第40話 神のプライド


 突然何も聞こえなくなった。


 視界は真っ暗で目を開けているかどうかも定かではない。


 ――俺は死んだのか……。


 と思い至ったが、何か様子が違う。

 視認できないだけで手足の位置覚や地を踏んでいる感触はあるのだ。

 

 状況が理解できないまま困惑していると、ふっと視界が開けた。



 そこはエデンではなかった。



 半径五百メートルが丸々焼け野原とかした戦場だった。

 焼け野原と言っても、周囲には草木一般すら生えていない。黒色に変色した地面からプスプスと煤が立ち上がり、空に向かって昇っていく。

 そこにモンスターの姿はなかった。

 骨すら残さない圧倒的な火力で範囲内の全ての生命を無に帰したのだ。


 ――俺はどうして生きている?


 掌を裏返したりして体の各部をチェックするが、先の戦闘以外での損傷は全く見られない。

 さらに、綾斗が立っている地面だけ、緑が残っていた。

 頭を捻っていると視界にふとエソラの姿が現れた。


 ――転移術で迎えに来たのか。


 そう思って彼女に近づこうと一歩踏み出した時、強烈なめまいがして体が前方に――。


 体を支えられ、転倒する事は免れた。

 いや、支えられたと言うには語弊がある。

 思い切り抱きしめられたのだ。

 それは介助ではなく、恋人同士がするような熱烈な抱擁で。


「何のつもりだ、エソラ」

「お疲れ様のハグよ」

「ふざけるな」

「ふふふ。冗談よ。騎士達は綾斗くんが余力を以てモンスターを引き付けたと過大評価しているわ。だからここで倒れてもらっては困るの」

「神の威厳を保つための芝居という訳か」

「そうよ。ベッドに飛び込みたい気分かもしれないけどもう少しだけ我慢して」


 綾斗が小さく頷くとエソラは密着を解き、満足そうな笑みを口の端に浮かべた。


「でも流石ね。マスターアームで私の術を相殺してみせたのは期待通りだけど驚いたわ」


「いや、その事なんだが……」


 と生真面目にありのままを話そうとした綾斗は、エソラの口角が奇妙に持ち上がったのを見て察した。


「……あれはお前の仕業だな?」


「何の事かしら?」


 首を傾げるエソラだが、綾斗の中では既に確信めいたものがあった。


 ――またしても一杯食わされた。


 グラヴィトン系の共鳴術の中にディストーション・スフィアと言う技がある。これは魔女との戦いにおいてヴィアンテが使用していたもので、光の進入さえも許さない斥力の殻を作り出し、完全に外部との相互作用を断ち切ると言う絶対防御の共鳴術だ。

 術者を中心に展開され、術者とともに移動する斥力の殻は外部からは視認できない。


 つまり、臨界点突破の閃光に合わせて転移したエソラがディストーション・スフィアで綾斗をフォーリング・カラミティの脅威から守り、爆発が収まった後でさりげなく離れ、さも転移術を使ったように、斥力の殻をはいで姿を現したのだ。


「それで俺を気遣っているつもりなのか?」


「何の事か分からないけど、重要なのは事実じゃなくて、周りにどう映るかじゃないかしら」


 にっこりと微笑むエソラからは不思議な事に悪意は感じられず、憤っている自分の方がみっともなく思えて来て。


「……まあいい。その……助かった」


「お礼は不要よ。でも敢えて、どういたしまして、と言っておくわ」


 エソラには珍しい目元までにやつかせた満面の笑みに、誰かの笑顔がフラッシュバックする。


 ――ヴィヴィ……か?


「どうかしたの?」

「いや、お前もそんな顔で笑うんだと思ってな」


 そう言うとエソラは急にぎこちなく表情を引きつらせ、元のクールビューティーフェイスに戻ってしまった。


「さあ、おしゃべりはこれくらいにして騎士達の所に戻りましょう」



 エソラの転移術で外壁の袂まで戻った二人は騎士達から熱烈な歓迎を受けた。

 賛辞、称賛、歓喜の叫び。

 綾斗は英雄扱いで、疲れを隠したまま騎士達のハイテンションに合わせるのに苦労した。


 エソラは全く意に介していないように、当然よ、と態度で示し直ぐにヴィアンテの元に報告に戻ると進言した。それでも綾斗を開放しようとしない騎士達に対して、


「浮かれてばかりいないで、次に同じようにモンスターが攻め込んできたときにどう対応するかを考えなさい!」


 その一言が騎士達の異様なテンションを一瞬で黙らせた。

 

 注意喚起として爆心地の半径五百メートル以内には決して近づかないように付け加えた。

 放射能汚染を危惧しての事だ。

 共鳴術を用いれば除染する事もできるが、エソラは敢えてそのままにする事を選んだ。


 モンスター達は放射線を避ける習性がある。つまりは目に見えない防壁を敢えて取り去る必要は無いという訳だ。

 渦中にいた綾斗とエソラは間違いなく被曝しているが、一旦エデンに戻ればリセットされる上、被ばく量的にも健康に害は出ないとエソラは試算した。



 ◇◇◇


 騎士達と別れ、駅に着いた綾斗はエソラにある提案をした。


「このままヴィヴィの所に戻って現実世界に帰るなら、その前に寄っておきたいところがある」

「私は別に良いけど、体調は大丈夫なの?」

「ああ。モンスターと対峙して改めて思ったんだが、俺には武器が必要だ」

「それについては私も賛成よ。あんな怪物相手に素手で挑むなんてどうかしてるとしか思えないわ」


 ――それが俺を戦場に放り込んだ奴の言うセリフか⁉


 という疑念はスルーして、


「一駅先に武器屋がある。さっきレイドに紹介してもらったんだ。そこで適当な物を見繕いたい」

「分かったわ。でも無理し過ぎなのがバレバレよ。さっきから足がずっと震えているじゃない」

「大丈夫だ、これくらい」

「……馬鹿ね」


 その言葉を罵倒とは思わなかった。エソラは頬をほんのりと赤らめて胸ポケットから何かを取り出し、ボスッと綾斗の胸に押し当てた。


「せめてこれを飲んでからにしてちょうだい」


 綾斗が両手を差し出すとエソラはそこに小瓶を落とした。

 それはリンゴの蜜から生成されたブラドーシュ回復薬。いわゆるMP回復薬だ。


「さっきファロムからもらっておいたのよ。あの子だけは綾斗くんの疲労に気付いていたみたいだったから」


 綾斗は言葉を失った。

 素直に言葉を吐けば『ありがとう』なのだが、まるで母親が息子に向けるような気づかいと温かさに不意をつかれ、思考がまとまらなくなってしまったのだ。

 その果てに出た言葉は、


「お前、こんな優しいやつだったか?」


 それはある意味率直な意見だった。


「これでもレムを助けてくれた事は感謝しているし、騙したことも悪いと思っているのよ?」


 相変わらずの無表情で本音なのか建て前なのか判断に困る。


「そうか、ならこれはありがたく受け取っておく」


 当たり障りない言葉を吐いて、小瓶のふたを開けると、綾斗は一息に口に含んだ。


「私を護るために奮い立ってくれるなんて、嬉しい限りだわ」


 それを聞いてむせかけたが勿体ない精神で、飴色の液体を無理やり飲み下した。

 胸に手を当てて悦に浸る少女を横目で睨む。

 否定するのも面倒くさくなって、フンッと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。



 首都オートレデンは大きく分けて東西南北に区が分かれており、東は商業区として栄えている。勿論、小売店などは別の区にもあるが、商品の潤沢さや競争率に関してはここを置いて他にない。

 

 二人が下車した駅近くの通りには武器屋が軒を連ねていた。しかし、活気というものは感じられず寒々としたもので。

 だがそれも無理はない。顧客の殆どは騎士達で彼らは持ち場に張り付いているのだから。

 今や鍛冶屋の食い扶持は既存の武器の修理や予備の武器の調達・供給だ。


 魔女の侵攻の際に職人や商人自体の数も減っているので、その僅かな食い扶持を取り合うという事はないのだが。


 ――本当に営業しているのだろうか?


 そんな不安を抱えながら、レイドに紹介された店へと入った。

 かなり広いはずの店舗内が様々な武器でごった返して、カオスになっている。店員の姿は見当たらず、取りあえず手頃な武器が無いか見て回る事にした。


 数多くの武器の中でも目を引くのは大剣やハンマー、ランスと言った大型の武器。

 対大型モンスター戦を前提としているため、こう言ったものが騎士達には好まれやすいのだ。


 綾斗は湧き立つ好奇心から手を伸ばしてみたが、すぐに止めた。


 これらの大型武器は当然ながら高質量でアクセラを使用できることが前提条件。アクセラは決して難しい術では無いのだが、いかんせん綾斗にはグラヴィトン系統の才能がゼロなので重石にしかならない。

 かと言って中堅どころの片手剣やメイス、太刀と言った武器もアクセラが使えなければ、移動速度にかなりの制限がかけられる。


「これなんてどうかしら?」


 エソラが指し示していたのはコンバットナイフ程度の刃渡りの代物。

 実際に手に取って見て見ると、刃の厚みのわりに驚く程軽く、グリップも馴染みやすいものだった。

 だが、綾斗はそれを元の場所に戻した。


「お気に召さなかったの?」

「そこに書いてあるだろ? 『小さなお子様にも扱えます』って。そんな物使ってたらお前の言う神の威厳とやらががた落ちだろ?」

「確かにそうね」


 綾斗はエソラを納得させるため、咄嗟に最もらしい事を言ったが、ナイフを選ばなかった理由は他にあった。


 エソラの顔が少しだけ青ざめたのを感じ取ったからだ。

 ナイフはエソラと綾斗にとっては嫌な記憶の引き金に過ぎない。七年前にエソラの母、アンジェリーナの命を奪ったのはちょうど同じぐらいの刃渡りのコンバットナイフなのだ。


 ――エソラは気丈に振る舞っているが、内心気分を害しているに違いない。それに俺だってできれば使いたくはない。


 同じくらいの質量の得物でもナイフでは無く、ソードと呼べる形状のものが無いか綾斗はしらみつぶしに捜した。


 


 電流の共鳴術を唱えるとソード型に変形する特殊な形状記憶合金のガントレット。

 形状はソードで重量も軽いが、大きすぎて取り回しが難しいもの。

 


 などなど、惜しいものはいくつかあったが、丁度良いものは見当たらず困っていると、


「これは、これは綾斗様にエソラ様ではありませんか!」


 どこに潜んでいたのか急に背の低い男性店員が姿を現した。


「お二人がおいでになると分かっていれば社員総出で接待させていただいたのですが、本当に申し訳ありません!」


 へこへこと何度も頭を下げる店員。

 エソラがめんどくさいと言わんばかりの視線をパスしてきたので、仕方なく綾斗が応じる。


「急に押し掛けたのはこちらですから気にしないでください。それよりも断りなく商品を触ってしまってすみませんでした」

「いえいえ、そんな滅相もありません! 神様方に商品を見ていただけるなど光栄至極にございます!」


 エソラは爪先を振って綾斗の踵を小突いた。

 『面倒だから早く話を進めて』ということらしい。


「あーそれで自分にあった武器を捜していたんですが、何かいいものがありませんか? 出来れば軽くて取り回しがしやすい物が良いんですが」

「ございます! ございますとも! ただ……」

「……ただ?」

「既存の商品を差し上げるなど神様に対してあまりにも失礼というもの! ですので特注でこの世に二つとない至高の逸品を腕によりをかけて作らせていただきたい所存でありますッ!」


 それは願ってもない申し出だった。


「それでは御厚意に甘えさせていただいて……」

「武器を作成するにあたり、他に何かご注文はありませんか?」

「ええっとそれじゃあ……、刃の幅はこれくらいで両刃、左右対称でお願いできますか?」


 それは率直に言えば『ナイフではなくソードで』という事なのだが、エソラの手前、遠回しな言い方になってしまった。


「なるほど。なるほど。因みに綾斗様はどういった戦闘スタイルを好まれますか?」


 かなり難しい質問だった。S.C.Sの戦闘概念をどう伝えるべきか迷った結果。


「状況に応じて臨機応変にスタイルを変える感じ……か。場合によっては敵を無傷で捕らえ、場合よっては急所を突いて命を奪うような……」

「なるほど。なるほど。それは……かなり特別ですね……」


 店員はうーんと唸っては、宙に眼を泳がせまた唸っては、を繰り返した。


「やはり無理ですか?」

「いえいえそんなことはありません! 武器の作成は国一番の職人に依頼しますので彼が必ずや神様のご期待に応える逸品を作る事をお約束いたします!」



 正式な契約を交わした後、店の主人に別れを告げ、駅へと戻った。

 作成期間は最速でも二ヵ月と、直ぐにでも得物が欲しい綾斗にとっては少しじれったく思えたが、依頼料がタダなので文句は言えない。

 それにエソラが、『私がいる限り綾斗くんに出る幕は無いわ』と元も子もない事を言ったものだから、細かい事が気にならなくなってしまった。


 自らの存在意義をもう一度問い直しながら、綾斗は電車を待つのだった。

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