ぼくとジーンは電話の向こうの男に言われるままに警察署に向かった。

『まずは失踪届を出せ。話はそれからだ。』

 そう断言されたら無視するわけにもいかない。

 書類を提出し、軽く事情聴取を受けるころには夜になっていた。

「警察がすぐに動いてくれるとは思えないんだけどな。」

「まあ、なにか考えがあるんだろ。お前の友達。」

 ぼくの言葉に、特に「友達」のところにジーンは固まる。

 聞いていいのか、いまいちわからなかったのだけれど。

 この際図々しくいこう。

「どんな友達なんだ、そいつ。」

 ジーンはどう話していいのか考えあぐねているようで、何回か口を開いては閉じるを繰り返した。

 結局、無難に言うことにしたらしい。

「名前は、杉戸彰。」

「うん。」

「初等部の頃の友人で、よく一緒に遊んでた。たまにアカネとも。」

「うん。」

「で、――――。」

 言葉にできる情報が、あまりに少ない。

 ぼくは辛抱強く待った。

 ジーンは苦し気にため息を一つして、辺りを確認した。

 そうして、周りから見えないように長袖の服に隠れていた右手首を見せてきた。

 リストカットの痕があった。しかもけっこう深めの。

「これは?」

「高等部に上がってすぐに切った。」

 傷痕はすぐに隠された。

「ネットでいじめられて、個人情報晒されて。親に迷惑かけて、死にたくなって切った。」

「でも、生きてるじゃんか。」

「アカネがすぐに発見してくれたからな。……今思えば、あいつが俺にべったりだったのはもう一回手首を切らないように監視してたのかもな。」

 嫌なもの見せちまったな、とジーンはため息をつく。

 それがすべてではないと思う

 最初は確かにそうだったかもしれない。でもジーンが手首を切るよりも前からアカネはジーンにべったりだったんだろう。だから、すぐに発見できた。

 彼女からジーンへの感情は、昔っからそんなに変わっていないのだろう。

「で、これの原因を作っちまったのがアキラなんだ。」

「は?」

「いや、本人がそう思ってるの間違いかな。」

 ジーンはくわえていた煙草を手に持って、じっと見た。

 片方だけふやけてしまっている煙草。すぐにそれは握りつぶされた。

「昔からバーチャルとかネットに強かったからな、あいつ。俺がコミュニティとかに出入りするようになったのもアキラの影響で。そこで痛い目見たって話さ。」

 自嘲気味に笑うジーンの顔が青い。

 まだ彼の中で、その出来事は過去ではないのかもしれない。

「アキラは俺がこんなことしたのがショックだったのか学校復帰したらいなくなってて。それっきり。」

 高等部の最初に、と言っていたから七年近く連絡を取っていないことになる。

 そりゃああれだけびっくりされるわけだ。

「信用できるやつなのか?」

 きっと、言えない事や気持ちはまだまだたくさんあるだろう。

 それを無理に聞こうとは思わない。けれど、それだけは確認しておきたかった。

「ああ。」

 先ほどとは打って変わって断言するジーン。

「あいつは最後まで、俺の事を心配してくれてたから。」

「……なら、信じて待とう。」

 ぼくの言葉に、ジーンは確かに頷いた。


 杉戸彰から連絡があったのはそれから一日経ってからだった。

『大間の行ったところ、わかったぞ。』

 開口一番そんなことを言う。

 ……ちょっと待て。

「まだ何も話してないはずだが?」

 ぼくらはあれ以来杉戸に連絡を取っていないし、やったことといえば警察に届けを出したくらいだ。

 ジーンも戸惑っている。電話の向こうで杉戸彰はふっ、と笑った。

『俺をなめるなよ、仁。お前がつかんだ情報くらい持ってる。』

「……さすがだな、『芸術家』。」

 さらりと告げられたその異名に、ぼくも杉戸もいっしゅん固まった。

 ここ二、三日でちらほら聞いただけだが、たしかお騒がせ者のハッカーだったような気がする。

 あったことのない杉戸がぽかん、とした顔をしているのがわかるような気がした。

『なんで気づいたんだ?』

「やっぱりそうだったのか。」

『……確証がないまま言ったのかよ。』

「そんな気はしてたんだ。」

 どこか得意げなジーンに、杉戸は呆れているようだ。

『相変わらず感覚で生きてんなあ。』

「そんなことどうでもいいんだよ。」

『いや、どうでもよくないんだけど……。』

 なんとなくで正体を暴かれたほうはたまったものではないだろう。

「大間の行ったところって、どこだ。」

『あ、ああ。倉庫街あるだろ。』

 港の近くか。

「あるな。」

『あそこの外れの貸倉庫だ。残念ながら本拠地ってわけじゃなさそうだが琥珀派の施設であることは間違いなさそうだな。』

「本拠地はわからなかったのか?」

『残念ながらな。』

 本当に悔しそうな杉戸の声。

『大間周辺で琥珀派らしき人物は何人か目星がつけられたんだが、あいつら移動ばっかしててどこか一か所に集まるってことがないんだ。』

「つまり?」

 こんこん、と電話越しに音が聞こえる。画面を叩いたらしい。

「あいつら、リアルで集まることはないんだろうよ。――本拠地はネットの中、なんてのはよくある話だ。」

 ネット上で活動していたグループが現実で事件を起こす。

 ネットが普及し始めた今世紀初頭から見られるようになった事例。確かによくある話だ。

『というわけで、彼らの活動の一拠点だけがわかっているわけだが。いちおう防犯カメラの映像からアカネちゃんと背格好の似た人物が三人、大間に連れられて入っていって、その後出てきていないことが確認されている。』

「決まりだな。」

『ああ。』

 ぽん、と音がしてジーンの情端にメールが来た。

『地図は送っといた。後は現地集合な。』

「何時に来れる?」

『夜にしよう。その方が俺の都合がいい。』

 いったいどんな都合なのだろう。

 そこにつっこむ前にジーンは通話を切ってしまった。早速メールを開いている。

「……なあ、ジーン。」

「なんだ。」

「ぼくのこと一言も言ってないけど。いいのかな。」

 いちおう立派な部外者ではあるものの、説明し辛いというのもわかる。

「ま、大丈夫だろ。」

 ジーンは特に気にしていない様子だ。

「あいつ、俺がオーラの見える人間って知ってるし。ばれたとしてもさほど驚かないんじゃないか。」

「そうなのか。――ちなみにあいつのオーラはどんな感じ?」

 昔を思い出していたのか。ジーンはあらぬ方向を一回見て、言う。

「無色透明だ。朝の光をまとってるみたいな。俺があったことのあるやつの中で一番きれいなオーラだったよ。」

「……へえ。」

 オーラが見えるやつの気持ちなんてわからないけれど。

 灰色のグラデーションの中に稲穂や朝の光を見たら、どんな気分になるのだろう。

 倉庫までは公共交通機関は特になかった。そりゃあそうか。港の近くなんて車の人ぐらいしか行かないだろうから。

 ジーンはてきとうに無人タクシーを拾っている。

 乗りこんでカーナビに場所をセット。後は自動運転だ。

 落ち着かないのか、ジーンは饒舌に話しだす。

「――知ってるか? 芸術家って義賊なんだぜ?」

「犯罪者の間違いじゃなくて?」

 ぼくの表現は笑い飛ばされた。

「大きな事件をたくらんでるやつを芽の段階で摘んだり、計画された事件を未然に防いで最小限に収めたりする。手段はハッキングかもしれないけど、犯罪者になりそうなやつを、犯罪者にさせないようにしてるんだ。」

「……それは。」

 もしかして、何もしてやれなかったジーンへの罪滅ぼしなんだろうか。

 ジーンも同じように考えていたらしい。煙草をポケットにつっこみながら乾いた笑いを漏らす。

「あいつも俺とのこと、引きずってるんだと思う。」

 ネットを通して人を傷つける行為を、誰にもさせないように動く。

「俺も同じだったから。特に画面越しに人の生死を握るってのは。」

「そうか。」

 適当な相づちにジーンはくすくす笑っていた。

「だからって、そんなことしてほしいなんて思ってなかったのに。」

 ジーンは変わらず笑っている。

 ……ああ、この場から消えてしまいたい。

 話を聞いていると、ただのいじめではなかったように聞こえるけれど。

 さすがに、そこまで踏み込む勇気はなかった。

 人を一人自殺に追い込むのは。もう犯罪と言っても差し支えないはずなのだ。

 返事ができないまま黙っているうちに、目的地の周辺に着いた。

 怪しまれないように少し離れたところでタクシーを降りる。

 陽はもうすっかり落ちていた。

 ネオンも街灯もほとんどない、暗闇。空も今にも雪が降りそうな曇り空で星灯さえない。

 目的地周辺まで並んで歩く。

 倉庫の明かりが見えてきた当たりで、ぼくは足を止めた。

「……なあ、ジーン。」

 ふと思いついて声をかける。

 数歩先に行っていたジーンが振り返る。

「どうした?」

「ぼく、隠れててもいいか?」

 逆光でよくわからないが、おそらく怪訝そうな顔をされた。

「琥珀派って結構大所帯なんだろ。――絶対にいるよ、ぼくが見えるやつ。」

「ああ……。」

 ぼくが見える基準なんてまだわからないが、琥珀派は少なからずぼくに近い存在になりたいやつの集まりだ。

 杉戸にさえややこしくて言っていないのに余計に場が混乱することは想像に難くない。

「わかった。杉戸とは俺だけで会う。」

 ぼくはジーンに頷き返して、そっと物陰に身を隠した。

 ぎりぎりジーンの声が聞こえるくらいの距離。

 さいわい、足音も気配もないからうまく隠れられると思う。

 十分後。

 現れたのはジーンと同じ背格好の青年だった。

 顔はよく見えないけど。まとっている雰囲気がジーンに似ている。

「……よお。」

「おう。」

 ぶっきらぼうなジーンの返事。

 杉戸は右手を上げた。

 それにこたえるようにジーンも左手を掲げる。

 ぱん、と潔い音がした。

「じゃあ、行くか。」

 あっさりと、杉戸が歩き出す。

「……ああ。」

 ジーンも歩き出す。

 ……いやいやいや。

 いろいろあったのは重々承知しているけれども。もっと何かないのか。

 ジーンも歩きはじめてから気がついたらしい。杉戸のジャケットをつかんで「おい。」と引き留めている。

「打ち合わせもなしかよ?」

「あはは。そりゃあ真正面から行くからな。」

「は?」

 杉戸はあくまでも軽快に言う。

 困惑しているのだろう。ジーンは頭を押さえて考えているが、杉戸はすぐに歩き出してしまった。

 ぼくも思わず声が出そうになって踏みとどまる。杉戸がぼくの事を見ることができる人間なら一発でばれてしまうから。

「確かにお前は考えなしで動くタイプだけど……。」

「お前もな、ジーン。二人で何回アカネちゃんに叱られたと思ってる?」

「それは……そうなんだけどさ……。」

 ぽんぽん、と胸を叩きながら杉戸は笑う。

「大丈夫だよ。今回はちゃんといろいろ準備してきたから。」

「本当か……?」

「仁だってやってくれただろ。警察に届け出。」

 それが何の意味を持つのだろう?

 ぼくもジーンも首をかしげる。

 宣言通り、杉戸は目的地の倉庫の前まで来た。

 大きなシャッターの脇。扉のすりガラスからは光が漏れている。

 ためらいなくノックをする杉戸を止める暇もなかった。

「……はーい。」

 中からけだるげな声がする。

 どうしていいかわからないぼくとジーンは、杉戸の様子をじっと眺めていた。

「『郵便回収の者です』。」

「……『荷物の中身は聞いていますか?』。」

「はい。『一万年前の蟻』です。」

 合言葉、なのだろうか。

 しかもそれはちゃんと合っているらしい。

 ぎつ、ときしむ音とともに扉が開かれる。

「……え、だれ。」

 出てきた女性を押しのけて、慣れたように杉戸が踏み込んだ。

「はい、そこ動かないでねー。」

 杉戸越しに中をのぞく。いくつか机が置かれて事務所のようになっている空間が手前にあり、奥、倉庫らしい広い空間になにかの機械が置かれていた。

 中にいた数人が次々に立ち上がる。杉戸の言葉通り動かないものなどいなかった。

「なんだ、てめえ!」

 ヤンキーっぽいセリフの後、一人が杉戸につっかかる。

 杉戸はそれをひょい、と避けた。

 男が派手にすっ転ぶ。

「はい。お前、公務執行妨害な。」

 ぼくは杉戸が体を反転させると同時に足を男の前にちょい、と出していたのを見逃さなかった。

「……鮮やかな足掛けだなー。」

「言ってる場合かよ。」

 ぼくがいないふりをしているのも忘れてジーンがつぶやく。

 何もする気が起きないのか、親友を信じているのか、ジーンは転げてきて目をまわしているチンピラ……もとい琥珀派の男を冷ややかに見下している。

 杉戸が侵入するときに扉の外に押し出された女性だけが、心配そうにチンピラに駆け寄っている。

 琥珀派の連中に何が起きたのか理解する時間を与えず、杉戸はまた中に一歩を踏み出した。

 中では武器のつもりか、バールやバットを取り出した連中が包囲している。

「ははは。抵抗すると立場が悪くなるぞー。」

 杉戸は満面の笑みで、胸ポケットから二つの物を取り出す。

 一つは三つ折りの紙。

「捜査令状でーす。君たちには未成年誘拐の嫌疑がかかっています。身に覚えのない人は大人しくしておこうね。」

「はあ? 偽物だろ、そんなもん!」

 その声に、予想はついていたのだろう。杉戸はもう一つとりだした物を掲げた。

 二つ折りの手帳だ。いや。手帳にしては薄いか。

 それを片手で持ち、開く。

 ……ちょっと待て。このシーン、テレビドラマでよく見るやつじゃないか?

 予想通りになら、手帳の中には杉戸の写真と組織のシンボルマークがついているはずだ。

 ぼくの戸惑いをよそに、杉戸は堂々と、想った通りの名乗りを上げる。

「警視庁特務科サイバー班、特別捜査員の杉戸彰だ。――ちょっと中、見せてもらうよ。」

「――サツ!?」

 倉庫の中に琥珀派の連中(と、ジーンとぼく)の驚きに満ちた声が響いた。

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