谷と吊り橋の街

1.構造の中へ

「例えば道端に並んだ食べ物を奪ってはいけない」

「熟れた森の木の実を取ってはいけない?」

「例えば迂闊に信用してはいけない」

「私がきみたちについていったみたいに?」

「規則に沿って動けば自動歩道的に快適なのだが、リピアに合うかどうか。ほら、すぐそこだ」

「街の人の集まりだ」

「準備があるので長めに滞在します」

 久しぶりの。そして初めての街暮らし。

 荒野の一本道は人の住む場所に繋がった。緩やかな下りは街の半ばで一度途切れて谷になる。裂け目には大橋が架かる。橋を囲んで栄えた街だ。

「橋を渡るの?」

「そのつもり」

「荒野の中で谷を抱いて。街での暮らしはどんなもの」

 街は人が踏み入らぬ荒野を西に抱く。南回りに荒野を抜ける迂回路の目印も兼ねるように建つ。西は険しい道ではないが、他の種の住む領域に近い。街の人は通常異種の領域には近寄らない。何かをされるわけでも、何かをするわけでもない。互いに遠ざけ合う。それでも三人は種の違うひとの間や現象を縫ってやって来た。若いからだろうか、世間との繋がりが薄いことを気に留めないのは。

 彼らと同じように獣と人間との間を抜けて来た旅人もいる。商人もいる。物がやり取りされている。橋の向こうの文化を手に取れる。さて、彼らは何を運ぶ。

「なるほど、これが街。賑やかな土の森だ。声があちらこちらから呼んでいる。人が溢れ出来事に溢れ、さて寸劇の舞台、どの幕に首を突っ込もう」

「リピア、人の生活に首を突っ込んではいけない」

「そう、『風のように吹き込み、買うもの買って去るべし』と」

「心配だなあ」

「何度でも言うが私は子供ではない。良識ある森のひと。街で生まれても、森から生まれても、我々はひとである。だから、うむ、天地や左右、東西南北の構造程度は分かる」

「離れないように」

「了解した」

 旅着の襟を直し、社会の構造の中へ帰っていく三人。


2.魔女ふたり

「街に住むのが魔女ならば、森に住むひとは何と呼ぶ?」

「呼びはしない。避けるから」

「禁忌がひっそりと街に降りてきたぞう」

「避けるけれども、排しもしない。人波にまぎれて、天使も妖精も」

 悪魔もいるから、気をつけるんだよ。スイは言う。悪魔は大昔に姿を消した。森からの密かな訪問者は焼き菓子をつまんで根城はどこにあるのかと尋ねる。

「悪魔は我々が飼っている」

 隠しているのさ。焼き菓子の半分を子供に分けてやる。テラスには二人だけ。

「彼女は魔女と呼ばれたことがあると思う?」

「あるいはね。この旅路では呼ばせはしないけれど」

 シェミネは道中草をむしりながら歩く。知らないうちに脇野に手を伸ばしたり分け入っているらしい。それで人里に着くと薬屋を探す。資金を得る他に、草の知識も仕入れる。「私の庭から外れつつあるので」と特に熱心な時期もあった。今回も、谷のあちら側から草の種類が少しずつ変わっていくだろうからと時間を取っていた。

 森の知識を操る者を魔女と呼んだりもする。その言葉は日向に引きずり出されるまでではなくとも街に生きている。森の知識になど頼らずとも暮らせるのだ、そう言う者もいる。リピアはほう、と頷いた。森から生まれないものとは何かと問う。スイは、色々あるのだろうけれどよく分からない、とりあえずお茶はおいしい、とカップを片手に答えた。

「魔女は魔女という種かもしれない」

 街を外れつつある街の人、という意味で。ひとというのは根は同じなのだ。生まれた地が枝の分岐になる。どう暮らしたいか、環境とどう関わりたいかをそれぞれが選択した結果。また、他の者を見るときの意識を表したもの。

 お茶を飲む人々はみな違う顔で物事を考え、通りを眺めている。


「私は魔女と呼ばれるけれど、あなたは魔女と呼ばれたことはある?」

「留まり呼び名が増えるうちに、魔女と呼ばれたこともありました。この呼び名、私にとって枷ではありません」

「そうだよね。私もこの仕事が好き」

 この街で魔女と呼ばれる人の元にいる。薬草を売ったり、薬を買ったりする。荒野の街は森から遠く、森の教えもうっすらとしか伝わらない。魔女はシェミネに興味を抱いた。彼女の知る事柄を欲した。遠方からの客人をもてなし、互いの知識を補完した。

「今は魔女と呼ばれることはないけれど、では私は何かと言われると、曖昧です」

「魔女と呼ぶ人々だって、魔女が何かを知らないから。知らないから、魔女と名前をつけたのね。はじめは何者でもないのよ」

 シェミネは名乗り、魔女の名も尋ねた。曖昧さに輪郭を与える。魔女は快く名を教える。

「この街で魔女は恐れられますか」

「そう、恐ろしい魔女が、街の隅でこぢんまりと店を持つ。疎まれつつも必要とされている。悲しい死人が出たら、その責任を負うでしょう。原因から埋葬まで」

「曖昧な許容」

「それが魔女。良いのです。私の居場所」

 薄暗い部屋に草のにおいが漂う。森の貯蔵庫。蔵を整え入り口を守る魔女。

 シェミネにはこの場所が懐かしい。湿度が住んでいた家に似ている。魔女の蔵に似た部屋と仕事に育まれた。そんな自分は魔女ではなく流浪の旅人。自分には名前が無いような気がした。旅路の中で肩書きを風に飛ばしたような気がした。


「魔女からあなたにお願いが。お使いに行ってくれない?」

「黒猫に、カラスになりましょう。この街の者ですらないけれど、探索がてら行ってきます」

「それだから頼むのです」


3.街の中の森

「お使いを引き受けてしまいました」

 旅の仲間に報告する。

「いいさ」

「ありがとう。リピアには飴玉あげます」

「これは! 森のにおいのする飴玉!」

「そんな名前の飴玉だったわ」

「して、何を頼まれたのか」

「探し物を。ただ、果たさなくてもいいと言われた。街の広場の、森のにおいのするものだそうで」

「それは……オアシスのような、鎮守の森のような」

 一体何を探せばいいのか。スイは途方に暮れてみせようかと迷ったが、そんな必要はないのだ。これは探し物というほど深刻なものではないだろう。街を散策するには丁度良い謎かけ問題。

「この飴玉の香りのようなものだろうか。荒野の裾野で木を匿う街、おもしろいね。行こうよ」


 広場へと向かう。各々イメージする森の匂いを探している。目的は曖昧、辿り着くのか探し物への道。気楽に散策。緑色に目を向けながら歩くと一つのことに気付く。家々の前に飾られた花の鉢は、どれも侘しい色をしている。土だけ残して片付けられてしまった株もある。花の季節が終わるには早過ぎる。植物の勢いの足りないこの土地で、青々とした森には出会えそうもない。探し物は本当にオアシスや木の枝茂る涼しげな森で合っているか? 荒野の端の孤独な森。森のかおりのするもの。小さな一粒の飴玉。荒野の砂粒。

 広場で待つであろう探し物の姿がどんどん小さくなり、スイの思考は景色から外れていく。探し物は本当に存在するか。我々に見つけられるものだろうか。スイはシェミネをそっと見る。シェミネは探しものをしている。今日この時ではなく、出会ったその日から。当初は聞くべき事ではないからと問わなかった。今は意味合いが変わり、スイはたまに問う。問うのは何度目か、そう思いながらも聞いてしまう、

「きみ、探しものを見つけられる?」

 何を探すかも分からないのに。どこにあるか知る術も無いのに。そう続けようとした。しかし、

「見つかるわ」

はっきりとした答えが返ってきた。そう、彼女はいつも何かに向かっている。それは分かる。

「森のかおりを辿っているのかい。きみには見えているのかい」

「スイ、きっとすぐそこよ。渡り鳥は種を落としていくの。種はすぐには芽吹かないけれど、思うより小さいかもしれないけれど、そこは確かに森のにおいの始まりよ」

 シェミネが言ったのは単に今日のお使いの内容なのだろうが、スイの中で歯車が噛み合った。スイは答えに満足した。迷いの森で惑っているわけではない。惑う彼女を導こうと手を引く必要はない。見えないものに手を引かれ、進んでいく。そう、気楽な散策だということを忘れてはいけない。自然に呑まれてはいけないし、人に呑まれてもいけない。久しぶりの人の街で、思考の渦に巻かれたか。そして、見えないものが見える者もいる。

「あそこに、ほら」

 リピアが森を探し出した。


4.森に安らう

 人は荒野になぜ鎮守の森を置こうとしたのか。探し物は小さな獣の像で、広場の一角の緑の中に置かれていた。広場と呼ばれるものだから開けた集いの場だと思っていたが、建物を建てないようにしていたら自然と空白が生まれたという具合で、日当たりも十分ではない。建物の森に囲まれて、獣の像は広場を飾るオブジェに見られても仕方ない。

「こんにちは」

 リピアがオブジェに向かい話しかけなければ、完全なお使いには至らなかっただろう。リピアはここに種があり、小さな森があると言う。弱々しい緑地でも、宿る精霊がいるようなのだ。知る者も少なく、参る者などいるのかどうか。忘れられた一角に、それでも空き地がある限り、ここは精霊の場所であり続ける。

「シェミネ、伝言か何かがあるの?」

 シェミネにも見えてはいない。リピアの声にはっとしてポーチから小瓶を取り出す。

「もしなにか居るようだったら、この水をぐるりと撒くようにと」

「なるほど、なるほど。やってみて!」

 促されて水を撒く。弱い日差しの中に水の玉が零れていく。像が一度笑う。

「街の植物も、すこしだけ元気になるかもしれないね」

 街の森でしばし休息を取った後、三人は人波の中に戻っていった。


 シェミネは空の小瓶を魔女に返却した。

「そう、あなたは森のにおいを辿れるのではないかと思ってお願いしたの。あなたが森のひとのような気がしてね。ここにはたまに帰る場所を失った森のひとが訪れるの。砂漠の中のオアシスみたいに」

「ここに私と同じ森の教えを持ち込んだ者はいますか?」

「いたと思う。交わした言葉は少なかったけれども、近い地域の人なのでしょう。その人も同じように精霊に水をあげに行った」

「それは私の知り合いかもしれません。ここには様々なものが集まるのですね」

「不思議ではないでしょう。魔女がいるのだからね。またおいで」

「進む道の導になりました。ありがとう。また」


「さて、谷の向こうに進むには」

 三人は奈落を覗いた。いやいや、転がり落ちても地面はあるのだが、戻って来られるかはさて分からない。

「吊り橋を渡りたいのだが、料金というものが要る」

 吊り橋の両端に栄えた街だ、橋を維持するのも街の役目。

「相応の仕事を探して稼いで来ようかな」

 と、スイお父さん。果敢にもリピアも働くと申し出たのだが、

「見世物になるかい? それならすぐにでも橋を渡れそうだ」

「きみたちのためにも見世物にはなれないな。すまないね、スイ」

 あっさりと断った。

「いいってことよ」

「街とは面倒なものだね」

「そうでもない。役割をこなせばいい。昨日知らぬ顔が集団に交ざっていても、同じ目的を持つ者と知れば恐れはない。すなわち、お金。俺も一時、街の人に戻ろう」

 シェミネの得た銅貨も合わせれば簡単に橋を越えられるが、街を楽しむのも良いだろう。しばし立ち止まる。

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