NOTE4
陽は、人のため息が雨を降らすんですよと言いかけるが、『またホラなんか言っちゃって』と言われるのではと思い、まじめに応えた。
「地球に水があって、自転してるからじゃないですか」
「ん?」
「上昇気流で空にあげられた水蒸気は空気中のチリやホコリを種にして、雨となって落ちる。台風は熱帯低気圧が発達したもの、あの渦は自転の影響が作り出したもので、地球が自分でまわりながら太陽のまわりをまわっている。ほかの惑星も自分のスピードでまわっている。目にみえない力が雨を降らせているんじゃないですか……たぶん」
「陽クンにしては、まともなことを言うね」
「……まともじゃダメですか」
「そんなことないよ、水はひとりじゃ雨になれないもんね。気圧差とエアロゾル、そしてシービーがコリオリの力を得て台風となる。でも台風こないと水不足になっちゃうし、海がかき混ざらないとサンゴは死滅しかねない。ありがたいのか、迷惑なのかわかんないね」
「そ、そうですね」
陽がつぶやいたとき、プリントが終わった。
祥子は手にすると文面を確かめる。
「誤字、脱字はないみたいね」
「終わり、ですね」陽は電源を切り、席を立った。
「うん、ごくろうさま。洋子ちゃんによろしく言っといてね」
「ど、どういう意味です?」
「言葉どおりだけど」
祥子の笑いに陽は黙り込む。
「どうかした?」
「甘粕さん、元気なかったな」
「洋子さんが?」
「ここに来る前、話してたんですけど、いつもなら『なにかおごって』って言うのに」
「そうね……おとといあったとき、変なこと言ってた。部屋を片付けなきゃって」
「それの……どこが変です?」
「人手がいるみたいなこと言ってたから……部屋の片付けだったらひとりですればいいでしょ。引っ越すのかな、……転校とか」
転校?
そんなこと聞いていない。
「言いづらくて言い出せないのかもよ」
「考えすぎですよ。甘粕さんは、はっきりものを言う人だから」
「そういう人に限って大事なことは言えないものだと思うけど。別れ際、あの子、なに言った?」
別れ際?
陽は思い出す。
「……バイバイって」
「やっぱり。元気なかったんでしょ、間違いないよ」
「でも、そんな……まさか」
「わかんないよ、週明けて学校にきたら、もう転校しちゃったあとかも」
このとき陽の頭の中で、一つのイメージが浮かんだ。
遠くで輝いていた星が突然消える。
気がついたとき、陽は生徒会室を出て駆けだしていた。
渡り廊下を走りながら、今までの自分の行動を決めていたものがなにかわかった。
それは「逃げ」だ。
自分が傷つかないため、本当の気持ちを隠してまで守ろうと、ただ逃げていた。いざというとき、自分の中には何一つ頼れるものもなく勇気も奮いたたなかった。今までの自分を決定していたのは現実逃避、退行することへの緊急避難だ。今がずっと続くと思っていた。永遠なんてあるわけない、と知っていたけど考えたくなかった。
今のまま続けばそれでいいと思っていた。
学校に行けば必ず逢える。部活に行けば必ず逢える。
クラスメイトとして、友達として、サークルの仲間として、ただそれだけでいいと思った。
自分に自信がなかった。
善しにつけ悪しにつけ、たった一言で世界は変わってしまう。
その一言をいわなくてもいい、今までの関係がずっと続けばそれでいい。
それでよかったんだ。
時計の針は世界を動かしている。
世界の針は宇宙を動かしている。
宇宙の針は運命を動かしている。
人の思いと裏腹に、イベントは突然発生する。
陽は自分のクラスに向かっていた。
今の彼を突き動かしているのは「逃げ」ではない。自分の意志だ。
「……あ、甘粕さん」
教室内に入った。
洋子は自分の机の上にふせっている。
ほかに誰もいなかった。
陽は洋子の前まで来るとまた声をかける。
「甘粕さん」
「ん、……あっ……なに?」
洋子は顔を上げ、眠たそうに目を擦る。
「まだ、いたんだ……よかった。甘粕さん、転校するってホントなの? なんで教えてくれなかったの。いつもの甘粕さんならなんでも自分から言うくせに……いや、そのことは別にいいよ。ただ、僕」
「転校?」
「土壇場になって、ずるいけど……ぼ、僕は」
「ちょっと待った!」
洋子は両腕を突き出し陽の口を塞いだ。
「誰が転校するのよ」
「え?」
「誰が転校するって」
陽は彼女を指さした。
「甘粕さん」
一瞬、辺りを外の雨音だけが響きわたった。
「なんで私が転校しなきゃいけないの」
え?
あれ?
ちがったの?
「誰がそんなこと言った?」
「米倉先輩」
「なんであの人、突然とちくるったことを。はて?」
洋子は首を傾げた。
「じゃ、転校なんて」
「するわけないじゃん」
「それじゃ……元気なかったのは?」
「食欲の秋っていうぐらい、ついいろいろ食べちゃうのよね。おかげで無駄遣い多くって、いま金欠で超ピンチなの。だけど秋物の服買いたいしー映画とかも行きたいけどお金が……。ため息のひとつやふたつ、でるってもんよ」
「そ、そうなんだ」
とりあえずよかった。
陽はホッと胸をなで下ろした。
「それはそれでいいとして、志水君」
「はい?」
「さっきなに言いかけたの?」
「えっ?」
「えっ、じゃないって。『土壇場になって、ずるいけど……ぼ、僕は』なんて、顔真っ赤にしちゃってサー。なにを言いかけたワケ? ひょっとして、コクハクーなんてしようとでもしたワケ? ねぇねぇ、どーなのどーなの、はっきりゆうてみなさいよ~。ほらほら~どーなの、ウリウリぃ~」
洋子はにやにや笑いながら陽を冷やかす。
頬をつつかれながら「別になんでもないです」と言ってしまう自分が少し情けない、と思う陽だった。
文化祭前日。
学校中が文化祭の準備に明け暮れて、てんやわんやの大騒ぎ。
教室、廊下をグランドのように駆け回り、さながら校内借り物競走でも始まったのかと思ってしまう。
体育館では合唱をするクラスの最後の練習が行われ、声がもれて外まで聞こえていた。
星詠組も例外ではない。
理科準備室に集まったみんなはそれぞれ課題の品をもって集まっていた。
「えっと、展示する場所にもっていく前に一応確認をしたいんだけど」
陽はぐるっとみんなをみわたす。
「岡本君は写真?」
「あぁ、天文写真。パソコンからおとしたデジタル画像なんだ。モノクロも何枚かあるけど、写真部とは別個に出すんだ」
「羽林君は?」
「僕は雲の写真です。学校や家の近所から撮影したもので、題して『雲の十面相』です」
「酒元さんは?」
「私はねー、これ」
涼がカバンから取り出したものは円い筒。
「なにそれ?」
「涼ちゃん特製カレイドスコープ、万華鏡って意味だよ、くみちょ~知ってた? アッキーがね、手伝ってくれたんだよ」
涼は自慢げに陽にみせた。
どうみてもトイレットペーパーの芯にしかみえない。
「ねぇ、甘粕さんはなにもってきたの?」
秋人が洋子に声をかけた。
ニンマリ笑う洋子はもってきた手提げカバンを開ける。
「ふふふ……聞いてぎょうてん、観てびっくり、世界にたったひとつしかない超図解、全天八十八星座だー」
フロシキを広げるように、みんなの前にB紙を三枚つなげた大きな紙を広げた。
紙一面に八十八星座が描かれてあった。
描いてあったには描いてあったが……。
「な、なに……この落書き」
秋人が思わずつぶやく。
無理もない。
紙に描かれていたものは確かに誰もが知っている星の並び方がしてあった。でも併せて描かれている絵はメチャクチャだった。
北斗七星がバラになっている。
「アッキー、落書きとはひどいじゃない。『いいアイデアだね』って志水君はほめてくれたんだから。その上、手伝ってくれたのよ!」
洋子の言葉に秋人の冷めた視線が陽を捕らえ、ボソっと話しかける。
「あれ、本当に展示する気か?」
「や、やっぱしダメ……かな?」
「ダメとは言わないが、いい笑いものになるかも」
「さ、最初はやめた方が……って進めてたんだけど、言いくるめられちゃって」
「ま、いいけど。責任取るのは部長の志水君だし、寺門先生からなにかあったときはヨロシク」
「あっ! ずるーい」
「イヒヒヒ……それより、志水君はなにもってきたんだ?」
「僕? 僕は……」
陽はカバンから一枚の紙を取り出した。
みんなは興味ありげにのぞき込んだ。
「志水君、『星を楽しく観る方法』って、なにこれ?」秋人が訊ねる。
「くみちょ~、なんかずるい、こういうのを『手抜き』って言うんだよ、くみちょ~」涼が文句を言う。
「リテイク、やり直しですね。僕たちが手をかけて作ってきたのに、志水さんがそんなんじゃダメです。だいたい部長なんですから」いつもおとなしい和樹がはっきり言った。
「あ……こ、これは……星を手軽に気楽に娯楽のひとつみたいに観るための心構え、って言うか……約束事って言うのか……あははは……だって忙しくて時間がなかったんだもん」
陽は両手を合わせペコペコ頭を下げる。
彼を使っていた祥子と洋子は少しかわいそうに思えた。
「責任取るのは志水君だから、いいか。米倉さんはなにをもってきたんです?」
秋人は話題を切り替える。
「作ったものじゃないんだけど」と、祥子はカバンから小さな紙の包みを取り出した。
包みを開け、中をみせたとき洋子が歓喜の声を上げる。
「コンペイ糖だ! 縁日で観たことあるー」
「先週、陽クンと雨はどうして降るのか、という話をしていたときに思いついて、駄菓子問屋さんに行って購入してきたんです。ひとつひとつが星くずみたいできれいと思わない?」
「コンペイ糖ってため息でできてたんだ」
「違います、コンペイ糖はゴマや芥子粒(けしつぶ)を種にして作られてるんです」
祥子の説明より目先のコンペイ糖。洋子はさっそく口の中に放り込んだ。
「コリコリして、甘いね」
洋子が食べるのをみて「私も私も」と涼も食べる。
おいしそうに食べる二人を前に、食べたそうな顔をする男子三人。
祥子は「食べていいですよ」と勧めた。
コンペイ糖は素朴で甘く、おいしかった。
「……それじゃ、荷物を運びますか」
秋人の言葉に、みんなは荷物を持って理科準備室をあとにした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます