Episode 7.「悲鳴とアジタート」
その声を皮切りに、連鎖的に叫び声、そして、慄くような声が上がる。
私たちが振り返るよりも早く、混乱は私たちのすぐ側まで伝播してきていた。
急ぎ、我先にと駆けてゆく人々に疑問を抱いた私とサクラだったが、すぐにそれは氷解することになる。
背後から、いくつもの慌ただしい足音と、怒号のようなもの。そして、何かが割れるような音が聞こえたのだ。
「ちょっと――何これ!?」
どこかヒステリックな、サクラの声。
私たちも人の流れには逆らえず、弾けるようにして駆け出したものの、わけがわからない。頭は混乱するばかりだ。
ともかく、足を動かす。フードコートを抜ければ、エントランスに着くはずだ。
そう考え、走った私たちが辿り着いた先で見たのは、フードコートの一角で起きている惨状だった。
椅子やテーブルが倒され、食器類が散乱している。そこにいる人々は皆一様に怯えているようで、中には腰を抜かしてしまっている人もいるようだった。
床に目を凝らしてみれば、血痕のようなものが点々と残っているのも見えた。
一体誰がこんなことをしたのか――と、私は息を呑んで、人混みの向こうに目をやる。
見えたのは、エントランスを封鎖するようにして立つ怪しげな数人の人影だった。顔にはフルフェイスのマスクのようなものをつけており、全員が夏だというのに黒いコートに身を包んでいる。
その先頭に立つ者――このテロの主犯格だろうか、一際大きな体つきをした人影が、口元にレシーバーのようなものを当てた。それと同時に、辺りのスピーカーからいっぱいに、大声量が吐き出される。
『セントラル・モール全館に告ぐ! 只今より、この建物は我々【トリカブト】が占拠した!』
低く嗄れた声は、恐らく私たちよりも上の世代の男性のものだろうか。ひどく乱暴で、ざらついた声色だった。
ざわめきが、更に広がってゆく。
「【トリカブト】……!?」サクラが神妙な様子で呟く。
「サクラ、知ってるの?」
「ええ、学生省に逆らう
なんだってそんな連中が、このモールにいるのだろうか。占拠だとか、こんな騒ぎを起こすなんて、ただ事ではない。
『我々はこれより、人質を取る! 要求は二つ! これまでに逮捕された同胞たちの開放! それに加えて、学生省が管理する第四演算炉の凍結だ!』
男が叫ぶと同時に、周りのテロリストたちが一斉に動き始めた。周囲の人々を拘束し始める。逆らうものには、"創造"したのであろう棒状の物で容赦なく殴打を加えてゆく。
それを見て、周りにいた客たちは悲鳴を上げながら、慌てて逃げ始める。しかし、逃げる場所などどこにもない。
私の頭の中は、焦りと恐怖ですっかり浸水しきってしまった。こんなの、どうしろっていうのだ。
しかし、この唐突な事態に、パニック一歩手前の私とは打って変わって、サクラの表情は変わっていなかった。
むしろ、先程までの年相応の柔らかさはナリを潜め――刃物のような
「――これは、見過ごせないわね」
そう口にして、彼女は一歩踏み出した。
「ちょっ……待った!」
咄嵯に私は彼女の腕を掴み、引き留めた。
「何するつもり!?」
「決まってるじゃない、助けに行くのよ」
当然のように言う彼女に対し、私は必死の形相を向ける。
「無理だよ、相手はあんなに大人数なんだよ? それに、乱暴されるかも……」
私がそう言うと、サクラは少しだけ困ったように笑った。そして、「あなたはここにいなさい」と言い残して、再び歩き出す。
こうなったら、彼女は聞かない。
昔からそうだ。優しくて、しっかり者で、柔和な口ぶりの彼女だけど、一度決めたら頑として動かない。
本当なら、羽交い締めにしてでも止めなきゃいけなかったんだろうけど、私の足は驚くほどに情けなく、たった一歩すらも前進を許してくれなかった。
悠然とした足取りでエントランスに踏み入ろうとする彼女に気付いたのか、テロリストのうちの一人が、その肩を掴もうとする。相手はサクラより二周りは大きく見える、ガタイのいい男だった。
ひっ……と喉の奥から声が漏れる。
華奢な彼女の身体は、乱暴に掴まれただけで折れてしまいそうな程に頼りない。
声が出れば叫んでいただろう、その後の展開を予期した私は、思わず胸を押さえて――。
――次の瞬間、男の身体が宙に舞っていた。
「……え?」
私は目の前の景色が受け入れられず、間抜けな声を漏らしてしまった。
何が起こったのか、まるでわからない。ただ一つだけ、サクラの手にいつの間にか、細長い何かが握られていることには気付けた。
長さは1メートルほど。持ち手の部分には布のようなものが巻かれていて、楕円形の鍔と、先の方にゆくにつれ緩やかに沿ってゆくような形状が印象的だった。
歴史の教科書で見たことがある。あれは、"カタナ"というやつだ。刃こそついていないようだが、打撃武器としては十二分に機能しているようだった。
大きく仰反る男は、そのまま床に転げ落ちる。しかし、彼女はそれに一瞥もくれず、さらに進んでゆく。
「――邪魔よ、どきなさい」
静かに言い放つ彼女に気圧されたかのように、テロリストたちの間に動揺が広がる。
しかし、それも一瞬のこと。彼らは各々、手元に武器となるものを"創造"すると、猛然と彼女に向かって飛びかかっていった。
四方から囲むようにして襲い来る人影たちを、躱し、いなし、時には激しく打ち据えながら、どんどんと薙ぎ倒してゆく。
「くそっ、やられた、あの女、風紀委員だ!」
人影のうちの一人が、そんなことを叫ぶ。と同時に、顔にめり込んだカタナが意識を刈り取っていった。
「……すごいや、あの子、あんなに強かったんだ」
私はその様を、物陰に隠れながら眺めているばかりだ。
サクラの奮戦のおかげか、辺りの客は大半が他の出口や窓を破って逃げられたようだった。あと残っているのは、人影たちによって両手足に枷をはめられ、拘束されてしまった人質の子たちと、私たちだけである。
【ARC】によって作られたものは、たとえ造った人間が気を失ったとしても、消えることはない。造る前にあらかじめ、頭の中で"どのくらい長持ちさせるか"まで考えて出力するからだ。
彼らとて、人質を取るのにまさか10分や20分で崩壊する枷を出したりはしないだろう。だから、助けるのであればどうにか外部から破壊するしかないのだが……。
「……上手くいく気、しないな」
私はひとつ、息を吐く。
例えば、大きな斧や金鋏のようなものを造れば、もしかすると解放してあげられるかもしれない。
しかし、この状況でそんなに首尾良く作業を行うことが、果たして私にできるだろうか?
バレれば当然、向こうからは狙われるだろうし、もしかすると手元が狂って相手に怪我を負わせるかもしれない。
そう考えると、今はただ息を潜めてサクラが事を終息させてくれるのを待ったほうがいいんじゃないか。そんなことすら、考えてしまう。
けれど、サクラが二桁人目の人影を薙ぎ倒した辺りで――事態は動いた。
先程、レシーバーに向かって声を張った大柄な男。主犯格と思しき彼が、徐ろにコートを脱ぎ捨てると、彼女のもとへと近付いてゆく。
男は、深緑色の迷彩服のようなものを着ていた。引き締まった体付きも相まって、軍人のようにすら見えてしまう。
「やるじゃあねぇか、姉ちゃん」
心底楽しそうに、男は口を開く。
「これでも動ける連中を連れてきたつもりなんだけどよ、まさか一蹴とは。風紀委員様々だなぁ、オイ」
「……あなたがテロの主犯格ね」
サクラは、再びカタナを正面に構えた。
「オイオイ、止めろよ。なんだ、話すらも聞いちゃくれないのかよ」
「あなたとお喋りするつもりはないわ、あの人たちの拘束を解いて、素直に投降しなさい」
冷たく言い放つサクラだったが、男はおどけた様子で両手を上げたまま、フラフラとその場で揺らいでいた
。
その姿は、言いようもないほどに不気味だ。何を狙っているというのか、図る間すらも惜しいと言わんばかりに、サクラは地面を蹴り、間合いを詰めようとする。
その、瞬間だった。
「――っ、サクラ、危ない!」
私は思わず叫んでいた。その声が届いたのかどうかはわからないが、視線の先で彼女は華麗に身を翻す。
そして、つい一秒前まで彼女の体があった辺りを――紅蓮の舌が舐め取った。
「……炎? こんなもの、どうやって……!」
こちらまで届きそうなほどの熱気の出処は、男の両手からのようだった。手のひらの辺りに空いたビー玉ほどの大きさの穴から、灼熱の炎が絶えず、吐き出されている。
あれは、【ARC】で造ったものではない。いったい、どうして――。
「……あなた、それ、"外"から持ち込んだのね」
サクラの額を、汗が伝う。それを見た男は、背筋に怖気が奔るような笑みを浮かべた。
「ハッハッハ、そうさ。コロニー:【キューバ】製の仕込み火炎放射器だ! 手術費込みで随分とふんだくられたが、まあ、安い買い物だったぜ」
「……信じられない! こんなことのために、両親からもらった体を傷付けてまで……!」
「おっと、"こんなこと"とはご挨拶だなァ。そんなに大したことないみたいに言わないでくれよ」
鋭い前蹴りが放たれる。それは彼女自身ではなく、武器を狙った一撃だった。あっけなくカタナは宙を舞い、そのまま解けて、消えていった。
「俺たちがやってることはさ、"革命"の前段階なんだよ。だから、これは大いなる変革の前の、少しばかりの痛みなんだ。わかるよな?」
男は喋りながらも、さらに炎を打ち出す。たまらず、サクラは飛び退いて躱そうとするが、それを許さぬとばかりに、男も間合いを詰めてゆく。
彼女は咄嗟に、桃色の花弁を思わせる盾のようなものを"創造"した。しかし、それでは熱波までは防げない。
見る間に、白い肌に火傷の痕が浮いてゆく。
「……っ、そんな、サクラ……っ!」
助けに行かなければ。
彼女は見るからに、劣勢だった。先程からの大立ち周りで体力も限界なのだろう。このままではまずい。
しかし、私の身体は竦んでしまって、これっぽっちも動いてくれなかった。
私は臆病だから。
大切なものを失ってしまうかもしれないのに、一番大事なときに、飛び出すことができないのだ。
あの時もそうだった。"キミ"が、私とお別れすることになった――あの時も。
ズキリ。頭が鋭く痛む。思い出したくないことを思い出すときには、いつもこうだ。
再び、目の前で男が炎を放った。その赤色が、私を記憶の中に連れてゆく。
すべてが始まって、そして終わった"あの日"へ、連れてゆく――。
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