうしいですなあ」

「スマホの番号教えてもらえませんか?」

 本にサインをしてもらったあと自然に聞いた。

「あ、ボク携帯は持たへんのんですわ」


 あたしは絶句した。作品の中には、携帯やスマホがポンポン出てくる。で、作者自身は原始人みたくスマホレス!


 そこで、あたしのスマホが鳴った。駅前の交番からだった。

 大橋さんと接触したのは若い学生風だけど、特徴がないので絞り込めないことを済まなさそうにお巡りさんが言っていた。

「いやいや、ええんですわ。怪我もしてへんし、さつきさんとも仲良しになれたし」

 貸してあげたスマホにお気楽に答えていた。

「根拠のない楽観。難しいけど座右の銘です」

 で、パソコンとリアルなアドレス、お家電話のナンバーを教えてもらった。


 気分良く家路につくと、お母さんから電話で買い物を頼まれ、家に帰ると、掃除やらお正月の準備なんか言いつけられてさんざん。

「仕方ないわよ。お母さん飯のタネの原稿書きで忙しいから」

 先に帰っていたさくらが気楽に言う。

「そりゃ、さくらはいいわよ。箱根でゆっくり温泉浸かってきたんでしょ!」

 こいつ、高校生の身分で箱根温泉?

 ちょっと業腹。

 

 おっと、根拠のない楽観。噛みしめるさつきでありました。

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