一徹のセカイ
第34話 一徹の住処、呪われた街《ベルトライオール》
人間族が治める一国、《タベン王国》には呪われた街が存在する。
街の名は《ベルトライオール》。現国王即位前の王位継承権争いのあおりを受けて広大な土地を持つこの街は、一度焼かれ復興し、人の数がまた増えたときにあっては、人ならざる者達に命を刈り取られ、そして滅んだ。
二度滅んだ街は、今や人間族以外の者達によって占拠されている。
ここは人間族の国。人間族以外の者は奴隷に堕とされるのが当たり前の中で、異常事態がまかり通る。それが呪われた街と呼ばれている由縁。
「そんな街にいるのよね。私……」
廃墟と化した大きな街。その一角の、何の変哲も無い民家の一つ。窓から惚けた声を挙げて外を眺めるのはエメロード。
声に緊張が混じるのは仕方ないかもしれない。人間族にしてこの国の公爵令嬢。つまり、この街の住民にとっては殺しても殺したりない憎むべき存在なのだ。
「エメロード様、あまり窓の近くへ参りませぬよう。外から見つかる可能性がございます」
「人間族も、いるようだけれど」
「この街に住む人間族は、旦那様以外、皆が元奴隷でした。全体の割合としても人間族は数が少ないですし、だからこそ皆が互いの顔を知っています。見慣れぬ者はよそ者だとすぐにわかってしまいます」
ただ黙って窓の近くに立っていただけで、背中に掛けられたのは注意。
青少年の、声変わり途中特有の高いような、それでいて低い声によるもの。
「……あなたも、奴隷だったの?」
「言ったはずです。旦那様以外のすべての人間族が……」
「ごめんなさい」
振り返って声の主を認めたエメロードは、しかしその気品に満ち溢れた容姿の美しさからはとてもその話が信じられず、思わず聞いてしまった。
機械的な回答。冷ややかに見やる少年執事リュートの美しさは、初めてエメロードが見た時には、ハッと息を飲んだほど。
「謝るのですか? 貴女が?」
「え?」
その衝撃は、エメロードが公爵令嬢ゆえだ。家の格が高すぎるから、そもそも使用人には奴隷を使わない。
奴隷とは汚らわしい存在だと教わっていたエメロードだからこそ、知識が足りず、汚らしい印象のある奴隷像と、美しい顔立ちのリュートが結びつかなかった。
元奴隷の肩書あるリュートと、距離の取り方が分からないゆえの発言。リュートが怪訝な顔をしたのは致し方ないことだった。
「いえ、なんでもございません。ご昼食をお持ちいたしました。温かいうちにお召し上がりください」
どこまでも冷淡、それでいて丁寧な口ぶり。リュートの心の遠さを感じるから、エメロードは話題を変えた。
「や、山本一徹は?」
「旦那様でしたらヴィクトル、シャリエールを伴ってただいま外出しております。3日間眠っていらしたお嬢様が、昨夜お目覚めになったことで、今後の予定を立てたいと」
それでも、リュートはあまり食いついてくるそぶりは見せない。
皿に盛られた料理数種類の乗った盆を、部屋の机に乗せたのちに深く一礼。そして踵を返した。
「では私はこれで。ご用命ありましたらお呼びください。失礼いたします」
扉が閉じるのを、無機質な、バタンという音を耳にしながら認めたエメロード。
部屋に一人残されたことにため息を一つついたのち、出された料理、まずはその一つのスープに手を伸ばした。
「……おいしい……」
体にしみ込んでくる素材と塩っ気にしみじみと言が零れる。ほどなく他の料理にも手を付けた。
「これを、アレが作るなんて」
この料理を作ったのは、人間族外ではない。
昨晩目覚めた時、一徹から料理番として体毛のない醜悪な獣顔した忌子を紹介されたから予測できた。
エメロードはそのとき大いに錯乱し、悲鳴をあげた物だった。
「やめよう。そんな言い方、あの人が悲しむ。」
目覚めたことに嬉し気に笑った一徹。だがエメロードのその反応に寂しげな表情へと転じたのをエメロードは見逃さなかった。
彼女は知っている。
己が種族こそ至高と
世界の常識から見ると、一徹は|人間族にとっての
だが一徹がそんな男だと知ってなお、今のエメロードは、一徹を忌避することをしなかった。
思えばあのパーティの時、エメロードを前に、人間族たちへの諦めを匂わせたセリフは、一徹の何か信念のようなものから来たものではないかとも伺える。
「……おいしい……」
あぁ、一徹は本当に人間族外と生きているのだという事実。故にこのような呪われた街に拠点を持っているのだという現実。
エメロードは打ちのめされながらも、何とか適応しなければと思いながら、料理を静かに口に運んでいった。
なぜ信念ゆえのセリフを、彼があの時口にしたのか。その真意を、考えながら。
+
「主催者の一人が黒幕?」
「相当かと。襲撃者たちは一様に農民、町民の格好を装っていましたが、こと、従者待機所での襲撃では身なり小ざっぱりしたどこぞかの家の使用人……に扮した戦士によるもの。私もあわや人気なき部屋に連れていかれ殺されるところでした」
「それを、証明できる何かは?」
「残念ながら。奴らは我ら従者が待機所を出る前に全て切り伏せたゆえ。《レズハムラーノ》への連絡のために火も放ち」
「証拠もろとも炭クズか。フィーンバッシュ侯爵だろうな」
「アルファリカ公爵ということもありましょう?」
「いんや。父親としてあそこまで娘を危険にさらすことは、悪役としちゃそりゃあっぱれだが、そんな印象は受けなかった」
エメロードが一人、一徹の家、与えられた部屋で食事をとっているその頃。
ヴィクトルからの報告を聞きながら、一徹は冷めた目で天井を仰いだ。
「ラバーサイユベル伯爵なわけもない。どうかな? 案外あの馬鹿馬鹿しいダンスマラソンも、参加者の体力をそぐという意味では本当に作戦として組み込まれていた物かもしれないな」
かつての王位継承権争いで滅ぼされたとある公爵家が、それまではこの街をはじめとした周囲一帯を領主として治めていた頃の居城。
新王が登極(王がその位につくこと)してからは、その命を受けたどこぞの大貴族が実権を振るった場所。
かつての栄華をうかがい知ることが出来るのは、この街を襲った2度の災厄の影響に、半壊してなお、荘厳とした部分もかろうじて残っているからだ。
だがきっとこの崩落した部分は、がれきを取り除き、失った部分を修復することで、美しかったころの姿に元通りとなることはないだろう。
「それで? 正気かよ
「迷惑をかけるつもりはないよ
今の城の主、この街の長を務める男は、見栄よりも
人ではない。かつて人間族の街だった《ベルトライオール》を、人間族を蹂躙して奪うことで治めるようになった、人間族以外の者たちの街長だから。
いまや公爵城ではない。領主城でもない。
太守城。それが今、街長として日々活動しているフローギストなるカエル顔の獣人族が、自称する立場で妻と共に住まう場所。
「エメロードは明日にでも国境を越えて《メンスィップ》に連れて行く。この街にいるべきじゃない」
「それはそうかもしれんが……」
この街に住む者たちの中に人間族もいないわけじゃない。皆、元この街の住人たちにかつて使役され、蹂躙された奴隷ばかり。
それを考えれば、そのような過去を持っていない人間族の一徹が、この街長の傍にいるのは相応しくない。
「何々? 心配しちゃってくれてんの?
「兄弟」という関係性。
身長が2メートルや3メートルを超えることも珍しくない獣人族にあって、170センチ後半しか身長が無いフローギスト。その身に異常なほどの
その力に惚れ込んだ一徹は、経済的な知識面から彼をサポートして来た。
親友を越え、兄弟とまで呼びあうに至るまで、相互的な協力を重ねてきたこと。
一徹がこの街に住むことが許されているのも、街長フローギストと二人、同じ場所に立つことが出来ることも、二人の絆の上に成り立っているのだ。
「あまりご主人をからかってくれるなよ一徹。義弟を、家族を心配する。何が悪い」
だから少しおどけて見せた一徹。しかし、別の者の声と、刀剣のような鋭い眼差しを受け、笑みを苦くした。
後ろで結った長い銀髪、褐色の肌。目を見張るほどに顔立ちは美しく、均整に絞り込まれた四肢は、されど女性らしいところはしっかり主張する。
美女だ。間違いない。
だが、全身にくまなく呪詛のような模様が走っているのが、エルフと他種族の血を受け継いだことからなる
「あーいや、ごめんごめんガレーケの
一徹と繋がりの強いフローギスト。だからその妻ガレーケとて、一徹にとっては他人じゃない。さすがに、彼女の冷ややかな視線には緊張が走った。
先日己が出席したパーティで襲撃があったこと。そしてその結果エメロードを保護する為、この街の者なら殺しても殺したりないほど憎悪の対象となりうる貴族家の令嬢を街に連れてきたこと。
一徹がこの場にいるのは、その弁明と報告をフローギスト夫妻にする為だった。
「先ほど『迷惑を掛けたくない』と言ったな一徹。『
「彼女は公爵令嬢。そんなのがこの街にいてみろ? 下手すりゃこの国の社交界は、『人間族外が占める街、《ベルトライオール》がエメロードを人質に取った』と見なす。そりゃこの街にとって人間族が兵力を以て攻める口実になる。双方にとって万に一つの得もない」
気の抜けた口調ではある。だが会話の内容はシリアス。
普段はやる気なしを地で行く一徹だが、ことフローギストと、その妻を前にしてはそういうわけには行かなかった。
一徹にとって大事な存在。
これまで一徹は二人といろいろあったから、自身の問題で彼らに迷惑を掛けたくなかった。
「それにこの街にいるのはエメロードにとってもいいとは言えない。彼女は《メンスィップ海運
「まぁ、弟が心配なのはわかるがな。一徹の発言には道理があるよ御主人」
取り巻く空気、そしてフローギストとガレーケの表情。一徹には久しぶりの感覚だ。
「
「何か言ったか?
「うんにゃ。だからお前のところから、
「ところで、先ほどの襲撃の発端はどこぞかの家の使用人という話。旦那様はアルファリカ公爵でないとして、あの使用人襲撃者たちはフィーンバッシュ侯爵の手の者かとご推察なされた。ラバーサイユベル伯爵にはその情報を展開なされるので?」
「いや、いい」
「……よろしいので?」
そう思うと嫌な感覚だった。
先日の一件で、改めて
「それは《種族感》という理から離れて生きる俺達には関係のない話だ。人間族の
「承知しました」
だが……
「この異世界が俺の世界になってここまで。壊すわけには行かねぇだろうが。やっと手にした平穏無事な
いま感じている空気に、本当にあれが最後になるのだろうかと、一徹自身が小さな不安に苛まれた。
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