第3話 割って入る第三の女

「もう一度聞きましょう。その振る舞いは……」


「紳士的じゃないです! 全然です!」


 赤子の手をひねるようにとはこのこと。

 一徹の右腕を片手のみで極めているルーリィのさまは、手慣れたもの。

 勧善懲悪宜しく、高潔で清廉な正義心からの行い。

 一徹は仮面をかぶっていたから、ルーリィはいま、自分が何をしているか気づいていなかった。


「いでで! チョッ、どうなってんだよこれ!」


「その言い方はないんじゃないかな。私にも貴方が、筋にもとる行動をとったように見えた。拘束されたのは、至極当然だと思うが?」


「筋にもとる? 別に俺、変なことしたつもりは!」


「罪を犯した者は皆、そう言うものです」


 アーバンクルスの余裕そうな声に、一徹の怒気のはらんだ反応が光る。途端だ。後ろに捻った腕を、ルーリィが更にクイッと上に持ち上げた。


「グッ! カッ! ギブ! ギブギブギブギブギブ!」


 仮面で正体がわからないから、非情になれた。


「ル、ルー……ッツ!」


 穏やかではない。

 だから止めようとしたエメロード。しかし一徹の前でその名を口にするわけにはいかないから、状況の悪化に歯止めがかからず、焦った。


「彼女は我が国、《ルアファ王国》王都騎士団本部に所属している。そこから見ると、貴方への拘束は、行いがお世辞にも筋の通ったものではなかったと伺えるが?」


「《ルアファ王国》!? じゃあそちらさんが、ハッサンとはもう一方別の、《タベン王国》同盟候補先か。じゃあ同盟交渉官、そういうことかよ!」


 耐えかねたように、一徹が声を絞り出したのは幸いだ。

 その口ぶりが、アーバンクルスとルーリィの二人に、一徹、もとい黒衣の男が、《タルデ海皇国》側の人間だと分からせた。


「エメロード様、こちらの方は、ご存じか?」


「ラチャニー殿の代理です」


「代理? 今日の趣旨を知ったうえで、あの男は身代わりなどよこしたのですか!?」


「だぁから! 痛いってのぉ!」


 ハッサン・ラチャニー。

 本来はこのパーティに出席するはずだった《タルデ海皇国》の大商人の名前。

 不参加という事実が気に入らなかったのか、ルーリィの思わず入った力は、極めていた一徹の腕をさらに曲がってはならない方向へとしならせた。

 泣きそうな声と顔の一徹。エメロードの胸中だって穏やかじゃない。

 エメロードは一徹にルーリィの、ルーリィに一徹の名前を聞かせたくないから。 いつアーバンクルスが、ルーリィの名を呼んでしまわないか気が気じゃなかった。

 何とかこの場を、一徹とルーリィが互いの存在を知らぬままに切り抜けなければならない。それがエメロードの思惑。

 そのために必死で考え、言葉を選び、状況を進める必要があると思うと、エメロードは体温が一気に上昇した。


「いい加減開放してくれ! 親友だからってことで招待状を回されただけの俺には状況がわからない!」


 それでいて状況はさらなる悪化の一途。一徹の言葉は、ルーリィには失言だった。


「ラチャニーの……親友?」


 凍り付いたルーリィ。その表情のまま、エメロードを見やった。


「もしやこの男は……先日エメロード様に謝罪を迫った、あの、いわくつきの?」


「え? あ、あの……」


「無理やり、口にしたくないことを曝け出すよう強要し、嗤った、あの下衆ゲスですか?」


「謝罪を迫った? 俺が? ちょっと待ってくれ。話が見えな……」


 出てくるセリフ、質問、回答の困ることばかり。

 飲み込めない話。仮面越しにエメロードを見てくる一徹の瞳に、さすがに苛立ちの色が見えたこと。ルーリィと一徹の間で板挟みになりかけた状況に、エメロードもオロオロとし始めた。


「そうですか。それならば丁度良かった」


 ……予想外の出来事。


「あ……かぁぁぁ! やっと、解放されたよ。いやぁいってぇ」


 ここでルーリィが、ポーンと後ろから一徹の両肩を両手で押すようにして、腕を開放し……


「仮面越しに行かせてもらう。歯ぁ、食いしばれ・・・・・・・・


「……は?」


 極められた肩をかばうように、もう一方の手で押さえた一徹。この上品な場に、似つかわしくない口ぶりに、振り返った瞬間……


「ゲブゥァッ!」


「……キツイな」


 ルーリィの掌底に張り倒された。

 ルーリィが思いきり後ろに引いたのは、自分の右肩だけではなかった。腰さえ捻って作った力のタメ。

 これが仮面越しの、一徹の顔面に一気に解放された。

 その苛烈さ、見ていたアーバンクルスが身震いするほど。


「っが、マジで! これ! 鼻折れるって!」


「良かった。まだしゃべる余裕があるのか。こちとらエメロード様が貴様から受けた屈辱話を聞いて、はらわたが煮えくり返っていた。この場から消えたいと願うまで、同じだけの屈辱をとくと味わってもらおうか」


「あ、あの、もう大丈夫ですから。その辺になさって……」


「御心配には及びませんよエメロード様。これ以上ここでは……ね。アーヴァイン、少しこの場を外すが、いいだろうか?」


 もはや状況は、エメロードでは止められないところまで来てしまっていた。


「ほどほどに。他の来場者に、『《ルアファ王国》は成敗が行き過ぎる』と思われたくない。あとは君と踊るとき、その掌があけに染まっていないと有難い」


 愛称で呼ばれたアーバンクルス。この状況に他の者が注目し始め、者によっては引いているのを一瞥し、困ったように笑っていた。


「どうだろう。私は、お淑やかさで通してきたわけではないから」


「……そこまでです」


 一徹への折檻が足りないと、手を伸ばしかけるルーリィ。

 声だ。大人の色気を感じさせる、艶やかな声をあげた者がいた。


「……貴女は?」


「その殿方の同伴という立場では、止める理由になりませんか?」


「パートナー? この男の?」


 珍しい恰好した女。背中がパックリ割れた、ワインレッド色のタイト型チューブトップドレス。

 色気をアピールするドレスのはずなのに、どういうわけだかドレスから露出する箇所、首から肩、腕、手の指先一本まで、スッポリと白くてピタッとしたインナーに包まれていた。


「例えばそちらの御仁。貴女の前で、もし辱めを受けたなら、貴女はどのようにお感じになるでしょうか?」


「アーバンクルスが?」


 自分に置き換えて考えてみろ。女はそう諭していた。

 静かに非難を口にしながら一徹の傍へと歩みより、やがて庇うようにルーリィと対峙する。


「この夜会は同盟検討国同士の重要人物が一堂に会する。ですが随分と《ルアファ王国》は、周囲の感情を考えず、猪突猛進に物事を進めてしまわれるご様子」


 暗なる皮肉まで見せた女に対し、ルーリィは納得いかないながら、何も返事することもできず。ついにあきらめたようにフッと体の力を抜いた。


「申し訳ありません。知らぬこととはいえ、無理が過ぎました」


 仮面の下からこぼれるルーリィの声は歯切れが悪い。


「お判りいただけて安心しました。それにしても良かった。ここが、パーティの会場で」

 

 謝罪を認め、フフッと笑った声が聞こえたのは、一徹を庇った女のもの。

 女はその言葉とともに、今度はゆっくりとルーリィへと歩み始めた。


「パーティ会場で良かった? 失礼ですがそれはどういう……」


「お答えさせていただきます。ここが会場でなければ……」


 とうとう、質問の意図をつかみかねるルーリィのところまでやってきた女は、ルーリィの耳元まで仮面を被った顔を近づける。


旦那様・・・に害を成した貴女は……すでに死んでいました」


「ッツ!」


 ささやかれたから、ルーリィは反射的に後ずさった。

 たったの一言。それだけでルーリィは、全身からブワァッと冷や汗を吹き出した。

 一瞬の出来事、誰も気付かない。しかし至近距離にいたルーリィだけはその感覚から逃れられなかった。

 絶対零度の殺気。

 仮面によって女の表情は知れない。

 だが空いた二つの穴からのぞく、向けられた者すべてを強張らせるだろう冷たい眼差しにルーリィは直感した。


「あ、貴女はっ!」


 隠れているのは間違いなく、殺しの経験がある者の殺気。

 人の命を奪うことに何の躊躇ちゅうちょもない。むしろ、どう殺してやろうかと思案していそうな、悦のかお

 女から感じられるのは心の余裕。それは一人ではなく、これまで何人も手にかけてきたことを分からせた。


「では、私たちはこれで。お互いパーティを心行くまで楽しみましょう?」


 装いは、摘まむスカートのないタイトドレスだから、ヘソのあたりに両手を重ね、女は少し両膝を曲げて会釈した。

 優雅なふるまいは、一徹の腕に、己の両腕を巻きつけるときも同様。


「ぬっぐぅ! や、柔らかいものが……当たって……」


 そうして女は、驚きに目を見張り、やがてだらしない顔になった一徹に優しく笑いかけ、その腕を引き、場を後にした。

 残されたのは予想だにしない殺気に晒され、戦慄したルーリィと、そんなルーリィの様子に状況がわからず、首を傾げたアーバンクルス。

 結局、女が来るまで、何ひとつできなかったエメロードは、呆然と立ち尽くしていた。

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