Episode 44.「赦免」



「……ちょっとだけ、アタシの話をしてもいいっすか?」



 カレンは天を仰ぎながら言う。それは今までに彼女が見せたことのない、憂いを帯びた表情だった。



「……君の、話?」


「そうっす。アタシはもともとコロニー【ロンドン】の生まれなんす。これでもそこそこいいとこのお嬢様、なんすよ」



 知らなかった。【ロンドン】といえば、残存人類の重要機関がいくつも設置された大きなコロニーだ。そこの出身ということは、それなりに高い身分だったのだろう。普段の快活な彼女からは、なんとなくイメージしづらい。


「親は厳しかったけど、たぶん、アタシのことを愛してくれていたんです。だから、アタシはそれに応えたかった」


 もう顔もおぼろげにしか覚えてないんすけどね、と彼女は誤魔化すように笑った。けれど、目の端に光る雫を私は見逃さなかった。


 それはカレンが滅多に見せることのない、心のずぅっと底の方。飾ることのない本当の彼女の表情のような気がした。


「――だから10歳の誕生日。アタシは【スクールヤード】行きの連絡艇に乗ったんです。別に、寂しかったりはしなかったっす。大人になるまでの辛抱だし、連絡手段もたくさんある。きっと、頑張っていればまた会えるって」


 私はその話を聞きながら、頭の片隅に、硬質な違和感を覚えていた。


 彼女の声が、暗く沈んでいく。普段の底抜けな快活さは無く――もっとも、それも作ったものかもしれないが――正しく、ただの女の子のように、話し続ける。



「そう――思ってたんです」


「……思ってた、って、どういうこと?」



 カレンはスッと目を伏せた。そして、私から顔を背ける。


 そして、その薄い唇が微かに震えた。それが震えではなくて、言葉であると気づくのに、数瞬の間が必要だった。



「……2年前。忘れもしない、アタシが風紀委員に選ばれた月の、終わりのことっす。【ロンドン】では、コロニーの運営体制に不満を抱いたレジスタンスが、大規模な暴動を起こしたっす」


「……【ロンドン】で、レジスタンスが?」



 記憶を辿る。しかし、2年前は丁度、私も渦中にいた頃だ。他のコロニーの出来事なんて、ろくろく気にしてはいなかった。



「はい、当時の運営体制反対派の中でも特に過激な一派が起こした、大規模なテロ事件だ――使われたのは、"侵食火薬"でした」


「――っ! "侵食火薬"って、あの!?」



 脳裏に、ショッピングモールでの一件が過ぎる。


 触れるものをみな侵し、火薬に変えてしまう、恐ろしい爆弾――あの時だって、私の力がなければ、恐らくとんでもない大惨事になっていただろう。



「ええ、シオン先輩は、聞き覚えがあるはずっすよね。アタシの両親は警備部門の責任者で、あの日も、暴動を鎮圧するために出動していたらしいっす」


「……まさか、そこで?」


「……そうっす。仕掛けられた、爆弾を見つけた。何とか、周辺区域の住民は避難させたらしいっすけど――」



 ――アタシの両親が、帰ってくることは、なかったっす。



 そう言ったカレンは、乾いた笑いを浮かべていた。誰が見てもわかる、強がりの引きつった笑い方だった。


「ここまでなら、よくあるお涙頂戴、ひと山いくらの悲劇っす。この終末の世、どこにだって転がってる」


 彼女は、ゆっくりと立ち上がった。窓辺へ歩いていく足取りは軽く、まるで何かから解き放たれたかのように見える。


 でも、私は知っている。それは、手放してはいけないものを失くしたことによる軽さだ。私たちが私たちであるのなら、それを失うことがあってはいけない。カレンは、きっとどこかでそれを取り落としてしまったのだ。


「……アタシ、すごい馬鹿だったんすよ。【ARC】の力を過信してた。なんだって作れるし、なんだって手に入ると思ってた」


 細い指先が窓枠を滑らせる。からり、と呆気ないくらい簡潔な音だけを置いて、窓が開け放たれた。


 風が、髪を揺らす。日が落ちて涼しくなり始めた空気が、少しずつ談話室に入ってきた。流入した冷たさは私の胸を冷やして、興奮の隅の方をちょっぴり欠けさせた。


 彼女は「……引かないでくださいね」と前置きをしてから、ぽつりぽつりと話し始めた。



「あのとき、親を作ろうとしたんです。完全なレプリカントを作って、親の記憶を――アタシの記憶している分だけでも埋め込めば、二人が戻ってくるんじゃないかって」



 体の深いところに咎めるような痛みを感じた。それはかつて私も辿った道だ。


 ソーヤが死んですぐの頃――私は、ソーヤを模したレプリカントを創ろうとした。


 結果は、勿論失敗。外見ばかりは似せられたものの、次世代レプリカントのように、自律して話し、考え、動くようなものは創れなかった。


 喪った穴を埋めようとしても、偽物のピースははまらなかった。


 なら、恐らくその終着点も、私と同じだったのだろう。


「……結果は、失敗っす。いくら完璧な肉体を"創造"しても、魂は帰ってこなかった。アタシたちが創れるものなんて所詮、そんなものなんだって思い知ったっす」


 カレンは窓の縁に凭れて、大きく体を反らせた。それは非常に危うく見えた、それこそ、そのまま落ちていってしまうのではないかと思うくらいだ。


 けれど、不思議と心配はしなかった。彼女は知っているはずだからだ。私たちでも創ることのできないもの、私たちが内に抱えた尊いものの輝きを、だ。


「……命も、時間も、言葉ですらも、アタシたちは思うように手に入らない。だったらこんな力、どうして持ってるんすかね。なまじ手が届きそうなだけ、苦しいだけなのに」


 私は、ふと手のひらに視線を落とした。当たり前の肌色、ふっくらと艶のある滑らかな表皮。これは、人間の手だ。これでは、それ以上のものには届かない。


「……結局、そうなんだ」


 私は知らずのうちに、口を開いていた。



「結局、私たちが掴めるものなんて、最初から手の届くものだけだったんだ。番狂わせも、超展開も、ましてや、奇跡なんて――」


「――そんなこと、ないっすよ」



 ぐいん。カレンが反動をつけて一息に体を縮めた。微かに窓枠の軋む音が鋭く端を尖らせて、鼓膜に深く突き刺さる。


 そうして遮った彼女は、私と視線を合わせた。細い瞳孔と結ばれた一直線が、途切れることなくピンと張った。


「奇跡ならあるっすよ――ソーヤさん。あの人は、先輩にとって奇跡じゃなかったっすか?」


 奇跡。


 心臓が跳ねた。それは図星を突かれた痛みか、はたまた、気づいてすらいなかった事実に対する驚きか。どうあれ、私は、その言葉に、目を丸くした。



「……ソーヤが、奇跡?」


「そうっす。奇跡。死んだ人は戻らないはずなのに――あの子は戻ってきたんす。経緯や目的や思惑なんて関係ない、ソーヤさんがもう一度、先輩に会いに帰ってきた。それは間違いなく、誰がなんと言おうと奇跡なんす」



 だから、二人には幸せになってもらいたいんすよ。

 彼女はそう言って、くしゃっと笑った。それは彼女らしからぬ、無邪気で爽やかな笑みだった。



「アタシには掴めなかった大事なもん、手の届くとこまで来てるんじゃないっすか。なら、止まっちゃダメっすよ」


「……その先に、真っ暗な未来があったとしても?」


「あったとしても、っすよ。たとえ先が暗闇だったとしても、大切な人と過ごせないことの方がよっぽど辛いじゃないっすか」


「でも、そのせいでみんなが幸せになれなかったら?  私の、この願いが、そもそも間違っていたら?」



 私がソーヤと過ごしたいということは、すべてに目を瞑るということだ。


 この【スクールヤード】に満ちる闇を見なかったことにして、いつ大人たちに奪われるかわからない日々の中で生きていかなければならないということだ。


 きっと、それでも私は幸せだろう。ソーヤがいてくれれば。そうすれば、どんな毎日もきっと明るく照らしてくれる。


 ……でも、他のみんなは?

 サクラは? リンドウ先生は? フウリンや目の前にいるカレンは、幸せになれるだろうか。


 私と同じように、見て見ぬふりができるだろうか? 不条理を飲み込んで、それでも生きていけるだろうか?


「……大丈夫っすよ、シオン先輩」


 華奢な体が窓から離れる。一歩、二歩。よろけるようにして近づいてきた彼女は、ふわりと、私を覆い被さるようにして抱き締めた。


 私を包み込む、肉の柔らかさ。骨の固さ。そして何より、確かな体温。それはたぶん、私のこの手でも創ることのできない生命の感触だ。


「自分以外の誰かの心配なんかしなくったっていいんす。みんな、自分を幸せにするので精一杯。だからあなたも、もっと自分のために頑張っていいんすよ」


 自分のために、頑張る。

 その言葉を、たぶん、私はずっと待っていたのだ。


 ずっと私は"頑張る"から逃げてた。勉強も、スポーツも、"創造"の試験だってどこか手を抜いて、サボって、それを言い訳にして生きていた。


 でも、違ったんだ。どうして"頑張る"から逃げちゃいけないのか、その理由がようやくわかった気がした。


 私はやっと、許されたんだ。


「……ありがとう、カレン」


 私はカレンの体を優しく引き剥がした。彼女の優しさに、いつまでも甘えていてはいけない。私にはやらなければいけないことがある。あったはずだ。


 ソーヤを選ぶのか。それとも、コロニーの未来を選ぶのか。


 他の誰でもない――私のために、選ばなきゃいけない。



「……行くんすか」


「うん、もう大丈夫。やらなきゃいけないこととやるべきことに、ようやく区別がついたんだ」



 その果てに、たとえ傷つくことになったとしても。


 私はけじめをつけなければならない――今までの人生に。或いは、これからの未来に。そうでなくても、きっと何か表現し得ないものと、向き合わなければならない。


 ならない時が、来た。



「……アタシは味方っすよ。少なくとも、先輩が自分で決めた道なら、アタシは応援するっす」


「ありがとう。今は、その言葉だけで十分……って、言いたいところなんだけど、一つ助けてほしいことがあるんだ」



 私は歩き出す。もう、迷いはない。自分の意志でどちらを選び取るのかを決める。


 しかし、その前に一つだけ、やらなければいけないことが残っていた。中途半端な私の残した、それは桜色の後悔。



「――サクラの病院、教えてくれない?」



 親友に、ごめんなさいを伝える。

 それが私の抱えた、最後のやり残し、というやつだった。

  



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