このお話が更新されてから、いまは約7年後。昭和から平成の終わり程では無いにせよ、時を経てまた新たな読者に想いは紡がれる。
コンセプトや思いを物語として伝えることの技巧があり、その末には、金魚風鈴の風情色彩に怪異を重ねて絹織物のように仕上がる、想いの丈。
長い長い年月には、どのような情愛が在ったのだろう。耐えたのか、忍んだのか、揺らいだことはあったのだろうか、その辛苦の果て。
死地をくぐる男の、何にも替え難い一途を想像する。
ひとりの女が持つ強さも弱さも想像する。
敢えて多くは語られていないその行間に、信じて待ち続けた長い長い年月に、形態の変容を踏破し得た純愛の結晶化に。お叱りを承知で言語化するとしたら永井荷風の墨東綺譚に似て対なる機微を垣間見たかのように感じ、無粋にも素直にこう書かずには居られない。
純愛とは、こうでなくては。
自分もこうありたいし、相手にもこうあってほしい。
7年前の作者様もそう思って認(したた)めていたのでは? と。
答えはNOなのかもしれない。しかし、この一生涯とも言える恋情に肯定的な向き合い方をするところ、最新の連載では凄惨窮まる展開を連発する作者様も人の心を持っていたのだなぁと感慨深い。