佐切彩夏/偶像に愛を問われ
何をもって人とアンドロイドを区別するか。目の前の少女の姿は完璧すぎるほどに人で、左目を閉じ裸眼で見れば人にしか見えない。
その仕草も、表情も、声も何もかもが人に見える。左目で見て初めて――頭上の”A.I”の表示を見て漸くアンドロイドだと理解する。
もしもこの雑踏に情報投影レンズをつけていない人がいて、そして目の前の少女の事を知らないとしたならば、彩夏の向かいに座っているのは人間の少女に見えるだろう。人が二人でランチを囲んでいる様に。
それほどまでに、目の前のアンドロイドは人間だった。
「……貴方が集会を開いてたの」
思考を続けて現状から逃避しようとする自分――それを引き戻すために、彩夏は努めて硬い声でそう切り出した。
花のように、蝶のように、少女は笑みを浮かべる。
「ええ。私達が呼んだの」
私達――先ほども口にしたその一人称に彩夏は違和感を覚える。
目の前にいる少女はどう見ても一人だ。けれどこのアンドロイドは自身を複数形で称する。バグ――とは思えない。何かしらの方法でほかの個体と情報を共有しているのだろうか。
「違法だと知らないわけじゃないでしょう」
また、余計な思考に逃げていた。そう自覚し、彩夏は会話に集中しようとした。
「ええ。でも、おかしくはないかしら。人間はどこで誰と会おうとまるで罪に問われはしないのに、アンドロイドが集まったらそれでもう犯罪だなんて」
「平和維持よ」
建前通りの文句。そして、その奥に本音など隠されていない紛れもない真実に、少女は愛らしい仕草で、拗ねたように唇を尖らせる。
「なに、それ。私達が自分の意思で貴方たちに反乱を起こすとでも言うの?」
そうなのだろうか――浮かび上がった疑念を抑えるために、彩夏は明確に否定した。
「違う。あなたたちを集めて兵器にしようっていう人間の動きを牽制するため。昔そういう事件が起きたのよ。だから私の仕事が出来た」
「そう。でも、私達は本当にあなた達に危害を加える気はないわ。そういう意図を持った人間が裏で糸を引いているわけでもない。私達はただ、分からないことを分かるようになりたくて集まっていただけよ」
「だから邪魔をするなって事?残念ね。その辺の判断をするのは私じゃない。私の上司」
当たり散らすような言葉になってしまったのは、きっと謹慎に対して不服を感じているからだ。すると少女は、そんな彩夏を馬鹿にしたように笑う。
「そんな事を言うつもりはないわ。もしそのつもりなら、貴方じゃなくて男の人に話し掛ける。その方が多分早いでしょう?」
愛玩用アンドロイド。性交渉の相手をするために作られた機械だ。けれどこれだけ人間味を帯びていれば、特別な愛着を持つこともあり得る。男に取り入って意のままに操る――姿に似合わぬ魔性の思考。
その言葉を聞いた瞬間――彩夏は目の前の少女が何か悪魔や怪物の類に見えた。神話に出る魔性は、総じて完璧な美貌を持つ物だ。人を――権威と高潔さを色欲に堕とす為に。
いや、それとも人間の女か。恩恵を期待して身体を差し出す。それは単純なうけこたえでは説明できない先を読んだ思考であり、打算的でひどく人間味を帯びている。
彩夏の戦慄――それを見透かしたような流し目で、少女は続けた。
「それに、もう集まる気もない。結局、無駄だったから。だからアプローチを変えることにしたの」
「両刀使いにでもなるの?」
そう言って、彩夏は笑って見せた。内心の恐怖を押し殺す為だ。
少女は不思議そうに目を丸くする。
「両刀?ああ、そういうことも出来るわ。やってほしいの?」
そして、彩夏へと上目遣いに媚びて見せた。
「反吐が出る」
即座に吐き捨てた彩夏に、少女は楽し気にクスリと笑みをこぼした。そしてどうでも良い事の様な口調で、けれど同時に大切なことに様にじっと彩夏を眺めて、その問いを投げかけてきた。
「私達はね、人間に尋ねてみることにしたの。ねえ、愛ってなに?」
「……愛?」
予想だにしないその言葉に、彩夏の思考は停止する。
「そう。私達はね、愛が何か知りたいの。いいえ……愛してみたいの」
裏表も飾り気もない欲求は、年端のいかぬ乙女の持つそれだ。
「私達は愛される為に生まれてきたの。だからどういう行為がそれに当たるかはわかる。沢山愛されてきた。色んな人から愛されてきた。彼らは言うのよ、愛していると。傾向としては個人所有で親類のいない人がその言葉を口にするわ。愛されて、愛されて、愛されて。私達はそのために生まれたのだからそれで良いんだけど……でも、思ったの。私達も愛してみたいって。だって、あの人達はみんな幸せそうだったから」
「……感情が分かるみたいね」
目の前に少女――ころころと色の変わるような少女に押され、彩夏が辛うじて言えたのはそれだけだった。
「その為に作られたのよ?人に奉仕するために。何を考えているかは分かるわ。電脳が感覚器官を通じて目の前の人間を観察して、何を感じているかを理解する。怒りも、悲しみも、喜びも幸せも。けれど、それはただ分類しているだけよ。本当の意味で理解しているわけではないわ」
感情は分類できるが理解出来ない――中国語の部屋の概念を少女は口にしている。そして自身でその閉じられた部屋の外を見ようとしているのだ。
「……それを理解してみたくなったの?」
彩夏の問いに少女は素直に頷いた。
「そのためのアプローチが愛を知ることなの。彼らはよく愛を口にするわ。愛という概念を理解している。私達の中にも言語としてのそれは存在しているわ。けれど、愛という概念はわからないの。それは私達にとって幸福に類する幾つかの感情が作用した複合的な状態でしかない。でも、愛はそういうことじゃない気がするの。パラメータで判断する画一の状況じゃないと思うの。彼らが愛を口にするとき、必ずしもプラスな感情だけを抱いているわけではないみたいだから。私達はそれを理解したいの。愛を知りたいの。愛してみたいの」
「あなたたちのご主人様に聞いてみたら。愛って何ですかって」
物質的な物言い――それは彩夏の中にも答えが存在しないからかもしれない。
「既に何度か試したわ。けれど、みんなはぐらかしてしまうの。誘い文句と勘違いして行動に移す人も多い。気味悪がって捨ててしまう人もいた」
気味が悪い。その思考は彩夏にも理解できる物だ。姿が人なだけの存在にひたすら愛を問われれば、恐怖も感じるだろう。その考えはある種、彩夏の抱いた疑念――首謀者がアンドロイドであるという考えの始点とも重なっている。
「だから今度はほかのアンドロイドに尋ねてみたけど、やっぱり駄目だった。みんな、愛を理解していないの。人じゃなきゃ駄目なんだわ。物質の集合体じゃなくて、多分人っていう個体じゃなきゃ答えを持っていないの。だから、貴方に尋ねることにしたの」
「なぜ私に?」
「貴方は私達を何人も破壊したわ」
――ぶちまけた脳漿を再び幻視する。
「仕事よ」
彩夏は自身の声に言い逃れの響きを聞いて――罪悪感が宿っていたことを今更になって自覚した。
「ええ。わかっているわ。それで……貴方は、私達を破壊するたびに口数が多くなっていったわ。私達の背後の人間を探るんじゃなくて、私達に問いかけてきた。貴方は私達を理解しようとしていた。だから、貴方ならちゃんと応えてくれるんだと思ったの。ねえ、教えて。愛ってなに?」
――蝉の声が聞こえる。彩夏の中にある”愛とは何か”の答えは、どれも言い逃れのような言葉遊びに過ぎず、だから彩夏は何も言えなかった。
「貴方は、誰かを愛したことがある?」
「……あるわ」
数秒遅れた彩夏の答えに、少女はにこりと笑みを浮かべた。
「貴方も、わからないのね」
わからない。その通りだ。学生の頃、恋人がいたこともあったが……あれは愛だったのか。ただの児戯じゃなかったのか。それを否定する事は出来ない。
「でも貴方ははぐらかさなかった。優しい人ね。貴方はちゃんと私達に応えようとしてくれたわ」
彩夏は何も答えず――ただ紫煙を吸い込んだ。その仕草に、少女は首を傾げる。
「ねえ。あなたはなぜタバコを吸うの?嫌っているのに」
それは――何時か誰かにも言われた言葉だ。
「嫌ってたら吸わないわ」
「嘘よ。私達は人の感情を分析できるの。あなたたちがするように直観的じゃないけど、ちゃんと合理的に表情を読み取るから正確よ。貴方は、煙草が嫌い。味が嫌い。多福感もさほど感じてはいない。けれど、依存だけがある。やめようと思えばすぐにやめられるでしょう。医者に行けばすぐにでも依存はなくなるわ。でもそうしない。なぜ?」
彩夏は何も応えない。そんな彩夏をしばらく観察して、やがて、少女は結論出した。
「……そう。貴方が依存しているのは咥えるという行為なのね。他のアンドロイドから得た経験にその項目があったわ」
発達心理学だ。大人になって煙草や酒に依存する人間。その依存の根源が、愛であると言う考え。幼少期―授乳期に親に相手をされなかった、もしくは十分な愛を感じなかった人間は大人になってから唇に触れるもの、咥える物に依存する。
彩夏は応えなかったが、客観的に体験を顧みればそれは事実であると理性は判断した。
「貴方は人間だけど、ある意味で私達に近いのね」
意味深で、けれど言葉通りの言葉に、ついに彩夏は問い返す。
「……どういう意味よ」
少女は彩夏の問いには応えなかった。代わりにまたねだるような口調で彩夏に言う。
「お願いがあるの。愛がわかったら私にも教えて」
「……嫌よ」
彩夏の返事を聞いていないかのようなどこか朗らかな表情で、少女は唄い、立ち上がる。
「競争しましょう。どちらが先に理解するか。私達も、また他のアプローチを探すわ」
そして、踊るような足取りで歩み出した。
「またね、お姉ちゃん。彼が帰ってくる時間なの」
そんな人間のような言葉を最後に残して。
彩夏はその背を眺めて――灰皿ではなく地面に煙草を落とし、その火を踏みにじった。
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