女狐は揃ったヒールを響かせる
ーーー誰かに愛して欲しかった。
一人でいるのは、寂しくて。
誰かが居ないと冷たくて
孤独の夜は暗くて。
誰でもいいから、私を……
あたしは、そんな哀れな女の暗い感情から生まれた。惨めで鬱陶しくて、じめじめとした感情。影として在るしか出来ない、黒い霧の体。
どうせあたしも、あの女のように醜く消えるんだろう。運よく異界から此方側に来れたけれど、力もない…もうじき消えるのだろう。心は満たされないまま、ぼんやりと地面に寝転んでいた。
あたしはただ霧に還るのを待つ為に目を閉じていた……
そんな時だ。
『……消えかけか。貴様、それでいいのか?』
雷に打たれたかのような鋭い声が響いた。恐る恐る目を開けると、神様のように綺麗な人が、あたしを見下ろしていた。
『気に入らぬ。もう少し足掻いてみせよ』
その神様は何を思ったのか、あたしを救ってくれた。
只の気まぐれだったのかもしれない。でも、あたしにとっては唯一の拠り所になった。
神様…いえ、白檀様の言い付けは絶対だ。
だから、あのひめさまの事は内心気に入らないけれど、白檀様が欲しいと言うなら協力するの。
けれど、いつかは……その心の中の欠片でもいいから、あたしを見て愛して欲しい。
そう願うのは、あたしのエゴなのかしら。
******
「……雷鳴の章、第7項」
ばりばりばりばりっ!
影の体の狐達は、雷に撃ち抜かれたと思えば、「ぎゃん!」と鳴き声を上げてその場に倒れていった。
影色の狐達は、その場で霧散して消えていく。
「…加減しなさいよ」
「大丈夫だって」
と言ったそばから、魔女はくしゃみをしていた。……病み上がりのくせに調子に乗っているからよ。と夏実はひっそりと呆れていた。
「さあて、この靴の持ち主の元に行かなくちゃね」
「さしずめうちらは、姫を求める王子ってところ?」
「もしくは、ヒロインになりたくて足を削るシンデレラのお姉さんってところかな」
また例えがあれな方向へ言ってるわ。と夏実が思っていると、ハイネは手に持っていた赤い靴をちらりと見た。
「ま、問題は…ヒロインは靴の持ち主でもわたしらでもないってことだけどね」
何て不毛なんだろね。
そう呟いた魔女の表情は、まるで人形のように無機質なものだった。
影や魔物達をそこそこ倒し、程なくして彼女達は3ー3の教室についた。
夏実は迷いなく教室の扉を開く。
するとそこには、黒髪の少女がぐったりと気を失ったまま、狐の耳を生やした少女に襲われている姿……だった。
「……証誠寺さん、と…」
誰?といいたそうな夏実に対して、ハイネは合点がいったように「ああ」と呟いた。
『ふうん。貴女たち馬鹿ね。逃げれば良かったのに』
「君、あの時の…伽羅か」
黒髪に真っ黒い目をした少女…伽羅は、
ぎらぎらと二人を睨み付けた。その頭には狐の耳が生えている、恐らく魔物が人の形を取っているのだろう。
彼女は赤い靴に目を留めると、可笑しそうに嗤った。
『あはっ!その靴持ってきたんだ!この女の情念がべったりついてるやつ!』
「よくいうわ。こっちは招待状を持ってきてやったってのに」
「返すだけマシだと思って欲しいくらいだよ」
ハイネは銀の杖を振ると、赤い靴を移動させ、静かに伽羅の側に置いた。
それに伽羅は、目を輝かせて赤い靴を手にする。
『えー、返してくれていいのー?』
「いいも何も、赤い靴は趣味じゃないしね」
『あ、そう。…趣味悪っ』
伽羅は不快そうに、べっ!と舌を出している。
人にはいろんな趣味があるのよ、とか言うつもりはなかった。悠長に話をしている場合ではなかったから。伽羅は赤い靴を手にすると、それを意識の無い女子生徒の手に持たせた。
『この女、すっごい負の感情を持っててさ、お陰であたしも…こーんな立派な魔物になれたのよ!』
みてよみて!
と彼女は無邪気に笑いながら影色に溶けていくと、女子生徒の体を飲み込んでいった。
……一人と一匹の獣は、獣の姿と人の女性の体を歪にくっ付けたような姿へと変貌していった。
「……なるほど。彼女を暴走させていたのは君だったのか」
歪な彼女の脚は、赤く光るハイヒールで飾り立てられていた。それが彼女達の思う、憧れの象徴とでもいうかのように。
『……彼はね、私達の理想なの。誰のものであってはいけないのよ!』
異形の怪物が吼える。
…証誠寺という少女の心の内の叫びが、伽羅の影によって解放されていた。
『だから彼に近付く害虫は追い払わなければいけないのよ!それなのに、あいつはただのご近所の分際で彼の近くに入り込んだ。笑いかけられていたわ!
どうして、どうしてよ!』
その少女の悲痛なさけびを、夏実はどこか心を遠くに聞いていた。
その一方的な思いの一方で、彼女はそれを間違った方向にぶつけていたから。
『私の方が彼の事を思っているのに!
私の方が彼を大切にしているのに!
私が一番愛されるべきなのに!』
彼女は狂ったように心の内の思いを叫び続けていた。
これは、思ったよりも過激な厄介ファンだ、と夏実は頭を押さえた。
『…あらあら。また胸糞悪いモノに当たりましたね』
可笑しすぎて、反吐が出ますね、と。
涼やかな声音とは正反対な言い種と共に、灰色の猫の姿の精霊がハイネの肩に乗っかった。
「ユニ、久しぶりだね」
『ええ。主の感情につられて来てしまいました』
まんまるな目を半眼にさせて息をつく猫の姿に、夏実はまさかと思いハイネの顔を見る。
「………」
……彼女は思った通りの、無表情だった。
なまじ顔の作りが整っていて人形じみているせいか、迫力が違う。
感情を消した白髪の魔女は一方通行の叫びを続ける異形の怪物に向けて、淡々と口を開いた。
「……あのさ、君?」
『何よ、私の愛の…』
「君は愛なんていうけれど、私から言わせればそれは呪いなんだよ」
ハイネは、のっけから彼女の台詞をばっさり斬っていく。……また始まったと夏実は思った。
彼女は昔からそうだった。他人の恋愛に口を挟むことはないし、どちらかと言えば他人の幸せの手助けをするような性質だが、本来の彼女は恋愛否定論者だ。
特に自分に対する感情には冷めている。故に、妬みや僻みに対する煽りがキツイ。
「笑わせるね。一方的な気持ちだけで突っ走って、他人を憎んでいるなんて訳がわからないよ。しかも愛しの彼には君の存在を知らないときた。傑作じゃないかね?」
夏実は嘆息をしつつ、どっちが悪役なんだか、と思っていた。
相手の方を見ると体を震わせており、表情は暗くてよく見えなかった。
『……彼は、みんなの彼なの。それなのにあいつは』
「みんなの彼って、どういう意味なんだね?」
ハイネの表情は変わらない。にこりともせずにシンプルに真顔で詰めていた。
ただの棒でフルスイングしてるようなものなのに、相手は彼女の人形じみた迫力に圧されて黙ってしまった。
「いつ、あいつが人じゃなくなったんだ。それは君たちが決めた定義であって、あいつには関係ないだろうよ。君たちは、それを奴に求める権利はあるかね?
ないだろうさ、君たちは至極傲慢な理由であいつを偶像に仕立て上げただけなんだからね?」
確かに、千草の事を勝手に学園の有名人にしたのは生徒だけど、ファンクラブを作ったのは彼女だ。
詰めていくハイネに、いつもの明るさは微塵もない。老成した隠者のように淡々と話し続けている。
「あいつの行動に君たちがケチつける道理はないのさ。
ただ指をくわえて見つめるだけの、一方通行な愛を叫ぶだけの君たちにはね」
『……る、さい』
全てをぶったぎるハイネの言葉をじっと聞いていた彼女は、震えながらも低く吠えた。
「ん?」
『…うるさい煩い五月蝿い!部外者が口を挟むな!』
「……へぇ。君、狐のままの方がマトモだったのにね」
異形の怪物が、怒りの形相でこちらを睨み付ける様を認識すると、ハイネは楽しそうに微笑んだ。
相変わらず腹のそこが捻れてる、と夏実は呆れるしかない。
「あーあー。どうしてくれんのよハイネ。あんたのせいよ」
「んー、予想以上にヤル気満々になっちゃったなぁ」
どーしよっかなあ、と言いながら相手の様子を見ている。
そう言うところを見ると、こいつが魔女と呼ばれてるのも間違いないかもしれない、と夏実は思った。
「なっちゃん。悪いけど」
「…断る訳ないでしょ。何のための部長だと思ってるの」
さすがなっちゃんだね、と笑う相方とは反対に、夏実は冷静な顔をして腰のホルスターから拳銃を手にした。
「ほんとはハイネがずけずけ言ってるし、黙ってようかと思ったんだけどさ」
睨み付ける彼女を相手に、拳銃を構えてすぐに銃弾を一発プレゼントする。リップサービスだ。
すると相手はぎょっとして怯んでいた。
『……ひっ?!』
「だからって、遠慮するのも良くないでしょう。あんな素敵な招待状もくれた事だしね」
狙いはそう、赤く光るハイヒールの足元。ぱんっ!と引き金を引くと、銃弾は赤く光るヒールの横をかすっていった。
『それは……!あああっ!』
傷がついたことで取り乱したのか、大声で叫ぶ彼女。夏実達は思わず頭を押さえると、異形の魔物の叫びに呼応して、周りに炎の玉が生まれていた。
彼女は叫び声を上げると、火の玉をこちらへと飛ばしてきた。
「なっちゃん!伏せて!」
火の玉に即座に反応したのはハイネ。
魔道書を片手に持つと素早く夏実の方へ杖を構える。
『風花の章、第3項…渦巻く風!』
ひゅうっと閉じられた空間に風の音が鳴った。それは風の渦となり、彼女達の回りに集まると、攻撃を阻む風の壁となった。風の渦は飛んでくる火の玉の勢いを尽く消していった。
荒く息を吐いている彼女は、消された火の玉と風の渦を見て悔しげに睨みつけてきた。
『あんた達なんか…!部外者のクセにぃ……!!』
怨み言を吐き出すと、異形の魔物は更に新しく火の玉を生み出して今度はハイネの方へと飛ばす。
すると、今まで静観を決め込んでいた猫は魔女の肩から降りて、たん、と怪物の方へと跳んだ。
彼女は『莫迦の一つ覚えも甚だしい』と悪態をついてから、深淵の様な紫色の真ん丸の瞳に光を宿して、フッと笑う。
『…光よ、潰せ!』
ユニは自分の尻尾を払うように振ると、風の刃に乗せて光を飛ばした。
飛んでくる火の玉は彼女の放った光に握り潰されていった。
『……ひっ!あんた……!』
それに恐れをなしたのか。異形の怪物は、素早い動きで教室内を飛び回りながら火の玉を飛ばしてくる。
その玉を瞬時に光の圧力でつぶしながら、ユニは半眼を作りふう、と息をついた。
『まるで、駄々っ子のようではないですか…』
「焚き付けたのはハイネだけどね」
「…火の玉を対処するのは簡単だけど、どうやって動きを止める?」
「あたしがやる」
下がって、とハイネに言うと、夏実はピアスの石に手を翳して、金色の綺麗な装飾を施された懐中時計を取り出した。
蓋をひらけば、規則正しい音を刻んでいる。
それを持って、夏実は静かに唱える。
「……巡る時よ、私達を置いて〈停滞〉せよ」
懐中時計から光の粒がこぼれる。
それは周りを包む膜のように広がり…夏実とハイネ達を除く周りが動きを止めた。
魔物も物も全てがスローモーションになっていた。
夏実の使う〈時操り〉の力の一つ、周りの時の流れを遅くしただけだ。
なので、周りには夏実達がとても早く動いているように見える。
「…あ、使うんだ」
「確実に仕留めるためよ」
勿体無い、とでも言いたそうなハイネを横目にして、つかつかと歩いて怪物の側に行く。
それから、異形の怪物の足に拳銃を突きつけた。綺麗な赤いハイヒールを履いている様は、何処か背伸びをしているようにも見えた。
彼女は引き金を引くと、再び時計を手にすると、
「時よ巡れ、再び〈循環〉せよ」
時の流れを戻す呪文を唱える。するとどうだろう。
異形の怪物は、ほぼゼロ距離からの夏実の放った銃弾に足を撃ち抜かれて、訳も解らずのたうち回っていた。
『……!あああっ』
「その靴、あんたにはまだ早かったわね」
『……違う、私は…!』
「馬鹿じゃないの。努力もしないで魔法の靴を履いただけじゃ、幸せな話になるわけないじゃん」
夏実は彼女に拳銃を向けたまま、連続で引き金を引いた。玉が当たった箇所のあちこちで黒い霧が吹き出している。
一見、綺麗で人に好かれやすい人も只ちやほやされているわけではない。
そのための努力と気配りをしているから人に好かれるのだ。それもしないで僻むだけの人に、彼女達の努力に対してあれこれ言う筋合いはないのだ。
少なくとも、夏実はそう思う。
憧れの靴に足を乗せるには、それに見合う努力と覚悟を。
そうでなければ、強すぎる魔法の靴に踊らされるのが見えている。
……狂気の異形と化した、あの子の様に。
怪物から霧が出尽くしたかと思えば、霧は霧散し、異形の怪物は二人の少女の姿に戻っていた。
女子生徒の方は相変わらず気を失っているが、狐耳を持つ魔物の伽羅は脚を押さえてうずくまっている。彼女の体のあちこちから影の霧が吹き出しており、ぼろぼろになっていた。
その脚には、ハイヒールを履いたまま。
「…履きたいのは、あんたの方だったのか」
『違うわ、……消えないで…』
夏実はブレザーのポケットから、掌大の白みがかった石を取り出した。
これは影の作る霧を分解し、そこに宿る思いを浄化出来る力が込められた石だ。
対処の難しい魔物が出た時の、いわゆるとっておきの様なもの。
「その負の感情は異界に還すには重すぎる、浄化するわ」
『いや……やめて。白檀さま……!』
「…あんたは少し暴れ過ぎた、黄昏へ還れ!」
白い石を指先でキンと鳴らして、伽羅の方へと向ける。
石は自ら白く光を発し、黒い霧に触れるとみるみるうちに光る粒子に代わり、空へと昇っていく。
『……びゃく、…さ…』
それは、伽羅の体にも変化をもたらした。黒い霧が消えていくと同時に、彼女の霧で作られた体も靄の様に揺らぎ……
幻のように、掻き消えていく。
そして、異界化が解ける。
3ー3の教室には、ぐったりしたまま気絶をしている証誠寺という少女と、夏実達が残された。
それから、赤い靴も残されていた。
夏実はそれを、じっと見る。
……やはり、赤は好きになれない。皮肉にも赤の石のついたピアスを触りながら彼女は息を吐き出した。
一方、ハイネは意識の無い彼女の様子を見ている。
「……証誠寺さんからは色々と聞きたいこと、沢山あるんだけど」
これじゃ、聞けないか。と
ハイネは頬を掻きながら呟いた。
「あの様子、深度も相当だったし…病院で診てもらった方がいいかもね」
「あの魔物の影響があるかもだし…」
さて、喜多ちゃんに連絡を……とスマホを手にした夏実はえ?と声を上げた。
後輩から何件も着信履歴が入っていた。
「どうかしたの?」
「いや、相楽達から着信が……何?」
待った。とハイネが何かに気付いて息を飲む。それから夏実に窓の外を見るように促した。
「なっちゃん。あれ見て」
窓辺から見える町並みは、いつもの夜の風景ではなく…霧がかった極彩色の空へと様変わりをしていた。
夏実は、ぎょっとして瞬きを繰り返した。
「…これは…なに?」
「異界化が解けてない…?」
いや、違う。
これは…
『……否、この現実の世界は、異界に侵食をされています』
ぴり、と稲光を発した小さなメイド服の小人が、固い声音で二人へと告げた。
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