第27話 頭の病院

「お前、明日午前中は講義なかったよな」

 ほろ酔い加減で二人がいい気持ちになった頃、突然、泰造が八雲に向かって言った。

「ああ」

「よしっ」

「何がよしっ、なんだよ」

 八雲は訳が分からず泰造を見た。

「静香の知り合いにいい医者がいるらしいんだ」

「なんで医者なんだよ」

 八雲はますます訳が分からなかった。

「あいつ、医者の家系だろ」

 静香は、祖父が医者で親戚にも医者が多かった。

「ああ」

「俺も一緒に行ってやるから、なっ」

「ああ?」

 突然、何を言い出すのかと、八雲は泰造を見る。

「今の時代、頭の医者に行ったって全然恥ずかしいことじゃない」

 泰造は子どもを諭すように穏やかに言った。

「頭の医者?」

「そうだ」

 真剣な顔で八雲の顔を泰造は覗くように見てくる。

「お前、俺の言ったこと全然信じてねぇな」

「信じてる信じてる。だから、なっ、とりあえずなっ」

 すると、泰造は体を八雲の方に伸ばすと、八雲の額に手を当てた。そして、今度は自分の額に手を当てた。

「熱はないみたいだな」

 そう言った後、八雲の目と顔を深く観察するみたいに見つめた。

「顔色も問題なしか」

「やっぱり、全然信じてねえじゃねぇか」

 八雲は怒る。

「とりあえず、まあ、行くだけ、なっ」

「何がとりあえずだ。俺はまともだ」

「本当にイカレた奴はみんなそう言うんだ」

 泰造は尚も子どもをなだめるみたいに八雲を説得する。

「すぐ泣くのは鬱病の特徴だ。俺は今日図書館でその手の本を読んだんだ」

「ち、ちが・・」

 八雲はさっき泣いたことを、いや、感動したことを真剣に後悔した。

「だから、なっ」

「俺はもともだ」

 八雲は強い口調で言った。

「感情が高ぶりやすいのも、精神が乱れてるからだ」

「お、お前が高ぶらせてるんだろ」

「まあ、とりあえず、一度診てもらえ」

「俺はもともだ。怒るぞ」

「まあいい。とりあえず今日は寝よう。夜更かしは神経に悪いからな」

「お前なぁ」

 泰造はまったく人の話を聞かない。そして、泰造は押入れから布団を二組引っ張り出すと、それを敷いた。

「こういうこともあろうかと、俺の母ちゃんが二組持たせてくれたんだ。ありがたいな。親っていうのは」

 泰造は一人しみじみと言った。

「お、俺は・・」

「まあまあ、続きは明日だ」

 そのまま泰造のペースに巻き込まれ、八雲が布団に入ると、部屋の明かりが消され、暗闇と田舎の静けさが部屋を一瞬で覆ってしまった。


「・・・」

 布団に入り、真っ暗な天井を眺めながら、八雲は今日見た純の横顔を思い出していた。泰造は隣りであっという間にすやすやと寝息を立てている。

「どうなってるんだ・・」

 八雲にはまったく訳が分からなかった。あれは完全に八雲を知らない顔だった。

 そして今度は鉄子山でのあの凄まじいエネルギーに包まれた純の姿が浮かんだ。あの時の純と今日大学で見た純がまったく同じ人間として八雲の頭の中で繋がらなかった。

「俺は本当におかしくなってしまったのか・・」

 泰造に感化されたのか、八雲はふと不安になり、真剣にそんなことを考えてしまっていた。

 それでもいつしか昨日の疲れで八雲は深い眠りへと入っていった。


「うううぅう」

 八雲はうなされていた。

 八雲は暗い、真っ暗な、光の粒子のまったく存在しない完全な暗黒の中で漂っていた。その中での八雲は、何か形のない人間の概念を超越した、ふわふわとした流れるような存在だった。そして自分が何かその場でのあってはならない、とても害悪な存在であると感じた。

「おい、おい」

 体が揺さぶられ、急に声がして八雲が目を覚ますと、目の前にバカでかい泰造の顔があった。

「どうしたんだよ。そんなにうなされて」

「えっ」

 泰造にそう言われ、はたと気づくと八雲はびっしょりと寝汗を全身にかいていた。

「・・・」

 八雲は呆然と布団の上に状態を起こした。

 その時、八雲は一人、いつかの言葉を思い出した。

「もしかしたら、あなたは悪魔かもしれない」

「・・・」

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