Episode 43.「薄目を開けて」

 やらなくて後悔するくらいなら、やって後悔する方がいい。


 なんて、誰かが言っていた。名前もよく知らない誰か。それは隣の席のあの子であったり、喫茶店で相席になったあの人だったり。みんな口を揃えてそう言っていた。


 でも、私は違うと思う。世の中には絶対にやらない方がいいことも存在していて、"誰か"の口車に乗せられたが最後、取り返しのつかないことになってしまうんだって。


 私は、知っている。


「ん、むぅ……」


 ゆっくりと目を開ける。窓から射し込んだ光が目に刺さって、前頭部がズキリと痛んだ。眠りすぎたのかもしれない。あるいは、眠ったつもりでいたけれど本当は微睡みすらしていなかったのか。


 どうあれ、私の意識は覚醒した。気だるい手足の先まで、血流に乗ってゆっくりと"私"が満ちていく。それが爪先まで到達した頃、ようやく体の操作権が私のところに戻ってきた。


「今、何時……?」


 嗄れた声。自分の物とは思えない酷いものだったが、それでも問題なく、【Helper】は立ち上がった。温度を感じさせない合成音声が、あるべき違和感を塗り潰された声色で午後6時を告げた。


 6時。ということは、3時間程度しか寝ていないことになる。気分としては半日は眠っていたようですらあったが、実際はそんなものだったのか。


「最近、眠り浅いな……」


 呟きつつ、目を擦る。こびり付くような眠気をふるい落して、頭を叩き起こす。


 ――結局、私はあの場で、答えを出せなかった。


『……そうか。作戦の決行には、まだ少し日がある。覚悟が決まったら、教えろ』


 リンドウ先生は感情の籠もらない声でそうとだけ言って、私を寮まで送ってくれた。久し振りに自室に帰ってきた私は、とりあえず何も考えずにベッドに倒れ込み――そのまま意識を失ったというわけだ。



「……おなか、へった」



 私は自室を見回す。部屋の端には、ソーヤのために買ってきたファストフードの包みが、丁寧に畳まれて捨てられている。


 彼がこの部屋にいたことを証明してくれるのは、これだけだ。ついこの間まで座っていたベッドのシワも、窓辺でキラキラと光を照り返す白い髪も、もう、跡形すらもわからなくなってしまった。


 眺めているうちに湧いてきた感情を振り払うように、部屋を出る。


 西日に照らされた廊下は、奇妙なほどに静かだった。他の寮生たちも帰ってくる時間だというのに、不思議と誰の足音も、衣擦れすらも聞こえない。


 世界にひとりきりになってしまったかのような感覚の中、ふと、横合いの扉を見やる。


「……サクラ」


 扉に掛かるピンク色のネームプレートを、言葉でなぞる。しかし、答えは返ってこない。恐らく部屋の主は、まだ、入院しているのだろう。


 彼女も、もう、ここにいない。

 私が失くしたものを取り返そうとしたから、いなくなってしまった。


 全部取り落とした後で、いつも、私は悔いるのだ。大切なものは無くなった後でなければ、その重みに気が付けない。


 ――私は、間違っていた。

 そして、これからも多分、間違いを重ねていく。


 もう、どちらに進めばいいのかわからなかった。行こうと戻ろうと、失うことは避けられない。手放さずには歩けない。


 ソーヤか。

 このコロニー全てか。


 わかりやすい図式ではあった。けれどそれは、私の心を軽くしてくれない。


 私は――どうすればいいのだろうか?


 そう、自問を投げた、その時だった。



『Userに報告。宿舎に、お客様がいらっしゃいました』



 【HelPer】の機械音声。誰だろう、と、私は上体を起こしながら応答する。



「……来客、私に?」


『識別名、カレン=ノヴァローズ。現在、談話室にて待機しております』



 その名前に、私は少しだけ眉を寄せた。


 カレンが、今さら私に何の用だろうか? 演算炉爆破の計画に関しては、まだ返答の猶予をもらってるはずだ。


 まさか、急かしに来たということもあるまいが、彼女の動きは予想できない。風紀委員、レジスタンス、二つの顔を持つ彼女が何を思って動いているのか、今でも計りかねている。


 これ以上、懸案事項を増やしたくなければ、彼女との会話は避けるのがベターだ。少なくとも、気軽にお喋りしたいと思う程に、私たちは仲がいい訳ではない――。


「――いいよ、すぐ行くって、伝えて」


 私は反射的に、【Helper】にそう返していた。


 別に、仲がいい訳でも、彼女の考えを読み切れると踏んだ訳でもない。


 だが、思い返してみれば、彼女はいつでも私にヒントをくれていた。意味深な言葉が、何気ない一言が、事態を打開することに繋がっていたのは事実だ。


 ならば、今回も。そんな打算が、私の足を進める。いつもよりも幾分、重い足を引きずって、私は階段を降りていく。


 カレンは談話室のソファに腰掛けていた。つい、数時間前に見たのと同じ、制服姿。退屈そうに宙空に視線を這わす彼女を見て、私は、静かに【Helper】の電池を切る。


「……カレン、どうしたの、急に」


 私の声に、アーモンド型の瞳がこちらを向く。つまらなさそうに緩んでいた口元は、いつものようにイタズラっぽく、その角度を上げた。



「うい、うい。急に訪ねて、悪かったっすね。もしかして、おねむでした?」


「まあ、さっきまで少し寝てたけど……何? リンドウ先生から、何か追加の話とか……」



 ゆるゆると、横に首を振る度に黄金の髪が揺れる。



「違うっす。ここには、【トリカブト】としてでも、風紀委員としてでもなく、個人的な理由で来たんすよ」


「……個人的な、理由?」


「ええ、普通の、一人の人間として。カレン=ノヴァローズとして、先輩と話しに来たんです」



 意志とは関係なく、眉根が寄ってしまう。


 衒いも、計算もなく、わざわざ私と会話をするために、ここまで?


 裏表の無い言葉は、かえって怪しく思えてしまった。

 そんな私の様子を見て、カレンはカラカラと笑う。



「そんなに怖がらないでほしいっす。アタシ、これでも先輩のこと、応援してるんすよ」


「応援って、何なのさ。カレンだって【トリカブト】なら、私が計画に参加したほうがいいんじゃないの?」


「あはは……本当は、そう思わなきゃいけないんすよね。でも、何だか素直に飲み込めないんすよ」



 素直に飲み込めない。

 一体彼女は、私に何を伝えようとしているのだろうか?


 窓から差し込む西日は、私たちから虚飾を剥ぎ取っていく。だからだろうか、数秒後に、彼女は核心を口にした。


「――ぶっちゃけ、シオン先輩は作戦に参加しないでほしいんす」


 何を言っているのか、わからなかった。


「……は? なんで……?」


 混乱が、頭蓋骨をめちゃくちゃに掻き回す。


 私が作戦に参加しなければ、演算炉の停止は叶わない。デルフィン長官の作戦だって、阻止できなくなる。


 それがどんな結末を呼ぶのか――彼女はよく、わかっているだろうに。



「勿論、理解しているっすよ。でも、その上で、シオン先輩には、あの白い人と一緒に、逃げる道があってもいいと思うんす」


「……白い人って、ソーヤのこと?」


「そうっす。あの人、近々帰ってくるんでしょ? 次世代レプリカントの、一号機として」



 そう、そうなると、フウリンも言っていた。ソーヤは記憶洗浄されて戻って来る。もしかすると今度は、市民IDだってもらえるかもしれない。


 また、あの暖かな毎日が戻ってくるかもしれない。


「……でも、そんなの、駄目じゃない?」


 口にして、胸がひび割れるような痛みに、思わず蹲りたくなる。



「……何が、っすか?」


「私一人が救われるために、コロニーの子供たち、みんなの未来を犠牲にするなんて。デルフィン長官の、玩具にさせるなんて、駄目だよ……!」



 しかし、ソーヤを手放すという選択は、簡単にできるものではなかった。


 いくら、贋作とはいえ――あのレプリカントは、紛れもなくソーヤだ。


 彼の面影を消し去ることなんて、私にはできない。だから、両側から引っ張られた心が、水気を無くして裂けていくような、そんな痛みを、私は感じ続けているのだ。


 そんな横顔を、カレンは黙って見つめていた。まるで、心の奥底を見抜くかのように。そうでなければ、品定めでもするかのように。


 そうして、数十秒を置いてから、彼女は口を開く。


 

 

 

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