第29話 家なき少女(後編)

「やぁ、みんな集まったね」


 狼のイレイズと戦い、須賀あさひを拾ってから2日経った翌週の月曜日。放課後僕たちは芥先生に陰陽部の部室に集められていた。

 一昨日の件以来しばらくイレイズの出現がなかったため、先生と顔を合わせるのも随分久しぶりに感じる。よれよれのワイシャツとネクタイ、伸び切った顎の無精髭は相変わらずだが、目元に隈はなくいつものようなげっそりとした印象は受けない。


「奥村くんから報告を受けてから本部とかけ合って早速調べてみたんだが、色々なことが分かった。まずはそれを君たちと共有したい」


 芥先生が机に座る僕や円、石上たちに紙の資料を数枚配る。そこには人間が写った白黒写真が何枚かプリントされていた。


「先日九条くんたちが遭遇したイレイズについてだが、その正体は『上級イレイズ9号』の可能性が極めて高いとの返答が来た。かねてから本部がマークしている危険個体だ」

「上級、イレイズ……」


 先生の発した単語に円が反応し小さく呟く。

「上級イレイズ」。その用語が何を意味するか僕は知っていた。以前この街に現れた上級イレイズ25号。圧倒的な力を持つその敵を前に2人のビショップが死亡し、陰陽部も一度は敗北を喫した。今でもその名前を聞くと背筋が寒くなる感覚を覚える。


「あれ、でも番号が25号より若いんですか?」


 僕は頭に浮かんだ素朴な疑問を口にした。


「ああ。9号が初めて出現したのはもうかなり昔のことになる。今配った写真を見てくれ」


 芥先生が資料に印刷された写真を指さした。写っているのは若い男性、老人、妙齢の女性、小さい女の子とバラバラであり、どの写真も誰かを隠し撮りしたようなアングルだった。一緒に写っている街並みや風景からも撮られた年代も異なるようである。一番古そうなものになると僕たちの生まれるずっと前のものと思われた。

 奴らの生態を考えると、まさかここに写った人たちは……


「ここに写っている人間は全て9号が存在を奪い、擬態した姿だ。これは本部の諜報員が撮影に成功した写真のみだから、実際の行方不明者の数は現状把握できていない」


 イレイズは行方不明となった人間の姿に擬態するが、その姿は時間の経過と共に維持が難しくなり擬態先を次々と変えていくらしい。奴らにどんな思惑があろうとも、存在する限りは犠牲者が増え続けるのだ。世界中ではいったい何人もの人々がイレイズのために消えたのか計り知れない。


「だがこの9号……こいつの行動は不可解でね、過去に接敵したビショップは多くいるものの未だに犠牲者は一人も出ていない。それゆえ若い番号にも関わらず今でも残り続けているんだ」

「犠牲者が出てないって……一人もですか?」

「ああ。過去に戦った人間はみな気絶させられたか勝てないと判断して緊急脱出したそうだ。証言によると、敵は最初から自分たちに危害を加える意思を持っていなかったらしい」


 あまりにも不可解だが、それは実際に戦った僕たちも体験したことだ。あの狼のイレイズは僕と円がどれだけ攻撃を加えようとも受け止めるか回避するばかりで、こちらを傷付ける行動を一切取らなかった。円によって腕まで切り落とされたというのに。


「だが、今回はどうやら以前までと事情が異なるようだ。こっちの資料を見てくれ」


 芥先生がさらに僕たちに紙の資料を配る。そこに印刷されていたのは新聞の切り抜きだった。見出しには『街中で複数の陥没事故!? 合計3人行方不明』とでかでかと書かれ、写真には大きな穴が空いたアスファルトの道路が写し出されていた。


(……こ、これって)


 その内容に僕は息を呑んだ。

 間違いない。一昨日9号が起こした学校近くでの陥没事故の記事だ。穴の付近で車が半分消し飛んでいたが、やはり犠牲者がいたのだ。


「これまでの9号は我々から逃げ隠れるように世界中を転々としながら生息していたようだったが、何か明確な目的を持って行動したのは今回が初めてなんだ。この陥没した場所の地下には、ビショップが魔鐘結界を開くための装置が眠っている」


 切り抜きの横に添付された写真には、工場などにあるような巨大な生産設備のような機械が写し出されていた。中央にセットされたフラスコのような入れ物には何本ものパイプやケーブルが繋がれており、フラスコの側面は外からの力で破壊されたような痕跡があり、装置の周囲には粉々になった鍾乳石のような物体が散乱していた。


「9号は他にも同様の陥没事故を起こして装置ごと中の魔鐘塊を破壊して回っている……というのが本部の見解だ」

「破壊……」


 芥先生の見解に僕は首を傾げた。9号……狼のイレイズは探し物があると言って僕に魔鐘塊の一部を見せてきた。破壊が目的だったのならなぜ一部だけを持ち去る必要があるのだろう。


「九条くん、君が疑問を持つのは分かる。奥村くんから一通りの事情は聞いたからね。だが、今の情報だけでは奴の行動に合理的な説明がつかないんだ。現に装置の魔鐘塊が奪われたことで結界の稼働時間や範囲は大幅に縮小しているし、修復にはかなりの時間がかかるらしい」


 やはり奥村先輩が言ったように、今後のビショップとしての活動に大きな支障は出ることは間違いないようだ。だが、それは副次的な効果であって本来の目的は別にある。確証はないがそんな予感がした。


「というか、装置って直せるんですか?」

「ああ。今本部から派遣された整備員が一時的な修復作業を行っている。とりあえずは散らばった破片を集めて装置に取り付けるとの事だ。問題は代わりの魔鐘塊だが、輸送の目処が立っていないそうだ。製造コストが凄まじいらしい……」


 芥先生が苦い顔をしながらぼやく。プロメテや魔鐘塊がどのような工程で製造されているのか僕たちは知らないが、本部勤務の芥先生でもトップシークレットのようだ。日本円に換算していったい0が何個つく金額なのか、考えるだけでも恐ろしい。


「ねぇ、いっちゃん」

「円……?」


 隣の席で陥没事故の写真を見つめていた円が口を開いた。その目はひどく冷ややかで他人を寄せ付けないような雰囲気を放っていた。


「見て、この写真」


 そう言って円が指さしたのは一昨日学校の近くで起こった陥没ではなく、別の場所の陥没事故のものだ。同じようにアスファルトの道路に大穴が開けられており、近くには古いビルやコンビニがある。

 その場所に僕は見覚えがあった。


「これって、学校からうちに帰る時の……?」


 そこは僕が家から学校に行くまでの通学ルートのひとつだった。一人で登校する時は通らないが、近くに円の住むマンションがあるので二人の場合は決まってこの道を通っていた。


「覚えていない? 前に一度、私がイレイズの気配を感じたこと」

「あ……」


 そこまで言われて僕はようやく彼女の言いたいことを察した。

 数日前、あの雨の日の帰り道。横断歩道を渡る途中、円はイレイズの気配を感じたと言って魔鐘結界を開いた。だが周囲にその姿はなく彼女は自分の思い違いと判断した。

 その横断歩道があった場所には巨大なクレーターのようの大穴が広がっており、信号やガードレールは無残にもひしゃげ近くの建物の外壁も崩れている。あの瞬間、円が感じたイレイズは周囲でなく地下深くに潜んでいたのだ。


「やっぱり、間違いじゃなかった」


 恐ろしく据わった目で円が呟く。その心中では、どんな感情が渦巻いているのだろう。疑問が解けたことへの高揚感か、もしくはイレイズの存在に気付けなかった自分に対する怒りなのか。


「円……」

「心配しないで、いっちゃん。私そこまで無謀じゃないから」


 なんて言葉をかけたらいいか分からなくなっている僕に円は、ふっと笑いかけてみせた。だが、そこにはいつものような温かさは感じない。少しだけ僕は胸がズキンと痛んだ。


「……とにかく、敵が何らかの意図を持って行動していることは間違いない。くれぐれも深追いはせず、君たちも注意してくれ」


 見かねた芥先生が仕切り直す。以前上級イレイズ25号が現れた時も、先生は直接戦うことを避けろと僕たちに進言していた。目の前の敵を取り逃がしても、自分たちの命を優先するのが僕たちのルールなのだ。


「それともう一つ、奥村くんと九条くんが発見したと言う須賀あさひという生徒のことだが……」


 話を一区切りさせ、芥先生は神妙な面持ちで口を開いた。

 あさひはあれから円の家に泊まっていたようだったが、身元が不明だったとの事から今日は彼女の家で大人しくしているらしい。


「過去数十年ぶんの我が校の在籍生徒の情報を調べたが、そのような生徒は存在しなかった」

「え……?」


 先生の言った意味を、僕は一瞬理解できなかった。須賀あさひという生徒は存在しない?

 彼女が着ていた制服は間違いなく同じ高校のもので、ボロボロの生徒手帳も同様だった。それなのに須賀あさひは存在しない生徒だという。不思議を通り越して不気味な話だ。


「先生、間違いはないんですか?」

「ああ。少なくとも室星に同姓同名の生徒はいなかった。今、系列高校のデータも取り寄せているがそちらに在籍している可能性はかなり低いだろう」


 困惑した表情で答える芥先生に、僕の脳内も困惑していた。

 それにしても、イレイズなどの情報を共有するこの場で彼女について触れるとは思わなかった。報告したのは恐らく奥村先輩だろう。

 一昨日倒れていたあさひを見つけてから、彼女の様子はどこかおかしかった。自分と同じクラスで同じ番号だったから不気味がっているとも取れるのだが、それだけではない別の何かを抱え込んでいるように僕は奥村先輩に感じていた。


(先輩……)


 今日、この場に集められてから奥村先輩は一言も発していない。いつもの丸眼鏡が外からの光に反射して、その表情は伺いしれなかった。

 普段明るいムードメーカーの彼女が、今日はいつもと違って見えていた。

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Bishop《ビショップ》 @kagayaki

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