第29話 家なき少女(前編)
「うっ……うぅう……ご、ごめ……ごめんねぇ…………こ、こんなに、してもらっちゃって……はふはふ」
「いえ……このぐらいなら別になんてことないですし」
泣きながら謝罪の言葉を述べ、カレーライスを頬張るあさひ。結局あのまま放っておくこともできなかったので、とりあえず僕は彼女を自分の家に上がらせ腹を空かせてるそうなので備蓄していたレトルトのカレーを差し出した。
彼女……須賀あさひが言うには、自分はうちの隣の部屋に父母と3人で暮らしている室星学園高校の2年生で、今この僕の部屋に住んでいるのは「空条いつき」なる別の人物のはずなのだそうだ。しかもそのいつきという人物は女装した僕と瓜二つらしい。
(…………まるであべこべの世界から来た人みたいだな)
僕の知る限り隣の部屋はずっと昔から空き部屋で人が暮らしていたという話は聞かないし、当然ながら僕も「いつきちゃん」と一緒に暮らしてなんていない。あと僕は一人っ子である。
「うっうっ……な、なんかカレーすんごく久しぶりに食べた。もう何年も食べてなかったような気がする……おいしい……」
「普通に近所のスーパーに売ってるやつですけど……」
たかがレトルトのカレーライスでこんなに感激する人を僕は初めて見たかもしれない。普段どんな食生活をしているのだろう。よっぽどの上流階級のお嬢様なのか、もしくは今まで無人島でサバイバル生活でも送っていたのか。
しかし住む場所のない人、しかも同年代の異性をいつまでも家に置いておくのは流石に厳しいかなと思う。僕の家はたまに帰ってくる親父と実質二人暮らしなので、色々と問題が多いだろうし何より上手く説明できる気がしない。
「にしても、何でしたっけその『いつきちゃん』って人。僕に似ているっていう。本当にここに住んでたんですか?」
「うんとね……うん。いつきちゃんはお母さんと二人暮らしで、隣だったから遊びに来たこともあるよ。この家の間取りもまったく一緒。だから学校で女装した九条くん初めて見た時びっくりしちゃった。あんまりにもそっくりだったし、住んでるところも同じだったから」
「そ、そうですか……」
「いつきちゃんも、どこに行っちゃったのかな……私の歌と演奏、すごく楽しそうに聴いてくれてたんだけどな……」
淋しそうに語るあさひの口ぶりには嘘をついている様子はなかった。
真面目に考えれば不気味な話だ。疑っているわけではないが、聞けば聞くほど「じゃあ僕の存在って一体なんなんだ」と思ってしまう。頭が混乱してきた。
「……それで、これからどうするんですか、あさひさん。どこか行く宛があるんですか?」
「そ、そんなこと急に言われてもわかんない……ぐすっ」
流石に酷な質問か、と僕は少し反省した。住む所も無ければ両親も行方知れずでさらにはあさひは記憶喪失なのだと言う。僕が彼女の立場なら、まぁ絶望するだろうなとは思う。思うのだが、彼女の存在そのものがあまりにも謎に包まれているのでいまいち感情移入しきれない。
「私、どうしたらいいんだろう。家ないし、気付いたら相棒もなくなっちゃってるし……」
「相棒?」
「うん……相棒のギター。私の命より大切な宝物。どこに行くのにも背負っていっててね、たまに駅前とかデパートの屋上で弾き語りとかやってたりしたんだ」
そういやさっき円との会話で楽器をやっていてバンドがどうとか言っていた気がする。駅前で弾き語りをすると言うことは、いわゆるストリートミュージシャンみたいなものか。活動は思ったよりも本格派らしい。
「淋しい時とか、不安な時とかさ、ギター弾いて歌っていれば自然と元気が出てきたの…………うっ、うぅ……相棒、どこ行っちゃったのぉ……?」
また目から大粒の涙を溢れさせ俯くあさひ。どうやら彼女にとってギターは人間と同列の扱いのようだ。
「……ちょっと待っててください」
彼女の口からギターという単語が出てちょっと昔のことを思い出した僕は、自室に向かい押し入れの襖を開けた。
(あったあった)
半ば物置と化している押し入れの最奥に封印されていた「それ」を、僕は無造作に引っ張り出した。中学の時に好きなバンドに憧れてお年玉はたいて購入した4弦のアコースティックギターだ。きちんとギターケースに入れていたので楽器そのものには埃や汚れは付いていない。
「えっ、九条くん……? これ……何?」
どん、とテーブルの上に置かれたギターケースを見てあさひは困惑した表情で指さした。
「差し上げます。僕じゃろくに弾けないものだったので……」
「そ、そんな……悪いよ! だってこれ見た感じかなり高そうなやつだし……」
「いえ、いいんです。ちゃんと弾ける人に渡った方がこのギターも喜びます」
僕もギターの相場に詳しいわけじゃないが、小1から中2まで貰って貯めてきた計12万円のお年玉を全額突っ込んだ代物なので恐らく安物ではない。初心者向けならもっと安い物もあったのだが、形から入りたがるのが僕の悪い癖である。
だがそれ以上に僕はこのギターを見ると色々と恥ずかしい過去、黒歴史が思い起こされて背中がぞわぞわするのだ。金額が金額なだけに今まで処分する勇気がなかったが、必要とする人に弾いて貰えるなら手放す良い機会だろう。
「それに、申し訳ないですけど……うちだとたぶんあさひさんを住まわせることはできないと思うんですよ。親父が帰ってきたら、警察にも事情を説明しなきゃとかありますし……だから、このぐらいしかできませんが」
「うっ…………ううっ、ううん………あ、ありがとうね……見ず知らずの私に、こんなにしてくれて……ぐすっ」
あさひは数秒考え込む様子を見せて、涙声で感謝の言葉を口にした。
「ふぅ、ごちそうさま。大事にするね、このギター。私の第二の相棒!」
カレーを食べ終えたあさひはすっかり元気を取り戻したようだった。泣いたり喜んだり感情表現が豊かな少女だ。気質で言えば円や石上よりも奥村先輩に近い人かもしれない。
「あ、ピックもいっぱい入ってる……ほとんど新品だ」
「そういうところはその、気にしないでください」
ギターケースの中身を確認するあさひに「どうせ三日坊主でしたよ」と心の中で僕は悪態をつく。思ったことがすぐ口に出る人らしい。元気になったのは良いことだけど。
「そ、それでね……九条くん。あ、あのさ」
「なんです?」
「こ、こんな状況で言うのもなんだけど……もう一つだけお願い聞いてもらっても、いい?」
少し間を置いて、あさひがどこか気まずそうにもじもじしながら訊いてきた。心なしか頬が若干赤い。
「えっとね……お、お風呂とか借りても、その……いいかな?」
彼女の口から出てきた単語に僕は若干遅れて「あー…… 」と一人で納得した。
そりゃあ屋上で倒れているのを発見されてからボロボロの制服を今も着用しているのだ。お世辞にも全身清潔とは言い難い。ファーストコンタクトが異常すぎたので完全に失念していたが、あさひも年頃の女子なのである。
「いやでも今日会ったばかりで、しかも男の家ですよ? あさひさんはいいんですか?」
「だ、だから……ちょっと勇気を出して聞いたの! 全く抵抗ないかと聞かれたら嘘だけど、背に腹は代えられないし! だ、だめ……かな?」
「いや、別に駄目とかっていう話ではないんですけど……」
恥ずかしさを誤魔化すように声を荒げるあさひ。しかしやっぱり色々とよろしくないのではと思わなくもない。TPOとか社会通念とか。それにうちの安アパートの風呂は狭いしそんなに綺麗じゃないので、女の子に貸すのは正直気が引ける。
(うーん……)
少し考えて、僕は一つの結論にたどり着いた。
時刻は夜20時を回った戌の刻。夏場とは言えすっかり辺りは暗くなり生ぬるい風が吹き抜ける中、僕とあさひは家から少し離れた高層マンションの前にいた。
「ここって、円ちゃんのお家?」
「はい。たぶん円も事情を話せばお風呂くらいなら貸してくれると思いますし……」
数時間前に別れたばかりなのであさひも察したようだった。円の住むのは9階建てのタワーマンションの最上階。この街で最もリッチな集合住宅だ。当然部屋の広さはうちと比べ物にならないし、見たことないが風呂だって広くて快適だろう。
『……いっちゃん? こんな時間にどうしたの?』
入口のオートロックパネルで彼女の部屋番号907号室のボタンを押し、画面の向こうで円が出迎えた。
「ごめん。さっきの須賀あさひさんなんだけど、どうやら行くとこがなくて困ってるみたいでさ。良ければ、お風呂だけでも貸してやってくれないかな……」
僕は画面の向こうの円に両手を合わせて軽く頭を下げた。
優しくて人当たりのいい円ならこういう頼み事は聞いてくれるだろうという確信があったし、何より「そういう仲」でない同年代の異性に自宅の風呂を貸すことを想像したら、何となく彼女の顔が浮かんでしまって首を縦に振れなかったのだ。
『……いいよ。ちょっと待ってて』
若干困惑気味の円がロックを解除し、自動ドアが開く。
「キミってそういうとこちゃんとしてるんだ……」
背後であさひが小声で何か呟いた気がしたが、上手く聞き取れなかった。
(そういや僕も円の家に来るのは久々だったっけ)
小さい頃はよく遊びに行ってた記憶があるが直近で訪ねたのは数ヶ月前のこと、初めてプロメテを渡された日の翌日だった。あの時に円からプロメテやビショップ、イレイズのことを教えられて一緒に戦うことを決めたのだからある意味忘れられない日である。
「いらっしゃい。とりあえず、上がってください」
玄関のドアを開けて僕とあさひを出迎えたのは部屋着姿の円だった。普段の制服や体操着姿とはまた違ってふんわりとしたグレーのルームウェアで、後ろ髪のポニーテールはお団子状に纏めていてとても可愛らしい。うっかり悩殺されるところだった。
「じゃあ、僕はこれで……」
「せっかくだし、いっちゃんもゆっくりしていきなよ」
「えっ、いいの?」
「うん。今お茶を淹れるから」
あさひを円に任せて帰るつもりだったが、思わぬ千載一遇の機会を得た。もちろん断るなんて選択肢はない。あまりに色々なことがありすぎて今日は厄日だと思っていたが、終わりよければ吉日である。
「うっわぁ、お風呂すごいきれー! 大きいー!」
「汚れた服は洗濯しますから、バスタオルと代わりの服ここに置いておきますね」
「な、何から何までありがとうねほんとにぃ……」
円にリビングに案内され、彼女の用意した紅茶を啜っていると洗面室の向こうから二人の声が聞こえた。やはり円を頼る選択肢は間違いじゃなかったように思う。
「急に来てごめんね。こういうこと頼めるの、円しかいなくて」
「気にしないで。困ってたんでしょ? あの人」
リビングに戻ってきた円に、僕はだいたいの事の顛末を話した。とは言っても僕もほとんど理解不能なことばかりなのできちんと伝えられたかどうかは怪しい。
「えっと、事情はだいたい分かった…… のかな? でもいっちゃんのうちの隣って人って住んでたっけ」
一通り聞き終えた円が怪訝そうな表情で尋ねる。
「いや、少なくとも何年も前からずっと誰も住んでなかったよ。だから話が全然噛み合わなくって」
「ふぅん、何だか不思議な話だよね。結局どこのどういう人か分からないんでしょ?」
「うん……奥村先輩が言うには、そういう生徒も見たことがないって」
しかも生徒手帳に書いてあったクラスと番号は奥村先輩と全く同じだったらしい。偶然なのか何らかのミスだったりするのか。どちらにしても先輩からしたら不気味極まりないだろう。
「たぶん先輩のことだから、あのイレイズや魔鐘塊のことも含めてあさひさんのこと先生に聞いてくれると思う」
「そうだね。同じ室星の生徒だし、先生なら色々調べてくれるよね」
何にせよ、答えは明後日の登校日に分かることだ。今の僕たちがあれこれ考えてどうにかなる問題でもない。
「でも、よく分からないけど……悪い人じゃないと思うんだ」
「うん。私もそんな気がするよ」
あさひの素性は全く知るところでないが、少なくとも物乞いや詐欺師のような人を騙したりするような雰囲気は感じなかったし、それは円も同じのようだ。それに、何か目的があって僕達に近づいたのならこんな回りくどい身の上にする必要はない。
「ね、あの人のことも気になるけど、そのいつきちゃんって子のことも気になるよね。どんな子なんだろ」
「円もやっぱり気になる?」
「うん。だって、女の子の格好したいっちゃんとそっくりなんでしょ? きっとすごく可愛い子だよ。私、実際に会えたら友達になりたいかも」
円が好奇心を滲ませた瞳で訊いてくる。元からとびきりの美少女の円の口から「可愛い」という言葉が出てきて嬉しいやら恥ずかしいやら、僕は言いようのないむず痒さを覚えた。いや、あくまで可愛いのは「いつきちゃん」であって女装した僕ではない。そのはず。
「……もしかして、いっちゃんって本当はいつきちゃんだったりして」
「こ、怖いこと言わないでよ」
「えへへ、冗談だよ」
身震いする僕に円は悪戯っぽく微笑んだ。他人事だと思ってからかっているのだろうが、十年来の幼馴染の彼女にまで疑われてしまったらいよいよ立ち直れない気がする。
「ふぅー、良いお湯だった〜。生まれ変わった感じするぅ〜」
そんなこんなで僕と円が談笑していたら、洗面所からあさひが出てきた。円と色違いの水色のルームウェアを着て、首にかかったタオルからはほかほかと湯気が立っている。
「あさひさん、お湯加減はどうでしたか?」
「もうすんごい良かった! うちとは比べ物にならないくらい立派なお風呂だったし、円ちゃんは本当に命の恩人だよ〜」
子供のようにはしゃぐあさひ。誰かに感謝されることは純粋に嬉しいのだろう、円もまんざらでない様子だった。
「色々あったけど、とりあえずなんか『生きていける』って感じした! まだまだ世の中捨てたもんじゃないね。新しい相棒もできたし」
そう言うとあさひは床に置かれたギターケースに頬ずりを始めた。この人、楽器の有無でメンタルが乱高下するようだ。
「じゃあ、服乾いたら私行くから。本当にありがとうね、二人とも」
「えっ、あさひさん……行くって、どこか泊まるところあるんですか?」
そう言って旅支度を始めたあさひに円が驚いた表情で尋ねる。
「うっ……それはないけど、とりあえず公園とかで寝泊まりするよ。今はギターもあるし路上で歌ってお捻りとか貰ったり、なんとかなるって」
それはなんとかなるとは絶対に言わないと思う。そもそも路上弾き語りでお客が落としてくお捻りなんて雀の涙程度のものだろうに、どうやって生きていくつもりなんだ。
「今日明日はうちに泊まってください。未成年で、しかも女の子が外で野宿なんて良くないです。犯罪に巻き込まれたりするかもしれませんし、警察に見つかったら補導されます」
「いやでも、ただでさえこんなにお世話になったのにそこまでしてもらうのは……」
「駄目です。月曜になったら先生にも相談しますから、せっかく頼ってくれた人なのに放ってなんておけません」
「は……はい」
温厚な円らしくない剣幕に圧され、あさひは小さく頷いた。普段から品行方正で校則違反なんてしたことない彼女には、そんな不良じみた生き方は許せないみたいだ。
「この恩は絶対返すからね! な、なんでも……ほんとになんでもするから!」
「いえ、別に何でもはしなくても」
「ううん、むしろ何でもさせて! お金はすぐには用意できないけど……そうだ歌を! 私、二人のために歌をプレゼントする!」
「あの、今はもう夜なので……」
ケースからギターを取り出してじゃかじゃか弾き始めるあさひと近所迷惑だからやめろと宥める円。街の一等地に建つマンションに、騒がしい同居人が増えたのだった。
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