第四話 アイドルは反抗期

「雪ノ下先生、こっち、こっち!」


 歩行者用の信号が赤に変わりかけている交差点を、つぼみさんは躊躇ちゅうちょなく駆け抜けます。たしなみのある者のすることではありませんが、自慢の薄羽織の袖をつかまれたままですので、仕方なく同じ速度で追走いたします。


「うちのお兄ちゃん、 すばるっていうの! またの名を、歌わないスナフキンよ!」


「その二つ名から、どんなイメージを膨らませればよろしいのでしょう」


「いつもギター背負しょってんのに、絶対人前で歌わないのよ。でも、追っかけがいっぱい、いるんだよ」


「不思議なアイドルですね。なぜギターを持ち歩くのでしょうか」


「誰も見てないと自分で作って歌うの。うち、すばピョンの歌、すごく好き!」


 つぼみさんのくるぶしには翼が生えているかのようで、人の姿でついて行くには少々骨が折れました。なにより裾の乱れが気になります。


「はにかみ屋さんなのですね」


「いま反抗期なの! 去年の体育の日から、すっかりこじれちゃって! 笑い上戸だったのに、全然笑わなくなっちゃって、もう笑っちゃうよ」


「笑いごとではないと思いますが」


「だからね、カラオケで見つけたときは 『やったー! すばピョンの歌が聴ける!』って思ったのに。そしたら逃げるんだもん! 普通追っかけない?」


「わたくしの口からは、なんとも申し上げられませんけれども」


「雪ノ下先生、共感が足りないよ!」


「そうですか。失礼いたしました」



 大通りから逸れて、瀟洒なマンションの並ぶ坂道に足を踏み入れますと、まばゆいイルミネーションの照り返しが背後に遠のき、街灯がしめやかに路地を照らすばかりになりました。

 ここまで来てようやく、つぼみさんは足どりをゆるめました。


 きらびやかな夜景に彩られた不揃いな街並み越しに、黒々とした森がそびえております。この都市が帝都と呼ばれていた時代からここに存在する霊園です。

 都市には場違いな大木が、この場所では豊かに梢をひろげていました。


 坂道を下ってゆくと、延々と生垣が続いております。アスファルトにはてらてらと反射する街灯の光が、木立の闇には吸い込まれてしまいます。


 夜風が蕭蕭と梢を渡りますと、襟足にゾクリと鳥肌が立ちました。

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