Episode 54.「アッチェレランド」
それから、数十分。ついに出撃の時間がやってくる。
ソーヤに創ってもらった仮面を被り、列に並ぶ。僅かに狭まる視界は、閉塞感よりも、集中を誘うものであり、思っていたよりもずっと、影響は少なさそうだ。
ふと、顔を上げれば、すぐそばに立つソーヤ自身は、全く顔を隠していなかった。恐らく、そうする必要もないのだろう。
彼には、この後なんてないのだから。
彼にはもう、続きがないのだから。
そう、少しセンチメンタルになっていた私の耳元に、リンドウ先生の号令が響く。
「よし、各員、準備はできたな! 出発するぞ!」
列のあちこちから声が上がると同時に、倉庫のシャッターが開いた。ここを出れば、演算炉は目と鼻の先だ。私とソーヤはとにかく、混乱に乗じて、忍び込むことを優先して――。
「――え?」
――思考が、凍りつく。
シャッターの開いた先。見えるのは、ポーターやバスが通行する、大通りの景色であるはずだ。とはいえ、今はまだ車も動いていないため、私たちが進行するのには、うってつけの立地であるはずなのに。
――その道が、多くの人や車両で埋まっていた。
全身に、プロテクターやメットを装着し、手には警棒のようなものを持った集団。それが、私たちを取り囲んでいたのだ。
「――なっ、風紀、委員……!?」
リンドウ先生が、驚愕の声を上げる。明らかに予想外の事態だったのだろう。
この場を取り囲んでいる集団は、少なく見積もっても300人以上。こちらの十倍は下回らない。
作戦は、始まったばかりだというのに、絶望的な景色が、そこには広がっていた。
「おかしいっすよ……風紀委員の連絡網には、こんな動き、流れてきてないっす」
カレンは慌てた様子で、【Helper】の電源を入れようとする。しかし、それをリンドウ先生が制した。
「……読まれた上で、泳がされていたんだろう。もしかすると、こいつらもデルフィンの私兵かもしれん」
「かもしれん、じゃないっすよ。こんなの、完全に計画破綻っす。どうするんすか、リンドウさん」
「……どうするも、こうするもないだろう」
リンドウ先生――【全身鎧】は、手にした大剣を、さらに強く握り締める。
玉砕覚悟で突撃するか、僅かでも酌量の余地に期待して、投降するか。与えられた選択肢は、決して多くない。
睨みつける私たちをよそに、風紀委員の車両の一つから、近くの壁に何かが映し出された。恐らく、搭載されたプロジェクターによるものだろう。
そこに映っていたのは、恐らく年齢にして40代前後の、細身の男性。ブロンドの髪をオールバックに撫でつけており、彫りの深い目元からは、どこか余裕のようなものが感じられる。
まるでニュースキャスターか何かのように、落ち着いた様子で掛けたその男は、意味深な笑みを浮かべながら、顔の前で指を組んでいる。
「……誰?」
首を傾げる。大人、であることは間違いなさそうだ。誰かの"管理者"だろうか。
その答えは、間髪入れずに返ってくる。
「……あいつが、デルフィンっすよ」
ギロリと、映った男を睨みつけるカレンの目には、怒りと、侮蔑と、そうでなくとも、黒い感情が渦巻いているのがわかった。
あれが、学生省長官、デルフィン=コフィン。
このコロニーを食い物にしようとしている黒幕――その人か。
『――朝早くから、結構なことだね、若人諸君』
割れた音が、辺りに響く。恐らくは近くの放送スピーカーを利用して語りかけているのだろう。目眩がしそうなくらいに、ノイズまみれの声が頭を揺らす。
『はじめまして……ではない者もいるか。私はデルフィン。君たち学生を管理する者にして、その幸せを誰よりも願うものだ』
その言葉に、一歩、【全身鎧】が歩み出る。合わせるようにして、風紀委員たちの包囲網もひと回り、小さくなるのがわかった。
「――何が、学生の幸せだ! お前が考えているのは、他コロニーに対する戦力の確保と、自分の地位の確立だけだろう!」
『……おやおや、随分と威勢のいい子もいるようだ』
デルフィンには、動じる様子など微塵もない。
文字通り、子供をあしらうように、彼はほくそ笑むばかりだ。
『別に、嘘は吐いていないさ。私のごく個人的な欲求を満たすために動くことが、たまたま、君たちの幸せに繋がっている。互いに利があるのだから、何もおかしなことはあるまい』
「詭弁だ! その私欲を満たすために犠牲にするものに、下敷きにするものに、蔑ろにするものに、お前は目を向けているのか!?」
『いるさ、勿論。しかし、些末なことだ。人類はあらゆるものを創れるように進化した。なら、社会の幸せさえ担保されていれば、個人の幸福など――創ればいい。そうだろう?』
幸福など、創ればいい。
その言葉で私は、絶対にこの人とは相容れないのだと、そう直感した。
幸せが創れると思っているのは、即物的なものを拠り所にしている人だけだ。お金や贅沢品、そういったものを幸せの基準にしているのなら、確かに、私たちはそれを恣に手にすることができる。
しかし、幸せとは――そういうものではない。
「……創れない幸せだって、あるんだよ」
私は思わず、そう呟いていた。こんな小さな声では、届かないかもしれない。だから、次は大きく息を吸って、どこにいても聞こえるように。
「――人と人の間に生まれる気持ちは、繋がりは創れないんだ。だから、あなたたちが押し付けてくる幸せっていうのはたぶん、間違ってるよ!」
声を張る。つまらなさそうなデルフィンの視線が、僅かに動いた。
どこに設置されたカメラからこちらの様子を伺っているのかはわからないが、私など、モニターの上では僅かな点に過ぎないだろう。
それでも、言葉が届くなら、言いたいことを言ってやれ。
『君は……誰だ? まあ、誰だろうとテロリストの顔など、私は覚えないが』
「なら、知らないまんまでいいよ。私も、こんな間違ったことを進めようとする人のことなんて、どうでもいいから」
『……間違い、ね。そうとも言い切れないぞ。私たちはもうじきに、その人間の繋がりすらも、創れるようになる』
「……新世代レプリカントのこと?」
『そうだ。人の記憶を持ち、人の意思を持ち、孤独を埋めてくれる存在。両親の代わり、友人の代わり、或いは――恋人の代わり。そんなものもみな、代替可能になる』
親のいない子どもたちには親を。
孤独な子どもには友人を。
拠り所を探す子どもには恋人を。
確かに、あてがうことで救われる者もいるのだろう。
けれど、それはきっと私たちから、繋がりを育む力を、本物の繋がりを、それ以外にも多くのものを奪ってしまう。
そうして――私たちは、大人の言いなりになってしまう。
「――耳触りのいい言葉は、大人たちの特権なんだね」
私はそれが許せない。
大人たちに与えられたものではなくて、自分で選び取ったものを並べたい。それを自由と呼ぶために。この不自由な空の下でも、好きなところに行けるように。
『……つまり、なんだ』デルフィンは少しだけ、不機嫌そうに。『【トリカブト】一同は、投降する気が無いということかな?』
リンドウ先生に視線を向ける。
これを口にしてしまえば、たぶん、始まってしまう。
穏便に済ませるのなら、きっと今が最後の機会だ。その一線を、踏み越えてもいいのだろうか――。
「――いけ、ヴィオレット。俺たちはもう、やるしかないんだ」
背を押され、私は頷く。
どうせ、この狭いコロニーに逃げ場などないのだ。こうなれば私たちは、戦うしかない。
「――投降なんて、するもんか!」
力の限り、叫ぶ。
辺りの【トリカブト】構成員が、声を上げるのがわかった。狂騒の中で、皆、取り囲む風紀委員たちに向かっていく。
――こうして、私たちの、最後の戦いが始まったのだった。
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