第6話 松代さん(苗字剥奪)

江戸安永の頃、長左エ門の息子の和惣司の子供も長左エ門の名前が付けられた

我が家では長左エ門や利左エ門など過去帳に何度も出現する


平安時代の「木村利左エ門」からの木村姓を

明治の初め(藤姓足利氏流木村氏)木村長左エ門 藤原宗近は

戸籍では「藤原長左エ門」となっている

義仲の子義高の頃にも藤原姓になった時があったらしい

平柴算術所の額を見ると、木村の名前も未だ使っていた

事がわかる


善光寺は江戸時代にはお伊勢参りと並んで隆盛を極めていた

何せ参拝以外の旅は禁止されて信濃の国などの国は

ロックダウン状態、参拝、巡礼が経済を回していた。


金毘羅は、庶民が旅行観光を禁じられていた江戸時代、信仰の為の旅行だけは許されていた事に乗じて、金毘羅山の麓に一大歓楽街を作り上げていた

香川の金毘羅の賑わいを聞き、善光寺観光で金毘羅の富くじや芝居小屋の様に

聖なる物と反する俗なるものを隣に置き

信仰に対する俗世界(宿場、温泉宿、女郎宿、博打)が有って金毘羅は

成り立っていることに、気づいたのだ


金毘羅の「仕掛け」に気づいた長左エ門は

別件(善光寺灯篭の件)で松代藩から目をつけられていた

にもかかわらず

旭山の松を切り出し、権堂に三階建ての女郎宿を建て

経済爆発を狙ったのである。


が、しかしである


旭山は幕府の地、現在の国有林


女郎屋の建物の松は、国の物との理由で

平柴の藤原を巻き込んで苗字剥奪の刑になる

藤原長左エ門は藤原から藤だけになる、藤長左エ門


まあ豪勢な話だ、女郎屋一軒分の松を盗んでおいて、苗字剥奪だけで済んだのだから


「旭山は誰のものでもない、昔から芝刈りをしていた 平らな芝刈り場で平芝村だ!」ここで言う芝は薪の事らしい

「善光寺の芝刈り場だ!」と長左エ門は怒っていたと、ひい婆ちゃんは言っていた。


桃太郎の話で芝刈りしていたおじいさんは今は窃盗者だと言う、桃を拾ったおばあちゃんも同罪なのである。

明治の中頃には苗字を取り戻すのだが

明治初期 藤に成ってしまった家が平柴には何件もある、

長左エ門一族だったのだろう。

この時期の諏訪神社(平柴区所在)の棟札には藤姓が散在する。


女郎宿は昭和の初めまで遊郭から赤線に変化し、俗として善光寺界隈経済を支える事に成る。

子孫である私では有るのだが、女郎屋にしろ、旭山の松にしろ、どうなんだろうと思う。

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