第3話 現実逃避先


 「コナン・ドイルと江戸川乱歩。推理小説が好きなの?」

 質問は唐突だった。さっき落とした本の著者名だ。思わぬ問いにびっくりしつつも、私はうなずいた。

 「じゃあ『失われた世界』はみた?」

 ドイルが書いた冒険小説だ。昔からある児童書のレーベルで文庫化されている。

 「うん、読んだことあるよ。面白かった」

 「だよね!あれほんと面白い。じゃあさじゃあさ、『宝島』とかエルジェの『タンタン』とか、『海底2万マイル』『はてしないものがたり』は!?」

 「読んだ!『タンタン』は絵もあって読みやすいよね!っていうか『はてしない物語』ってけっこう分厚くない?読んだの?」

 「もっちろん!うわあ、話が合う人見つけられてうれしい」

 確かに、学校で話すことは大体のパターンに分かれる。TV番組や動画、今流行っているものの話、それからコイバナや部活の愚痴なんかが主な話題だ。そこに本の話は含まれない。

 こんなにぽんぽん知っている作品が飛び交う話は初めてだ。

「私も、本の話ができるの、うれしい」

 一口に本が好きといっても、同じ傾向のものが好きとは限らない。本のジャンルは広大だ。恋愛小説とハードボイルド物だったら方向性は違う。さらにいえば、同じジャンル、例えば児童文学でも、日本のハッピーエンドで平和なものと、海外のえぐいものなんかがあったりする。守備範囲が違うことはざらだ。こればかりは避けて通れない。

 だからこそ、こんなふうに同じような本好きを見つけたときは我を忘れてしまいがちだ。

 「あ、羽瀬川さんの番だ」

 佐井くんは、慣れた手つきで本をカウンターへ積み上げていった。私が手を出すまでもなく作業を終えてしまう。動作には一切の無駄がない。堂々としているし、何度か借りたことがあるのかもしれない。そのそばからぴっ、ぴっと軽快な音をたて、本に張り付けられたバーコードが読み込まれていった。私の横には佐井くんがいたけれど、もうすぐ本の話をできる人は行ってしまう。 

 束の間だけれど楽しかった。だから、悲しみは早くきてほしい。そうしたら、傷は浅くて済むから。

 あっという間に貸出処理は終わった。

 私は本を借り物のかばんに詰め込んで、今日の天使に向き直る。

 「かばん、貸してくれてありがとう。明日返すね」

 佐井くんはきょとんとした顔をしている。

 「え、羽瀬川さん、来月もここくるよね?」

 「うん、その、つもりだけど……?」

 首をかしげながら言うと、隣の人はにっこりと笑いかけてくる。

 「じゃあそのときでいいよ。また来月!」

 反論ができそうな雰囲気ではない。押し問答をして気を悪くさせるのも嫌だ。

 「……わかった、また、来月…………………?」

 「それじゃあ、気を付けて!」

 さわやかに挨拶して、佐井くんは自分の家のほうへ駆けて行った。

 なにも言えないまま、私はそれを見送った。話をまとめられたけど、不思議と嫌な感じはしなかった。

 本が好きな仲間を見つけたというのと、秘密を知ったような気持ち。

 助けてくれた安心感。それに、もしかしたら来月も話ができるかも、という期待があったのかもしれない。

 私はそれらを携えて帰る。気分的にはおいしいお菓子を食べ終わったあとみたいな感覚が一番近い。

 その余韻が続いている途中、部活に入っていない人たちのグループの姿が見えた。

 冷たいものを飲み込んだ感覚になり、慌てて脇道に入った。飛び込んだ道は私有地で、集合住宅の敷地内につながっている。私は足早に自転車駐輪場に自転車を止め、風景に混ざる努力をする。もし見つかったらからかわれるかもしれない。     

 だから見つかりたくない、怖い。息を殺して、こっちに来るなと念じている。

 願いが通じたのか、グループは大声で何かを話しながら大きい道を歩いて行った。

 溶け込めたことに心からほっとする。私は自転車のスタンドを跳ね上げて、前かごに乗ったかばんを見た。

 私と佐井くんはキャラが違う。私は贔屓目に見ても暗くて地味で、口下手だ。あちらはどれだけ悪く言っても優しくて明るい人だ。だったら、私が佐井くんに話しかけに行ったり、逆のことがあったら、クラスのみんなはびっくりするだろう。ないことないこと言われそうな気がする。

だから佐井くんは来月でいいと言ったのだろうか。

 私なんかと会いたくないから。話したくないから。今日もただ、「普通にやさしく」接してくれただけ、だとか。

 だとしたらなんだかバカみたいで、なんだか、わからない。

 重い荷物を持って、四階建てのマンションの階段を上る。鍵を開けて、誰もいない部屋に入っていく。頬をなにかが伝う。

 部屋の隅っこに陣取って、私は一冊の本を手に取る。貪るように手に取って、ページを繰っていって、書かれた世界にダイブする。


 私はそうやって、現実から逃げる。

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