Episode 28.「風鈴の音」

 【スクールヤード】に暮らす学生にとって、"管理者"との面談は、何よりも優先されることだ。


 教師や警察組織まで学生が管理しているこのコロニーは、やはりというか、どうしても不安定な部分がある。故に、定期的な面談を挟み、子供たちのケアをすることは重要だと考えられている。


 そのため、特別な理由無しに、面談を断ることはできない。それこそ、取るに足らない私用程度なら、面談を優先することになっている。


 問題は――どうして、それが今か、というところだろう。



「シオン、紅茶の砂糖はいくつ入れる? 今日の茶請けは甘みが強いから、少なめを推奨するが」



 くるりと、フウリンが振り返りながら追いかけてくる。それに、私は指を二本だけ立てて応えた。


 あれから一晩が明け、ついにサクラと顔を合わせることもなく、翌朝、私は普通に登校することになった。


 いや、普通とは少し違う。昨日の帰路と同じように、一人きりの登校なんて、久しぶりだったのだから。


 そうして、恙無く学校での一日を過ごした私は、その足でフウリンの研究室を訪れていた。



「ほら、冷めないうちに飲むといい。糖分は、脳にダイレクトに効く栄養剤だ」


「……ありがと」



 湯気の立ち上るカップをソーサーごと受け取りながら、私はぼんやり考える。


 管理者――特に、私の担当であるフウリンが、唐突に面談を入れてくることは珍しいことではない。


 彼女の本職は研究者、それも、【ARC】にまつわる分野の第一人者だ。そのため、元々は高位能力者であるソーヤを見ていた人物である。


 私の担当になったのは、そのついでようなもの。彼の精神を安定させる役割があるとかなんとかで、一緒に面倒を見てもらうことになったのだ。


 ――最も、2年前、私の能力が覚醒してからは、メインの研究対象になったようだが。


 そんな、研究熱心な彼女は、本来の役割である子供たちの管理、という部分には比較的消極的だ。研究の合間、手が空いたから様子でも見てやるか、くらいの感覚で連絡が来る。


 しかし、今回は流石に、作為的なものを感じざるを得ない。


 私が無茶しようとしていることを察して、釘を刺しに来たのではないか――そんな風に、邪推してしまう。


 "管理者"の立場からすれば、【全身鎧】を倒しに行くだなんて、到底認められることではないだろう。フウリンが多少、適当なとこがあるとはいえ、流石に見逃してはくれないか。


 となれば――どうやって誤魔化すかを、考えなければならない。


「どうやら、随分と大変な目に遭ったようだ」


 カップを手に取った私に、フウリンはそう切り出した。思わず、体が強張るのがわかる。



「た、大変って?」


「聞いたよ、【トリカブト】のテロに巻き込まれたんだろう。折角の休みに、災難だったな」


「あ、ああ……うん、そのこと。まあでも、こうして無事だったから……」



 そういえば、あの日もフウリンは迎えに来られていなかった。例の襲撃に巻き込まれて以来、彼女と話すのは、初めてということになるのだろうか。



「風紀委員からの報告ももらっているよ。"侵食火薬"――そんなものまで、使ってきたらしいな」


「……そ、そうなんだ。へぇー……"侵食火薬"ねぇ……」



 私は目を逸らしつつ、誤魔化そうとした。


 もしもその件に言及するのなら、【ARC】による大規模創造を使用したことについても話さなければならない。


 散々気をつけろと言われていたのに――そう、小言の気配がしたからこそ、曖昧にぼかそうとした。したのだが。



「……前にも言ったけれど、下手な誤魔化しは止めたまえ。必要に駆られてやるしかなかったなら、別に怒りはしない」


「……うう、ほ、本当に?」



 ちらりと覗き見た私に、その無感情な視線を合わせることもなく、茶請けのチョコレート菓子の包装を剥がしながら、更にフウリンは続けた。 



「ああ。むしろ、私が案じていたのは暴走する可能性の方だ。それが無かったのなら、何よりだと言える」


「ぼ、暴走? 何それ、物騒な感じだけど……」


「【ARC】の創造が、能力者の想像を超えて出力されることで、その制御を失う可能性だ。特に、君は先天的な高位能力者じゃないからね。そうなる可能性を、危惧していた」



 そういえば、前にも言っていた。 


 私の能力は不安定。ソーヤの死後、その胸に空いた穴を埋めるようにして使えるようになった力だ。正直、使いこなせているとは言えないのも確かである。


「とはいえ、安心もできない。引き続き、可能な限り大規模創造は控えなさい。目撃者もサクラだけなら、きっと口を割ったりはしない、下手に注目を集めることもないだろうしね」


 ドキリとした。

 私は明日、まさにその大規模創造の力を使って、【全身鎧】を捕まえに行こうとしているのだ。


 それに、サクラが口を割らなかったとしても、もう既に、私自身がカレンの前で力を使ってしまっている。


 沢山の人を裏切る選択を、今の私はしているのかもしれない。その自覚が、無いわけではなかったが――それでも。


「うん、わかったよ。私ももう、厄介事は御免だからさ」


 その言葉は、驚くほど滑らかに、私の口から滑り出していった。


 偽ることに、抵抗がないわけではない。けれど、ほんの少しだけ麻痺してしまったのは事実だ。


 いや、もしかすると、本当は2年前から、かもしれないが。


 そうして一服してから、フウリンはソファに深く背中を預けた。別に普段からしゃんとした大人というわけでは無かったが、こんなに力を抜いている姿は、久しぶりに見た。


 だから、というわけではないが、私もほんの少しだけ、肩の力を抜く。サクラと仲違いをしてしまった今、私が身構えずにいられるのは、彼女の前でだけなのかもしれない。


 互いに一呼吸、それから、更にフウリンは続ける。



「さて、とだ。今日、君を呼んだのは、この間の話を聞きたかったからだ。一応、一通り報告書には目を通したが、私は人伝ての情報を信用しない」


「……私からの話だって、人伝てじゃない?」


「まあ、そうとも言えるがね。しかし、無事を直に見て確かめられるなら、それはそれで安心できる」


「安心? フウリンが?」



 私は思わず、声が裏返りそうになるのを止められなかった。


 安心、なんて言葉が彼女から出てくるなんて、そんな人並みの情を持ち合わせていたなんて、初めて知ったかもしれない。



「……なんだ、その反応は。私だってそれなりに、君のことを心配していたんだぞ」


「わあ、今度は心配、ときた。フウリン、何か悪いものでも食べた?」


「うるさいな、君は人のことを何だと思っているんだい?」



 研究者。 


 血も涙もなく、己の知識の探求のためなら、何だってする冷血漢。女の人だけど。頭はいいけど変わり者で、研究室に引きこもりがち。美人な顔立ちなのに、不健康な血色がもったいない。



「……恐らからずとも、頭の中に随分と不名誉なワードを並べていないか」


「そ、そそそ、そんなことないよ。フウリンは優しくて、おおらかで、あ、あ、あと……物知りだもんね!」


「まさしく、取ってつけたような賛辞だな。そんなもの要らんよ、見え透いている」



 うぐ、と。私は図星を突かれ、思わず息が詰まってしまう。


 フウリンのことは嫌いではない。けれど、こういう風に子供扱いされるのは嫌いだった。



「……普通に、大人として心配しているだけだ。君は昔から、思い込んだら一直線な節がある」


「そ、そんなことないよ。私だって――」


「なら、一つ忠告をしておこう」 



 再び、下手に取り繕おうとした私を、フウリンは一言で縫い留めた。まるで、私の浅ましさを見抜いているかのように。


 そして、抑揚の少ない、低い声で。



「――明日は、どこにも行くな」



 全身の血液が冷えるような感覚。


 言葉が、出てこなくなる。自然に、疑問符を返せばいいだけなのに、隠しきれない動揺が、指先と声を震わせる。


「な、ななな、なんでそんなこと言うのさ」


 そんな私とは、対照的に、彼女は落ち着き払った様子で、手にしたソーサーを置いた。



「明日は、今の学生省長官の就任記念日だ。それは知っているね」


「……聞いたことくらいは、ある」


「そう、そんな日だからこそ、連中が悪さをする可能性は非常に高い。おっと、無駄な疑問形を差し込むなよ、勿論、【トリカブト】のことだ」


「その名前、最近よく聞くね。この間のテロを起こした組織、そうだよね?」


「ああ、単なるバーダー・マインホフ現象……ではないだろうな。活発化しているよ、明らかに」



 私は、内心で胸を撫で下ろしていた。


 口振りからして、私の思惑を見抜かれているということは無さそうだ。恐らくは、無茶をしでかす私のことをよく知っているからこそ、余計なことに首を突っ込まないようにと、気を回してくれているのだろう。


「わかってるよ、フウリン。つまりは、最近色々物騒だから気をつけろ、ってことだよね」


 あえて、能天気な言葉遣いを選ぶ。


 私は、シオン・ヴィオレット。裏表もなく、難しことは考えない、短慮で浅慮な直情型。


 少なくとも今は、そう思ってもらって構わない。


「そんなに単純な話ではないんだがな……まあ、とにかく、ここ数日は大人しくしていること。いいか?」


 念を押すように、彼女は詰め寄ってくる。それはリンドウ先生からも感じた、大人特有の"圧"のようなものだ。


 普段なら、顔を顰めていたかもしれない。けれど、私は前よりも少しだけ、その顔に慣れていた。


 だから――それを選ぶことができた。


「――うん、大丈夫だよ。危ないことは、しないから」


 いつの間にか震えが消えていた声で告げれば、フウリンの表情が少しだけ緩んだような気がした。 


 それに、安堵と罪悪の痛みを半々で感じながら、私はぽつり、思うのだった。


 フウリン、ごめんなさい――。

 私はまた、嘘を重ねてしまった――と。 


 そんな気持ちすらも、一度カップを傾ければ、鼻から抜ける茶葉の香りにかき消されるように、消えていくのだった。

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