5
ぼくの死因はなんだったのだろう。
彼女の元を去ってから、自分がそのことを考えないようにしていたことに気づく。
今思い出せるのは、小さい頃のこと。
ぼくの家族はおじいちゃんしかいなかった。両親の記憶はない。おじいちゃんは小さいぼくをかわいがってくれたし、ぼくもいろんな話をしてくれるおじいちゃんが好きだった。
でも、それ以外のこと、学校のことだったり、おじいちゃんがいついなくなったのかは思い出せなかった。
その後記憶にあるのは、研究室のこと。
大学でぼくの担当だった教授はおじいちゃんに似た人で。ぼくはその人に出会ったことで母校への進学を決めたし、卒業後の職場を決めた。
だけど、それらは直接ぼくの死因とは関係なくて、ぼくという人間を語るにも情報が少なすぎた。
だから次の日、もう一度大学へ行ってみることにした。前は結局行かなかったから、この姿になって初めて行くようなものだけれど。行ってもほとんど意味はないだろうな、とは思う。
学生は毎年入れ替わっていくのだ。よほど行動的でない限り、痕跡を残すことは難しい。そしてぼくには、自分が活発だったという記憶がない。
実際敷地に入ってみても、かろうじて覚えていたのは研究室の位置くらいだった。迷わずに行けたことを褒めてほしい。
昼間の大学では生徒たちが自由気ままに過ごしている。芝生に寝ころんでいるやつもいれば教室で居眠りしているやつも。そういう人に限って目につくのはぼくも同じようなことをしていたからだろうか。
生徒の年齢層は十代半ばから二十代前半まで。
ぼくは現行の教育体系を思い出す。
義務教育は初等学校と高等学校に分かれていて、それぞれ六年間。そのうち優秀な生徒は五年で卒業ができて、それとは別に一度だけ飛び級試験が受けられる。
入学が六歳だから、もしも飛び級を二回していてどちらも五年で卒業できていたら、大学入学は十五歳ごろになる。
ぼくはこの制度が好きだ。――好きだった、と思う。努力すればそれだけ早く、自分の人生で自由にできる時間が増える。確かぼくも、早めに大学に入学している。
飛び級試験も割と簡単だった記憶がある。今思い出した。
ぼくの所属していた研究室は変わりなかった。清潔さは守られているものの雑然としている室内。今も白衣の学生がうごめいている。
ぼくのテリトリーはとっくにほかの学生に奪われている。隅っこの窓際で、教授の部屋に近い。
窓際にはまだ教授の大切にしている盆栽が置いてあった。その隣の、なにも置かれていない台に目が行く。拭いても消えないのだろう。植木鉢のトレイが置かれていた跡が残っている。
そこに軽く触れた。別に意味はなかったのに、とたん、ぴりっと静電気のようなものが走る。
『――トーノさん。またそんなところで――。』
脳裏を白い花びらと、陽の光がかすめる。
そうだ。ここに置いてあったのは、ぼくの研究していた月光草の鉢植えだ。
そして、彼女は――。
その時、教授の部屋の扉が開いた。
盆栽を整えようとしたのか、小さな背丈をきっちりスーツにおさめた教授が出てきてぴたりと止まる。ぼくの手のあるあたりをじっと見ているのが少し気まずい。
通りがかりの学生がそんな教授を不審に思ったのか、ぼくのかたわらまで近づいてくる。
「どうしたんですか、教授。」
「……いやね。なんだかふいに遠野君のことを思い出して。」
「遠野君って……遠野壇ですか?」
「知ってるのかい?」
「学年は違いましたけど、高等学校が一緒で。その……彼女が有名人だったから。名前だけは知っています。」
ぼくは学生のほうを振り向いた。まったく知らない顔の男だった。どうやら一方的に知られているだけのようだ。
教授は彼の言葉にほほ笑んだ。
「彼女っていうのは、もしかして保住くんのことかな。」
「そうです。花音先輩は、その……よくも悪くも目立っていたので。」
「変わらないねえ、彼女も。」
それから二人はそれ以上、この話をすることはなかった。教授は彼に研究の進捗を聞いて、聞かれたほうは気まずげに「ぼちぼちです。」と言って、そそくさと自分の席へと帰っていった。
ちゃんとやれよ、と後輩の背中を見ながら思う。
教授は盆栽に手を加え始めた。ぼくはすっかり丸まってしまったその背中を見つめる。
トオノダンと、ホズミカノン。
その名前を聞いても、いまいちピンとこない。ただ、植木鉢のあったところに触れたとき、彼女は確かにトーノと口にしていた。
ぼくは、彼女を知っているような気がする。
あれは陽の光なんかじゃない。彼女の色素の薄い髪の色。そこまで思い出すと切りそろえられたショートカットまで鮮明に浮かんでくるが、残念ながら顔はまだぼんやりとしていた。
「……彼らは今、どうしているのかな。」
教授のちいさなつぶやき。
まさか後ろに立っていますとは言えなかった。
いつの間にか盆栽の手入れを終えたのか、教授が部屋へ帰っていく。開かれた扉の先に無数の写真立てを見つけたぼくは、その後ろにくっついて部屋に忍びこんだ。
教授は写真好きで、電子アルバムではなくちゃんと紙に印刷して部屋に飾っていたのを思い出す。ぼくの写真もあるはずだ。
書類仕事を始めた教授の後ろで、一枚一枚写真を見ていく。するとかなり端のほうに置かれた写真が目に入った。
二十人ほどの人間が写っている写真だった。私服だろうか、思い思いの格好をした学生らしき集団の真ん中に先生が写っている。
一番右端に、彼らはいた。
二人だけはなぜか白衣姿だった。白金の髪をのばした背の高い女は笑顔で隣に立つ人物を見下ろしていて、その隣に立つ背の低い男は、彼女でもカメラでもなく、あらぬ方向を向いている。なんなら動いてしまったのか顔もぶれている。
ぶれていてもわかる。悲しいかな、この背の小ささは紛れもなくぼくだ。とすると隣の女性がホズミカノンだろう。
ホズミカノンは外国の血が入っていると一目でわかる容姿だった。確かにこれでは悪目立ちするだろう。対してぼくは白衣を脱いでしまえばこの学生の中に紛れこめる一般的な感じ。
どうしてこの二人がコンビみたいに写っているのか。当事者にもかかわらず、そのあたりの記憶は曖昧だった。ぼくは何度も写真を見ては首を傾げた。
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