第28話 謎を呼ぶ謎(前編)
大穴を挟んだ向こう側で、灰色の髪をした長身の若い男が、こちらを見て薄ら笑いを浮かべる。その笑みに僕は本能的な恐怖を覚えた。
アスファルトの地面に穿たれた、直径十数mの巨大なクレーターはまさかこの男が発生させたと言うのか。たった一人でこれだけの力を発揮できるような敵は、今までで一度しか相対したことがない。
(25、号……?)
かつてこの街に現れた上級イレイズ25号。2名のビショップを死亡させ、圧倒的な暴力で僕たちを苦しめた恐ろしい敵。怪物に変身することなく人間の姿のままでも放たれる殺気は、25号の時に感じていた恐怖に限りなく近い。
「君たちにその気がなければ、私も争うつもりはない。どうか見逃してはくれまいか」
「……えっ?」
イレイズの男の言葉に僕は耳を疑った。
争う気が……ない?
自我を持ち言葉を流暢に話す時点で、この男が強い力を持ったイレイズであることは明らかだ。僕たちが何のためにここにいるのかを分からないはずはない。にも関わらず、こちらと対話を試みるイレイズなど今までに会ったことなどなかった。
「いっちゃん、耳を貸しちゃだめ」
円が聞いたこともないような冷めた声で諌め、僕ははっとした。
イレイズが僕たちに見せている男の姿も、誰かの存在を奪って成り代わったものである。存在するだけで犠牲者が生まれる以上、奴はここで止めなければならない。
「……残念だね」
交戦する意思を感じ取ったのか、イレイズの男はこちらに右手を向けて指を鳴らすような仕草を見せた。
次の瞬間、僕たちの立っていたアスファルトの地面がめきめきと音を立ててひび割れていった。目の前に空いた巨大なクレーターが少しずつ広がっているのだ。
「うわっ!」
「いっちゃん!」
気付いた円は瞬時に後ろに跳躍し崩れる足場を回避したが、反応が一瞬遅れた僕はそのまま足をもつれさせてしまう。
僕の身体がふわりと宙を舞う。このまま落ちたら、どれくらいの深さか分からないほどの大穴へ真っ逆さまだ。
「……させる、かぁっ!」
落下を始めたその時、僕は左手を伸ばし頭の中で強く念じた。
するとプロメテを接続した手首から炎を纏った巨大な蛇が這うように出現し、大穴の縁でひしゃげた道路標識に向かってぐんぐんと伸びていく。その標識のポールに蛇が巻き付き、すんでのところで僕の落下を阻止した。
しかし、炎の蛇が絡みついているポールは鉄製。魔力を最小限に調節したとして僕の体重をずっと支え切るのは不可能だ。
僕は炎の蛇にぶら下がりながら意識を集中させる。
「お……りゃあッ!」
炎の蛇が一気に収束し、僕の身体はポールに高速で引き寄せられていった。伸び切ったゴムが反動で縮むように身体が上昇する。
(…… 居ない!?)
身体を宙に浮かび上がらせたままイレイズの男に視線をやるが、先ほど立っていた場所にその姿はなかった。
(いっ……けぇ!)
僕はそのままポールから離れた炎の蛇を、今度は自分の左腕に巻き付けさせ、魔力を籠めて前方に火球を放った。
その衝撃で身体が後方に大きく仰け反り、なんとか崩れていないアスファルトへの着地に成功する。
危機一髪を抜け出し、僕は先に回避した円の方向に目をやった。
「円!」
その先ではレーザーの剣を展開した円と先ほどのイレイズが接近戦を繰り広げていた。矢継ぎ早に繰り出す円の正確な斬撃を、武器を持たないイレイズの男がひらりひらりと最小限の動きで躱す。端から見ればまるで本気で倒す気もなく、彼女をおちょくっているようにしか見えない。
「このぉっ!」
円の援護をしようと僕は走りながらイレイズの背中目掛けて再び炎の蛇を生成する。
だが、イレイズの男はそれを読んでいたとばかりにこちらに姿勢を向け、跳躍し一瞬で距離を詰めてきた。
互いの距離が数十センチのところまで近付き、僕は初めてイレイズの男の顔を間近で見た。
灰色の長く伸び切った髪、こちらを覗くまるで血の色をしたように赤黒く濁った2つの瞳、生気を感じさせない青白い肌。姿だけは同じ人間のはずなのにここまで尋常ならざる雰囲気を纏えるのかと、僕は本能的に慄いた。怪物の姿の時とはまた質の異なる恐怖だ。
左腕は蛇が遠くまで伸び切って収束させようにも間に合わない。僕は恐怖を振り払い右の拳をイレイズの男に突き立てた。
「たぁ!」
ずん、と鈍い音が耳に入る。男に当たった感触は確かにあった。ただ当たっただけでなく、人の骨が軋むような音を僕は確かに聞いた。
炎の蛇を纏っていなくとも筋力が強化された人間のパンチだ。多少のダメージは通ったと確信はした。
「ふ……」
しかし手応えとは裏腹にイレイズの男からはほくそ笑むような反応が返ってきた。少しも効いた様子には思えない。この男、やはり今までのイレイズとは違う。
「いっちゃん、下がって!」
円が僕を呼ぶのと同時にレーザーの刃がイレイズの男の背中から飛来した。それすらもイレイズは半身を逸らして回避し、刃は男のローブの端を掠めるだけに留まった。
「大丈夫?」
「うん……一応」
円が急いで僕に駆け寄り、イレイズの男はバックステップで一瞬で僕たちから距離を取った。
「どういうつもりなんだ……こいつ」
舌打ち交じりに僕は呟いた。接触してからこの敵は僕たちに攻撃らしい攻撃を一切していない。動きの素早さからしてチャンスはいくらでもあったのにも関わらずだ。
「だから言ったろう、探し物があったと。この場所のものはもう見つけたから君たちと戦う理由もないんだ」
僕の呟きに反応し、イレイズの男はローブの懐から何かを取り出した。
(何かの塊……いや、石?)
男が見せた『それ』は直径数センチ、手のひらに収まるほどの白い石のような物体だった。宝石の原石にも似た謎の物体は、男の右手の中で鈍く妖しい光を放っている。
「はぁっ!」
「おっと」
イレイズの男が話し終える間もなく、円がレーザーの剣で斬り掛かった。男は石を持つ右手を守るように左腕でその斬撃を受けてみせる。
直後、男の身体から何かが落下した。イレイズの男の左肘から先がローブごと切断されたのだ。断面からはドス黒く濁った血のような液体が止め処なく流れている。
「どうした?」
「っ!?」
腕を切り落とされたはずのイレイズの男は眉ひとつ動かさず彼女を一瞥した。攻撃した側であるはずの円の動きが一瞬止まる。
「……くっ!」
続けざまに一振り、もう一振り、さらに一振りと目にも止まらない速さで攻撃を繰り出す円。だが依然としてその剣は男には当たらなかった。仮に当たったとしても、腕を切り落とされて動じない相手には有効打になるとは思えない。
「円、駄目だ……!」
僕も、円自身も分かっているはずだ。この敵が少しでもその気になれば僕たちを殺すことなど容易いことを。かつて25号と対峙した際に感じた圧力と同じものを僕はこのイレイズにも感じていた。
(なら……)
僕は左腕に絡みつく炎の蛇に強く念じた。強大な敵が相手なら、こちらも奥の手を使うしかない。
僕はかつて25号を倒し、石上姉の氷の矢を退けた『黒の力』を呼び起こそうとした。
「あ……れ?」
しかしいくら念じても、あの時に身体の奥底から湧き上がってくるような熱は感じなかった。左手首から這い出ている炎の蛇は依然として赤い色のままだ。
(くそっ……!)
だからと言って円が戦っている今、手をこまねいている場合じゃない。僕は左腕に赤い炎の蛇を巻き付かせ、彼女の剣戟を躱し続けるイレイズの男に殴りかかった。
「……まったく、聞き分けの悪い子たちだな」
石を懐に仕舞った男が、左手で炎を纏った僕の拳を受け止める。白い煙を上げながら拳を止めたその左手は、人間のものではなかった。
ローブの袂から伸びた細い腕には獣のような灰色の体毛に覆われており、腕よりも『前足』と言ったほうが近い。
「この姿、好きじゃないからあまり人には見せたくないんだがね。疲れるし、怖がられるから」
人間の姿に擬態したイレイズの男の両脚、腹部、胸がみるみるうちに左腕と同じ体毛で埋め尽くされていく。そして顔まで男の擬態が解かれた瞬間、僕は男のイレイズとしての真の姿を見た。
頭部に耳が生え、鼻は前方に伸び顔の骨格は人間のそれとは似ても似つかない。さしずめ『狼のイレイズ』とでも呼ぶべき風貌であった。
僕は左腕に強く念じて炎の蛇に熱を籠める。しかし狼のイレイズは微動だにせず炎の拳を掴んだまま、
「う、うわっ!」
勢いよく振り上げて僕の身体ごと投げ飛ばした。
「い、痛った……」
「これに懲りたらもう知らない人に突っかかるものじゃないよ」
強く背中を打ち付けて倒れた僕に、狼のイレイズはまるで幼子を諭すような口調で告げた。
「思ったよりも時間をかけてしまったか……私はもう行くよ。それじゃ」
「待て……!」
そう言うと、狼のイレイズは再び驚異的な速度で跳躍し、住宅街の向こうに消えていった。
「追いかけるよ、いっちゃん」
「あ、あぁ……」
起き上がる僕に円が手を差し出す。
ここまでされても狼のイレイズからは僕たちに対する殺気は感じなかった。いったい奴は何者なのか、何が目的なのかさっぱり分からない。
「九条! 円!」
イレイズの逃げた反対方向から石上が駆け寄ってきた。手には氷の魔力で生成された巨大な突撃槍を構えており、臨戦態勢を取っている。
「大きな音がしたから来てみたけど、やっぱりあんたたちが先に接触してたのね。イレイズはどこ?」
「石上! 奴には今逃げられた。早く追わないと……」
「逃げた? イレイズが?」
僕の返答に石上が不思議そうに首を傾げる。その反応に僕も首を傾げたが、少し考えてハッとした。
イレイズを捕らえる檻の役割を果たしている魔鐘結界の中で、イレイズが何処に逃げると言うのか。出られるとすれば、ビショップ側の誰かが自発的に結界を解除するか、僕たちが全滅する以外にない。
だが、その疑問は周囲から聞こえる喧騒によってかき消された。
「ひゃあっ! な、何これ!」
「えっ!?」
声の方向を見ると、イレイズの空けた大穴の周囲に通行人がぞれぞろと現れ大騒ぎし始めた。中にはスマホで写真を撮り出す若者もいる。
「魔鐘結界が……解かれた……?」
円が信じられないといった表情で呟いた。すかさず彼女は手に持ったプロメテを操作するものの、反応が悪いのか結界が再び張られる気配はない。
「もしかして長谷川先輩が?」
「ううん、たぶん違うと思う。今試してみてるんだけど、結界との接続が上手くいってないみたい。普通の手順で解除したらこんなことにはならないんだけど……」
僕は思い当たる可能性を円に尋ねてみたが、彼女は首を横に振った。試しに僕と石上も自分のプロメテを手首にかざしてみたが、画面に幾何学的な紋章は浮かぶもののいつものような機械音声は脳内に流れない。
「えっと、プロメテの故障かな」
「もしくは……結界のシステム自体に何か異常があったとか、かしらね」
思いついたように石上が口を開く。
「システム?」
「だってあんたや円はともかく戦ってないあたしのプロメテまで調子がおかしいなんて変じゃない。それに、あんたも聞いたことない? 魔鐘結界はこの街の地下に埋まってる魔鐘塊を通して張られているものだって」
そういえば円から以前そんな説明を聞いたような気がする。具体的な仕組みは未だによく分かっていないが、その魔鐘塊とプロメテの内部にあるものは同じ素材らしい。
「じゃあ、もしかしてこの穴の底に……」
狼のイレイズが起こしたこの道路の陥没。この奥深くにその魔鐘塊という物体が埋まっていて結界を張る役割を果たしていたのだとしたら、さっき奴の見せたあの白い石ころみたいな物体は……
「今は……芥先生に言ってなんとかしてもらうしかなさそうだね。私たちではどうにも出来なさそうだし」
「そっか、そうだね」
円が腑に落ちない様子で言った。倒し損ねたのは僕も歯痒いが、あのまま戦闘を続けていたらどうなっていたか分かったものじゃない。
それに芥先生はビショップ本部でも役職を持った人物で、こういった事態の時は間違いなく力になってくれるはずだ。
「とりあえず野次馬も集まってきたし、あたしたちも退散しない? この様子だとたぶん警察も来るわよ」
石上の提案と同時にウーウーと遠くからサイレンの音が響き渡った。あの人だかりの誰かが通報したのだろう。一瞬にして道路が崩落したように大穴が空いたのだから一般人からして見れば事件である。
「ところで、九条」
「なに?」
「あんたいつまでそれ着てるの?」
学校に戻る同中、石上が冷ややかな目で訊いてきた。
そういえば戦いに集中していて忘れていたが、今の僕の格好は奥村先輩から借りた女子の制服だ。つまりスカートをはためかせて飛んだり跳ねたり敵と殴り合ったりしていたことになる。
「いや、戻ったら脱ぐよ。さっきは急だったから着替える暇がなかっただけで」
「ふーん…………」
石上の視線がさらに冷たくなった。本当に、断じて、神に誓って、好きでやってるわけじゃないのだ。
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