夕方。東海と伊央がやって来たのは、まずは最寄りの駅前。

 改札前の陽があたらない場所。

 人を待つには奥まったそこは、東海のための配置だ。

「ここで待ち合わせして、そっから行くんだ。」

「初対面なんだっけ。」

「うん。第二空間で昨日会って。」

 それで何の疑いもなく来ちゃうんだからすごいよな。

 生前、人付き合いはよくなかったし、あまり第二空間を利用した記憶がなかったから感覚が違うのを実感する。

「ね。トーノさんってどんな学生だったの。」

 話題に困ったのだろうか。伊央が訊いてくる。

 ぼくは苦笑いを返した。

「今とほとんど変わらないよ。」

「幽霊みたいってこと?」

「……そうかもね。」

 そこにいてもいなくても周りの人から見れば変わらない。

 確かに、今と同じだ。

「トーノさんって友達いなさそうだもんね。」

 おい。

 黙ってにらむとふふ、と声をあげて伊央が笑う。

 その隣で東海はぼうっとしている。

 魂が抜け落ちたように虚空を見る彼。

 実際にまわりにいたわけではないから詳しくはわからないが、鬱病の患者ってこんな感じなんじゃないかな。

 無気力。おそらく笑うことすらできないくらい疲れ切ってる。

「――大丈夫か?」

 ぼくは東海の前で手を振る。

 は、と東海が目を上げる。

「――。うん。」

 あまり元気ではない返事。

 ぼくはその返事に「そうか。」と返す。

 反応があればそれでいいだろう。

 そのとき、足音が近づいてきた。

「――あの。ベルさん?」

「あ、夕ちゃん、こっちこっち。」

 かつかつ鳴るローファーの足音と共に歩いてきたのは、どこか見たことのあるシルエット。

 ぼくとは決して合わない、目線。

「お待たせしちゃった……今日はよろしくね。」

 聞き慣れた声。

 紛れもない。そこにいたのはアカネだった。

 アカネが失踪する前、第二空間で会っていたのは伊央だったのか。

 電車に乗って移動する三人は、どこからどう見ても仲のいい学生グループで。

 それが逆に、気持ち悪い。

 ぼくがムズムズしていると、ちょっと待ってねと伊央が情端を取り出す。

 電話をかけるふりをしているが――目線はぼくに合わせている。

 ぼくが周りからは見えないことを知っての配慮だろう。

「どうしたの?」

「……知らない人とよく仲良く喋れるなと思ってさ。」

「あはは。やっぱコミュ障なんですね。」

 なんでだろう。ていねいな口調が逆に癪に障る。

「確かに、友達なんて二人ぐらいしかいなかったよぼくには。」

「まだいいですよ。私なんて一人だけなんだから。」

 ちらり、と東海のほうを見る伊央。

 そうだろうか。

 少なくとも伊央は、学校では他の子とも喋っていたじゃないか。

 むしろ孤独なのは。

 ぼくもちらり、と東海を見る。

 一見元気そうにアカネと話しているけれど。

 から元気、なのだろうか。

 ぼくにとっては見慣れた倉庫街。見慣れた倉庫に案内されたアカネはきゅっと鞄を持つ手に力を込めていた。

 まあ、いろいろあるんだよな、ここで。

 緊張するのもわかるよ。

 そう声をかけてやりたいのは山々だったが、なんせ見えてないからな。

 倉庫の扉が開く。

「やあやあ。よく来たね。」

 その声は、こちらも聞き覚えのあるもの。

 アカネも写真を覚えていたんだろう。すぐに気がついたらしい。

「……安芸真弓さん?」

「お、その名前で呼ばれたのは久しぶりだなあ。」

 前にあったときはもっと学生らしい雰囲気だった気がしたが、今は大人っぽい落ち着きを身にまとっている。高等部のやつらがいるからだろうか。

「ここでは『入武家三香』で通してるんだ。ハンドルネームみたいなものだから、どちらで呼んでもらってもかまわないよ。」

 その名前にも覚えがある。以前杉戸と一緒に聞いた警官からの報告にあった。

「じゃあ、入武家さんで。」

 アカネはさすがに順応が早い。

 彼女の答えに古守はにっこりと笑って、三人を手招きした。

「寒いから早く入りな。もうすぐ日も暮れるし。」

 促されて歩く三人のすぐ後ろで扉が閉められる。

 ぼくはなにも気にせず、扉を透りぬけた。

 明らかに視線を感じる。

 前回話したやつらだ。見覚えのある顔がこちらを一瞬見て、何事もなかったかのように再び動き出す。

 周りのことを見て生きていた証拠のようで、なんだか悲しい。

 三人は倉庫の真ん中にある大きな機械の脇を通り抜け、反対側にある別の機械の前にやってきた。

 そこにあったのはパソコンからのびるごつごつしたヘッドフォンと、簡素な椅子。

「これは?」

「まあ、まずは座ってくれたまえ。」

 アカネは首をかしげながらも言われるがまま丸椅子に腰かける。

 入武家はさっとアカネの頭にヘッドフォンを装着させ、パソコンをいじった。

「まずはこれを聞いて。」

 アカネはあきらめたように目を閉じた。

 ぼくも、耳を澄ます。

 漏れ聞こえてきたそれは、「音」だった。

 音楽じゃない。不規則に並んだ「音」。どこか神経を逆なでする、不協和音。

 アカネも眉間に皺を寄せながら頑張って聞いているようだ。

 一度聞いたら忘れられないような。

 と思ったら次の瞬間には忘れていそうな。

 そんな不思議な、「音」。

 ぼくはその音を――どこかで聞いたような気がした。

 そんなはずはない。こんな変なものが二つとあってたまるか。

 けど、どこか既視感のある音なんだ。

 聞き終わったアカネはすぐに入武家に向き直る。

「これ、なんなんですか?」

 叩きつけられるように返されたヘッドフォンをやさしく置いて、入武家は至極真面目にこう言った。

「『精神分離信号対消滅音』だ。人には、魂のようなものが確かに存在している。けれどそれは実体を伴わない、まあ従来通りに言うと精神に近いもの。新しく運用が開始される新電波『ペル』は第二空間への没入感を高めるなんて触れ込みらしいが、それだけ精神が第二空間に馴染みやすいってことなんだ。そのぶん、体との乖離が起きやすくなることも容易に想像できる。でもそんなの、天文学的可能性にすぎない。実際にそんなふうに通常通りの生活ができなくなるほどの影響が出るのはほんの一握りの人だけだろう。」

「じゃあ、何がそんなにいけないんですか?」

 アカネの疑問はもっともだ。

 入武家はにやり、とわらう。

「君は月光草を知っているかい?」

「ええ、もちろん。」

 そりゃそうだろう。そのへんに雑草並みに生えてるからな。

「元々自然界には生存するために進化をする動植物が多々あるわけだが。あれは自分に有害な電波を変質させる効果を持つ植物なんだ。わかりやすく言うと、月光草は電波を有害と判断し、その効果を歪めてしまう。」

「……変質した電波はどうなるんですか。」

「人体と魂を分離させる効果をもつ、最悪な電波になる。」

 はあ、とアカネの気の抜けた声が響く。

「そこで我々が研究していたのが『精神分離信号対消滅音』。これと月光草の歪めた電波をすべて受信することで、精神を体にとどめる作用を起こす。どうだい、わかってもらえただろうか?」

 アカネは少し無言で考えていた。

「質問を、いいですか。」

「ええ、どうぞ。」

「その、あなたの考えた、『対消滅音』? を聞けば、新しい電波を流しても問題ないんですよね。」

「理論上は。」

「――なら、なんで電波塔爆破なんて話が出てきたんですか?」

「それは、大間という人物の、個人的な感情が計画をゆがめてしまったから、かな。カノンは元々私のプランで動く予定だったようだけど。」

「大間……。」

 いまいち実態がつかめないのだろう。アカネはあいまいに首を傾ける。

 この日、この時間のアカネにとってはまだ大間はそこまで重要な存在じゃないだろうから。

「電波塔が破壊されたとして、みんなは助かりますか?」

「おそらく電波による被害よりも爆破による被害のほうが大きいだろうね。」

 なるほど、と今度ははっきり頷くアカネ。

「じゃあ止めなきゃですね。」

 すっと立ち上がったその顔は、いつもの柔和な笑みだった。

 どこかすっきりとしているような。

「お話、ありがとうございます。」

「参考になったかな。」

「ええ、とっても。私なりに頑張ってみますね。」

 その場を去ろうとして、アカネはふと振り返る。

「でも月光草って迷惑な植物ですね。なんでそんなふうに変わっちゃったんでしょう。」

「さあ。それはなんとも。」

「見た目はきれいなのに。――いっそ、なくなっちゃえばいいのに。」

 そう言って、スカートを翻し、颯爽と二人に合流した。

 アカネの様子を眺めていた東海と伊央はすぐに彼女を伴って、下の階に通じる扉に歩いて行く。

 最後の言葉はほとんどつぶやくような声で、もしかしたら入武家には聞こえていなかったかもしれない。

 研究者はふう、と息を吐く。

「――もちろん月光草は人間に被害が出ることなんて考えてないさ。あれは自分を守るために進化しただけ。――むしろ人間のほうが進化に乗り遅れた、滅びるべき種族なのかもしれない。」

 ふ、と研究者は笑う。

「あなたならそう言いそうですね。遠野壇。」

 まっすぐな目が、ぼくを視ている。

「どうかな。そこまで人に興味はないよ。」

 入武家は――安芸真弓は、確かに前回もぼくと喋っていたっけ。

 ぼくの言葉に入武家は満足げに瞑目した。

「噂はかねがね。いつかお会いしたいと思っていましたが、もう手遅れのようですね。」

 その言葉には、苦笑いを返すしかない。

「ぼくが死ぬのは十四日の夜だから、生きてる方はまだ捜せばどこかにいるんじゃないかな。」

「それはまた面妖な。――いうなれば幽霊というよりは生霊ですかな。」

「より正確に言うなら時間に縛られた地縛霊、かな。」

「なるほど。『“時”縛霊』ですか。」

 入武家はくつくつ笑う。

「時間が許せばあなたの状況も観察してみたかったものです。」

 黙って肩をすくめることで、返事をしたことにする。

「――最近、カノンに会いました?」

「直接はないですね。どうしてです?」

「大間に囚われてるみたいなんで。助けたいんですけど。」

 ぼくの言葉に入武家は首を傾げた。

「そんなことしたって、なにも変わりませんよ。」


「扉開けます。」

「あー、鍵かかってるねえ。」

「じゃあ鍵開け使います。」

「はいどうぞー。」

 机にダイスの転がる音が響く。

 ぱん! と手を叩く音と共にアカネが拳を突き上げた。

「はい初期値成功!」

「ええ……。」

「……ええっとぉ……。」

 困惑する東海の横で、伊央が今まさに開かれた扉の先に何があるのか、情端の画面をスクロールして情報を捜している。

 ……なんでアナログゲームなんだ……。

 ぼくはここ二、三日繰り返されている彼らのゲーム風景をため息と共に見守っている。

 アカネは東海や伊央と共に地下の部屋で過ごすことにしたらしい。

 前にいなくなったときもこんなふうに過ごしていたのかな。

 さすが、適応能力が高いとした言えないところだけれど。

 常にローテンションの東海に合わせるように、自分の調子を変えている。

 まるで元から三人で行動していたみたいにしっくりと馴染んでいる。

 見えない彼女に配慮してか、伊央は、たまにこっそりぼくに話しかけてくれる。

「あの『対消滅音』を聞いても体に異常がなければ琥珀派に入れるんだ。夕ちゃ――アカネちゃんも大丈夫だったみたいだね。」

「へえ。」

 ぼくの興味のなさに伊央は立腹していたようだ。

「ひどい人はそのまま目覚めなかったりするんだからね!」

「――そんなに危険なのか?」

 鋭い質問にすっと目線を横にずらす伊央。

「えっと、危険というか。聞いた瞬間トーノさんみたいになる、っていうのが正しいかも。」

 なるほど。対消滅音だけだとそういう効果があるのか。

 ぼくだってぼんやりとしているばかりじゃない。

 あれだけ電波の話を聞いていれば、自分が「こう」なった理由に、思いを馳せないわけないから。

 そのことを考えていてぼうっとしてしまうのは、許してほしいところだ。

 三人は学校に戻ることなくずっとここで遊んでいた。

 最初はボードゲーム。ダイアモンドとかリバーシとか。その後カードゲームの日があって、今日はどこからか出てきたダイスを使いたいからとCOCだ。それしかルルブがなかったらしい。

 知識では知っていたけど、本当にやってるところを見るのは初めてだ。

 アカネと伊央はきゃあきゃあと楽しそうに遊んでいて、それを東海が静かにほほ笑みながら見ている。きっと、疲れているんだろうな。

 東海はたまに二人と遊ばずに横になったり、そのあたりをふらふらしていることもあった。

 ぼくは、東海が部屋から出るときはその後姿を追いかけた。

 伊央が心配そうにその背中を見送るから。

 たとえ力になれないとしても、伊央が安心できるなら監視役ぐらいにはなるだろう。

 倉庫の屋上に東海はいた。

 ぼうっと街のほうを見ている。

 ぼくも隣に並んで同じ景色を見た。

 うっすらと新電波塔の黄色い影が見えている。案外近いんだな。

「……遠野さん。」

「うん?」

「自殺したいって思ったこと、ある?」

 ストレートな質問に、相当参っているようだと感じる。

「ぼくはないけど。友達がいろいろ方法とか調べてたな。」

 初めて会った時、高瀬藍はテーマパークシンドロームを患っていた。

 いつもフルフェイスのゴーグルをかけ、世界と自分を隔てるものがなければ生活できない。そのぶん藍はネットに詳しかった。

「自殺するときの作法とか、どの方法が一番迷惑かからないかとか。ほら、練炭って準備するのも片づけるのも大変じゃんか。」

「いや。知らないけど。」

 そっか。そんなものか。

 友人のせいで迷惑な知識がついてしまった。

「……一番簡単な死に方って、なんだと思う?」

「さあ。」

 この答えを聞いたとき、ぼくは目から鱗が落ちる思いだった。

 それは首を吊ることでも、崖から飛び降りることでもなく、もちろん睡眠薬をたくさん飲むことでもない。

「生きることだって。」

 そのことをぼくに告げた藍自身、自分の言葉に肩をすくめてたっけ。

 東海がここに来てから初めてぼくのほうを見た。虚ろな瞳に、しっかりとぼくを映す。

「……なに、それ。」

「それなりに人付き合いを持って天寿を全うすれば、警察の厄介になることもなく、すんなり死亡届を出してもらえて、ちゃんと火葬してもらってお墓に入れる。身辺整理をしておけばもっと完璧。面倒な後始末は特にない。一番、他人に迷惑をかけない死に方なんだってさ。」

 ああ、とぼくは続ける。

「もちろん残された人に面倒ごとを押しつけてもいいって思うなら、今すぐ飛び降りたとしても止めないよ。」

 倉庫の屋上はだいたい五階ぶんぐらいの高さがある。命を絶つには十分な高さだろう。

 ぼくの言葉を聞いても、しばらく東海は動けずにいたようだ。それから静かにため息をついて、ぼくのほうに体を向ける。

「……そこまで自分勝手になる勇気なんてないよ……。」

「そうか。」

 内心、ほっと胸をなでおろす。

 ここで東海を助けられなかったから、後で伊央たちに何て言われていたか。

 東海はその場にずるずると座りこんで、脚を抱えてうつむいてしまった。

 落ちていく陽はあたらない。ちょうど日陰になるところに立っていたから。

 そう。彼にとって手段の一つであるはずの「陽に当たる」という行為を、実際にやっているところは見たことがなかった。

「一人で死ぬつもりだったのに。でも琥珀派の『予言』を聞いて、なんだかほっとしたんです。」

「――『電波を浴びればみんな死ぬ』ってやつ?」

「そう。」

 東海はへへ、と顔を上げて笑った。

「遠野さんみたいになるって知れてよかったなあ。そんなの、ぼくのほしかった『終わり』じゃないから。」

「うん。」

「最初はみんな一緒に終われるならさみしくないな、って思って。……本当はさみしかったんだなって。」

 今更気がついたみたいな。

 言葉にしてやっと気がついたかのような、その表情。

「だから、伊央が一緒に行ってくれるって言ってくれて、うれしかった。もう一人じゃない。と、思ったから……。でも、どうしよう。これ以上彼女を巻き込みたくないとも思うんです。」

 東海はまた頭を抱える。

「ぼくでもわかる。琥珀派がやろうとしていることが犯罪になるってことも、ぼくらに接してくれている人たちみたいな優しい人ばっかりじゃないことも。

 でも、これだけのことを知ってしまったら、もう逃れられないでしょ……?」

「どうだかな。」

 ぼくは空から地上へと光源がうつっていくのを眺めながら、このどこかに今まで出会ってきた人々がいることを夢想した。

 もしも前回みたいにジーンがここにたどり着けたら。

 杉戸に助けを求めていたら。

 そんなことを考える。

「案外すんなり出してもらえるかもしれないぞ。」

「でも。」

「やってみなよ。死ぬよりは簡単なはずだ。」

 ぼくは東海と目線を合わせるようにしゃがむ。

「伊央を連れてここから離れろ。今すぐだ。」

 東海は目を泳がせて逡巡してから、確かに首を縦に振った。

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